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『こころ』夏目漱石

『こころ』夏目漱石(新潮文庫)

全然知らない時代の知らない文化
なのに
頭の中にその世界が浮かんできていた。
不思議。

どんな風景、どんな文化だったのか
気になって気になって
知りたくなるくらい魅力的。

でもそれがなんでかわからないのが
不思議。

時代背景とか、火鉢ってそもそも
どんなものなんだろうって
純度の高い知的好奇心
これがすき。

〇〇主義、〇〇イズム
みたいな表現とか
歴史的なこと世界情勢とかが
多いイメージの昔の文学だけど

難しい言葉は使われず
やさしく丁寧な表現。
だから学校の授業でも使われるのかな?

この本のどこにどうして
魅力があるのかわからなかったけど
魅力的で心地よい作品だったからか
一気に読み切れた。

もっと深く恋愛描写あるのかと思ったら
全然なかった。
なんか、読者の想像にあずけられている
部分が多かったけれど
それが多すぎるわけでもなく
ちょうどよく感じられた。

この想像にあずけられる箇所が
どこなのか

どれくらいの量なのか
によって
読んだ時の心地よさが変わるのかも
って今更思った。

好みがもちろん介入してくるけど。

語り方のおかげもあって
省かれている説明にも違和感を感じない。
いろんな方面に想像が拡がる
気持ちよさがあった。

その想像の拡がりを
無学故に狭められてる感じが
自分でわかったからこそ
学びたい、知りたい
という気持ちが駆り立てられた。

けど、小学生中学生で
この本読んでたら
俺は何にもわからず思わず
だったと思う。
というか、最後まで読み切れないなと思う。

下宿の奥さんにしても
先生の奥さんにしても
大人の女性が
とても魅力的に感じた。

色気みたいなことは
文では表現してない、多分、はずなのに。

やさしさとか
ちょうど良い冷たさとか
あたたかみだけじゃなく
ほのかに色気を感じた。

俺の想像力というか妄想力故?
それともそこに
夏目漱石が偉人として
『こころ』が名作として残る
理由がある?

わかんない。

Kや先生が死んでしまうほどの
当時の道徳や環境は
どのようなものだったんだろう。
洗脳に近いようなものがあるのかな。
もしくは、ある種の宗教のような。

明治時代の
封建的な道徳、正義とか、文化が
平成に生まれて令和に生きてる
俺にはわからない。

もちろん昭和もわからない。
海外になったりしたらさらにわからない。

宗教についてリテラシーのない
現代日本人は
特にこの感覚は分かり得ないのかもしれない。

もっと深く歴史について
学んでいきたいと思った。
学んでわかるものでは
ないのかもしれないけれど。

大正時代の人たちは
この作品を読んで
どんな感情になったんだろうか。
当時の自分と重ねて
読む人も多かったのかな。

現代でいう
あしたのジョー
みたいな感覚もあるのかな。
安保闘争のときの自分と重ねる
みたいな。

自分の中で揺るがない
正義や道徳を貫いてみたいと
思ったりもするけれど

それって
同時にかなり危ういことでも
あるよなあとよく思う。
「執着」が危ういことと同じように。

絶対的に信じるもの
って自分の中に何かあるかなあ…。

「殺人」
に関しては
今の時代の自分にとっても
わかるくらい
自分が犯したら、くるしい。
と思う。

そういった意味では
先生の苦しみは少し理解できる、かも。
殺人と呼ぶほどストレートなものではないと思ってしまうけれど。

Kの感覚は少しも理解できない。
乃木希典の殉死と同じく。

ただ、そういう
理解できない文化や道徳に
触れることは
なんだかとても心地よい気持ちになる。

歴史について学ぶ
こととはまた違う、
文学の美しさに触れながら
歴史を感じる
という感覚が読後感としては強くあった。

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