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映画「そして僕は途方に暮れる」 こちらを見ていたのだ

そして僕は途方に暮れる

□「そして僕は途方に暮れる」(2023年1月公開) 

監督・脚本は「何者」「娼年」などの三浦大輔。

劇団ポツドールの主宰。

”演劇的なもの"を徹底的に排したリアリズムと、
性欲などを直視した過激なテーマで
2000年代から演劇界に揺さぶりをかけてきた。

演劇に映画のようなリアリズムで革新をもたらし、映画に演劇的なものを運び込んで新機軸を打ち出す。

本作は2018年にシアターコクーンで上演した舞台作品の映像化。

主演の藤ヶ谷太輔や前田敦子、中尾明慶は舞台版からの続投。

ほかの出演は豊川悦司、原田美枝子、香里奈、毎熊克哉、野村周平

□挑発にのってはいけないと思いながら

死んだような目をして自堕落な日々を送る
フリーター裕一(藤ヶ谷太輔)。

彼は恋人や親友、先輩、後輩に依存しつつも、
人としてまともに向き合うことができない。

親友(中尾明慶)のもとで居候しながらも
”トイレットペーパーを買っておいてくれ”
”朝はもっと静かにしてくれ、オレ寝てるんだから”
と、他者への想像力が欠如している。

自分の振る舞いで相手を怒らせれば
怯んで逃げ出す。自転車で、駆け足で、
くすんだリュックと無精ひげで、
東京の夜を駆けていく。

振り返り、振り返りして逃げていく。

そのたびに観客は裕一と目が合う。
この映画の中でいったい何度
卑屈な目を正面から見たことだろう。

”ありがとう”も”ごめんね”も言えない裕一に
イラついてくる。

きっと三浦大輔監督の計算通りだろう。

裕一からまともな会話は聞こえてこず
テレビの音声だけが聞こえてくる。
サンドウィッチマンと過剰な笑い声。

ああ挑発にのってはいけないと思いながら
この異才監督の術中にはまっていく。

スマホの待ち受けだけはいつまでも彼女(前田敦子)。彼女への優しさなど持ち得ているようには
とても見えないのに。

とうとう姉からも、母からも、
父からも逃げた裕一。

故郷の苫小牧で漂泊する。製紙工場の赤白の
巨大な煙突は温かみなくそびえ立つ。

追いつめられた果てにボロボロと涙を流す。
死んだ目がようやく人間のそれになる。

なんか、なんか、なんか、なんか。
自分が何を思っているのかさえわからないんだ。
自分で自分がわからないんだ。

裕一の(もしくは三浦大輔の)言葉を
どこまで真に受けていいのだろうか。

.
□人間の生態

三浦監督の作品には明確な特徴がある。

彼の作品の人物には不思議なほど共感できない。

他の監督作品では人物の弱さや狡さを見せられても 
”まあ人間はかわいいものだ”とか
”それでも人間はいいものだ”とか思えたりする。

しかし三浦作品は「人間の生態」というものを
じっと見せつけられている気がする。

そのときの感情は、
犬や猫を見ているときの柔らかなものでなく、
奇態な昆虫の裏側でも凝視しているようなものだ。 

人間の恥部を提示してくる映画だ。

そしてあるタイミングになると三浦監督は
決定的な一撃を観客に放ってくる。

「その恥部あんたにもついてるじゃないか」と。

ラストシーンで夜を走る裕一がまた振り返る。

彼と目が合う。
そして彼は観客に向かってニヤリとする。 

ずっとあんたがクズだと思って
眺めていたオレは、あんただよ。

裕一は振り返っていたのではない。
彼はきっとこちらを見ていたんだ。

共感ではない。
そこに自分がいるという衝撃がある。

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