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忘れたくない、大事なこと。前編 一般社団法人 ティシュー 代表 田島 大資さん

何かを作って、世の中にリリースする。
小さなことから大きなことまで、
ゼロから、モノやサービスをつくる労力が以前に比べ、小さくなりました。

だからこそつくる責任、そして、使う責任を考えなければなりません。

自分が作ったもの、そして「使う」と自分が選んだものが、社会や環境へどんな影響を与えるのか。
私たちの行動のひとつひとつは、未来へと繋がっているのです。

そんなことについて、今一度考えるきっかけになる、お話を伺うことができました。

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今回、お話を聞いた田島 大資さん。
一般社団法人ティシュー 代表理事。イノベーションやクリエイティブに関わる様々なプロジェクトの企画・プロデュースを行う。都市機能となるビジネス、文化、教育、環境における多様な価値創造を行うために、様々な人が集まり、イノベーションを起こすきっかけになるような施設づくりを行う。近年は、渋谷再開発や大阪梅田再開発などに関わる。


自分がやりたいことが、
「ゼロから何かを創造していくこと」だと気づいた。


──今日は、田島さんのお仕事の話も含め、ざっくばらんに色々と、お聞かせ願いたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。

 僕は、見方によってはめちゃくちゃと思えるような人生を送ってきました(笑)。今の仕事とは、無関係と思われるようなことも、思い切ってお話しできればと思っています。よろしくお願いします。

──田島さんは大学をでた後、就職。その後に、ダンスの世界へ飛び込んだとお聞きしました。異色の経歴ですよね。

 そうかもれないですね。大学時代はアーティスト集団のdumb typeのメンバーの方に師事し、メディアアートや情報学の勉強をしていました。ちょうど当時、愛知万博が開催され、アーティストとして、そしてデザイナーとしてお手伝いさせていただきました。そこで知り合った方が「もし、君がデザイナーとして就職したいなら、紹介するよ」とある有名企業の方を紹介してくれたのです。それがきっかけで、デザイナーの道を選び、名古屋のグラフィックデザイン会社に就職しました。

 その後は、仕事と好きなダンスを並行してやっていました。ダンスは大学時代からやっており、毎日仕事が終わった後、仲間のいる駅まで行き、朝の4時まで練習をしてました。それをブログにあげていたらある日突然、とあるダンサーから「君、大阪きたら、ダンス教えてやんで」とメッセージが来たんですよね。それがきっかけで仕事を辞めて、大阪に引っ越しました。

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──仕事を辞めて、大阪に?急ですね。

 当時は、ダンスにゾッコンだったんです。大阪はストリートダンスの聖地で、多くのスタープレイヤーを輩出していました。そして何と言っても、声をかけてくださったダンサーは世界で活躍している憧れの方でした。これは、僕にとって大きなチャンスだと思ったんです。師匠の家の近くに引越し、毎日一緒にご飯を食べ、全国の仕事に同行するなど弟子として5年を過ごしました。厳しい師匠でしたので、過酷ながらも大変、充実した日々でしたね。

──すごいですね。

 僕は歴史が好きなので、現代のブレイクダンスが生まれた背景を学んだり、映像を見て研究していたりしました。そんな中で僕のやりたいことは、アーティストとして唯一無二の何かをダンスで生み出すことだと気づいたんです。だけど、どこまでいっても、それは今までの文脈に則ったブレイクダンスではないので評価はされない。「このままブレイクダンスの土俵で頑張っても、誰かのつくったものの上でしか戦えない!」と心が叫び出しました。悩みに悩んだ結果、ダンスを辞めることに決めました。今は楽しくても、将来的に自分が辛くなっていくことが想像できたのだと思います。これからは、伝統を守るというよりも、新しい文化を自分でつくっていけるようなことに取り組みたいということに気づいたんです。

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今回は、東京都北区を街歩きしながらお話を伺いました。まちづくりの仕事をしている田島さんならではのお話を、たくさんお聞きできました。

未来のことを、
いろんな人と考えたいという姿勢。


 次のステップに行くには、これまで経験したことのない世界に飛び込んで、もっと幅広く学んでいく必要があると感じていました。当時、デジタルテクノロジーが世界を変えていくことが予想できたこと、そして何事を動かすにもビジネスの素養が必要と思い、ウェブ会社の企画営業の仕事を始めることにしました。

 偶然ですが、ここでも大きな出会いがありました。僕の数カ月前に入社していた先輩が、ウェブとは全く異なる業界で巨額の商品を売るような凄腕ビジネスマンだったのです。そんな方が、訳ありでウェブ業界に流れ着いていました。しばらくこの方に、くっついてビジネスを学ぶことに決めました。

 鬼教官(先輩)の指示のもと、とんでもない額のノルマと量の営業・制作をこなしていたのですが、良い経験をさせてもらったと思っています。仕事に慣れてきた頃「せっかくだから、名の知れた大企業から面白い仕事とってやろう!」とひっそりと独自で動き始めたんです。まず面白い案件を取るためには、未来の可能性について提案していく必要があると思い、必死に勉強を始めました。そして、関西の様々な大企業のアポイントメントをとり「こんなのが面白いんじゃないか、あんなのが面白いんじゃないか」と未来の話ばかりをしに行きました。とても楽しかったですね。

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 「仕事を頼むところは、他のところに決まってるからー」と言いながらも、僕の話が面白いからと何度も会ってくれていた、とある世界的な大手企業さんがいました。何回目かのアポの帰り道、「今日もダメだったかー」と駅に向かって歩いていると、後ろから担当者が走って追いかけてくれました。戻ると、「ウェブをシステムを含めて一新したい、それには新しいテクノロジーも入れてやりたい。そういうことまで、お前はできるのか?」と聞かれました。そこで、「できる!!」と即答しました。

 自社内開発では無理でしたが、たくさん営業をしていた中で色んな繋がりをつくっていました。そこで出会った人たちの中で、この人とあの人でチームを組めばできるということが分かっていました。現在やっているようなプロジェクトごとに、スペシャリストを選定してチーム編成をする仕事のやり方の始まりのような気がします。その後、企画・プロデュース会社からスカウトされ転職し、さまざまなプロジェクトを0から企画・プロデュースする術を学びました。そして、独立。今に至ります。


後編へ続きます。
5/14(金)公開予定です。お楽しみに。

取材・文 :大島 有貴
写真:唐 瑞鸿 (MSPG Studio)

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