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兼高かおる世界の旅

私が海外旅行に憧れ、実際30代から海外に行くようになったのは子供の時から欠かさず見ていたテレビ番組「兼高かおる世界の旅」が大きく影響しているのは間違いない。
『平成31年1月に亡くなった兼高かおるさん。海外旅行がまだ珍しかった昭和30年代から30年以上にわたって世界150カ国以上を旅し、テレビを通じてその魅力を伝え続けた。兼高さんは昭和3年神戸市生まれ。アメリカ留学を経て英字新聞の記者として働いていた昭和33年に世界一周の早周り世界記録を達成。これをきっかけに世界中を旅して各地の文化や風俗を伝える紀行番組が始まった。ロケでは企画、交渉から演出までを一手に手がけ、帰国後は編集からナレーションまで一人何役もこなした。番組を通じて日本人の目を海外へ開かせただけでなく、新時代の「働く女性」のシンボルとしても注目を集めた。〜NHKアーカイブスから』
彼女が紹介してくれる見たことのない風景と人々。いつか自分も実際に行ってみたいと思うようになりました。しかし、1ドル350円の時代だったので、海外旅行は夢の夢と思っていました。そんな中、父が仕事でソ連に行く事になりました。ロシアからバルト3国の一つリトアニアに渡り、そこで半年専用機械の指導にあたりました。父から届く写真と手紙の内容にワクワクしました。そして、父はその経験を通して語学の必要性を肌で感じ、私と弟を近所の英会話塾に通わせてくれました。大学受験に失敗してしまった私ですが、浪人はさせてもらえず、その代わり東京にある語学学校に通わせてもらいました。英語を習わせてくれた父に心から感謝しています。卒業後は英会話スクールに勤めようかと考えていたのですが、とある世界的な団体に所属していた先輩から、声をかけて頂きその団体の職員になる事になりました。仕事を通して、世界の方と触れ合うことも増え、英語の勉強にも挑戦し続けました。そして、結婚をきっかけに英会話スクールの経営に携わるようになりました。そして、世界への旅が始まりました。
今こうして世界に行けるようになったことは「兼高かおる」さんの存在が大きいです。ヴィクター・ヤング「八十日間世界一周」のテーマ曲が流れてくるとわくわくした気持ちを今でも鮮明に覚えています。

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