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夫婦の移ろい…について

思春期の子供二人に
様々な事件から喜びごとまで…
いろんな事に振り回される毎日の中
なんだか夫とは
様々な難曲を共に切りぬける同士!?
みたいになってきた

熟年夫婦のあうんの呼吸は!?
こうやって
小さな波から大きな波を一緒に経験することで培われるんだなぁ…と

子供がいないと
一個人として付き合えるだろうから
熟成された関係に深まるか
ドライな関係になるかは別として…
対人間通しとして
また違ったものになるだろう

しかし子供を持つということは
いったん一個人としての括りというか
自分の中で培われた常識を覆されるくらいの、エネルギーと労力と要する

出産して子供を持つことは
生後の死亡率が下がったとはいえ
女性にとっては
何より命がけのイベントであって…
身体だけでなく、培われた心の常識も
いったんは子供に捧げる必要がでる

子供が小さい頃は
自分の時間などというものはなく
精神体力ともに捧げる感じ

もちろん周囲のサポートがどれだけ入るかでも相当感触は違うとは思うが…

それでも相当なしんどさである

母親は出産という
天地を覆されるかの経験をするから、
子供を持った瞬間
母親スイッチ押されたことに
気づくことが容易だが…

夫に関しては、状況わかりつつも
出産を体験するわけではないから
実感として理解できないようなところがある

子供が小さい頃は
その夫との自覚の温度差で
イライラする場面も多々あったが…

子供が思春期の今となると
反抗期も入り
母親主体の問題から
父親を介した問題解決も
必要な場面も生じてくる

これは子供の男女の性差も関係あるが…
特に男の子がいる場合
精神的な父親の存在というのが
子供の成長には欠かせない…

父親らしき父親を演じることができなかった夫であっても
思春期からさらに大人になるまで
父親は役割として登場さざるを得なくなる…

逆に思春期の子にとっては母親は
子供時代の甘え象徴であって
大人になるためには脱せざるを得ない壁またはぬるま湯のようなもの

母親の干渉から脱するというのが
必然的に必要性を帯びてくる

だからどれだけ母が良かれと思っても
脱しなくてはならない対象なんだから
できることは少ない…

そこで新たに登場するのが父親という見本みたいなもの
超えなければならないという壁という意味では母親と変わらないが
母親に対する甘えからの脱却とは
意味合いが違う

父親に対しては自分の先をいく生き方の手本、または見本でありモデル

教師であり、反面教師であり
無意識に意識して比較して
成長するバネのようなテコのような…
もしくは破壊してでも破って
乗り越える壁みたいなもの

超えられた父親は超えられた悔しさとともに
超えられた喜びと満足感を得る
不思議な闘いみたいなもの

そんな目にみえない闘いを一緒に体験する夫婦とは

まさに戦友みたいなものだな✨✨

一連の闘いが終わって
子供たちが巣立った後

ようやく子供が産まれる前の
一個人の二人に戻る

その時はもう何も言わなくても通じる
それこそあうんの呼吸の…
いわゆる熟年夫婦になるんだろうなぁ✨✨





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