見出し画像

0点だった甲子園球児が90点を取れた理由


はじめに

 ぼくが学習指導してきた大学受験生には様々な背景を持つ者がいた。今回はその中でも特に印象に残っている、ひとりの甲子園球児に関するエピソードを紹介しようと思う。仮にここでは彼をサトシと呼ぶことにする。

父親からの相談

 サトシを指導することになったきっかけは、彼の父親と知人関係にあったことだった。ある日ぼくはその父親から「息子が医学部へ入学したいと言い出して、どうしたらいいものかと困っている」と相談を受けた。

 話を聞くと、サトシは前年に大学を卒業した後、同大学の医学部への再入学を希望して浪人生活をしているという。浪人1年目にあたる前年は大手予備校の通年コースを受講したのだが、期待した結果が出なかったため、ぼくに白羽の矢を立てることにしたとのことだった。

甲子園球児が医学部を志す理由

 後日サトシの家を訪問したぼくは、まずは本人から医学部受験を志す理由を聞くことにした。すると彼はこう語ってくれた。

 「小さい頃からプロ野球選手に憧れて、周りの人たちの支えもあって、甲子園にも出場することができました。ところがその夢の舞台では、野球の怪物みたいな選手たちを目の当たりにすることになりました。彼らとの実力差を痛感させられた結果、プロ入りを諦めました。

 スポーツ推薦で大学へ進学しましたが、卒業目前にして、野球以外のことは何もわからない現実にひどく不安を感じました。そこで野球選手専門の医師になろうと決意したんです」

 23年間の経験に基づいたサトシの動機は興味深いものであり、それを語る彼の表情は真剣そのものだった。

 ぼくは、現在の実力を確認する参考資料として、直近の模試の結果を見せて欲しいと頼んだ。ところがそこで、ぼくは驚愕の事実を知ることになったのである。

ゼロからのスタート

 「0点」これがその時点でのサトシの数学の合計点であった。前年は予備校に通っていたということだったので、ぼくは率直に驚いた。

 サトシの父親は勉強の進捗を本人に任せていたために、このような実態を全く知らなかった様子で、彼もまた息子の学力に驚きを隠せない様子だった。他の受験科目はといえば、倫理が合格に必要な水準に達しているのみで、その他は平均点にさえ達していなかったのである。

 まずぼくは勉強部屋を見せてくださいと二人に頼んだ。案内された部屋を見渡してみると、案の定、サトシが目標とする医学部の過去問集が所狭しと並んでいた。

 これは現役の高校生にもよくあることなのだが、基本が身についていないにも関わらず、目標とする大学用の問題集を買い集める学生は意外と多い。もちろん、そうしてしまう彼らの気持ちはわかる。しかし、階段の1段目に上ることができない状態で、地上からいきなり100段目を目指したところで登れないのは当然なのだ。だが、そこで絶望する必要もない。一段、また一段と階段を上れるようになればいいのだ。

 「3年計画が妥当なところだと思います。うまく物事が進んで2年目に合格できることもあるかもしれない、というのが率直な見立てです」ぼくは二人にこう伝えた。さらに、他の業務との兼ね合いで、ぼくが付きっきりで教えてあげられるのはその年の1年だけになることも伝えた。

 それでも挑戦したいというサトシと、息子の挑戦を後押ししたいという父親の気持ちを聞いたぼくは、次の日から学習指導を始めることにした。

まずは野球をしていた時間を取り戻すところから

 最初に取り掛かったのは、中学生用の参考書と問題集を用いた英語と数学の基礎の復習だった。サトシには、中学で学ぶ内容の多くが身についていなかったため、どうしても必要な過程だった。

 数学では高校数学の前提となる知識の定着を図り、英語については中学英語を高校英語向けに変換して説明した。これは即ち、サトシが野球に心血を注いだがゆえに割くことのできなかった勉強時間を埋め合わせる作業である。

 「そういうことだったんですか」…中学校の内容を復習しながら、予備校で身につけた知識や理解が頭の中で輪郭を帯びていく様子に、何度もサトシがこう口にしていたのが印象的だった。

 中学英語と数学の復習は1カ月ほどで終わった。具体的には、平日の午前10時から午後5時までの6時間を1対1で指導する方式でこれだけの時間がかかった。前年に予備校で高校の内容を一通り眺めた状態だったので、それほど時間を必要としなかったのだろうと思う。

基礎づくりの先へ

 サトシが現役の高校生と違うのは、できるだけ早い時期に合格したい、という目標実現までの時間だけである。高校1年生であれば本番までにまだ3年間ある、と心の余裕が持てるところだが、彼の場合、悠長なことは言っていられない。

 だからといって高校の学習内容内容に関するぼくの指導方法は、現役の高校生に対するものと何も変わらない。サトシの場合は、毎日ぼくの元で6時間、自宅学習で数時間、集中的に時間を割く機会があったという違いがあっただけのことである。

 結果として、サトシは9月を待たずして、当時のセンター試験水準の問題であれば、数学、英語ともに、9割程度の得点ができるようになった。一緒に勉強を始めてから半年ほどが経った頃だった。

 ぼくから「3年計画」を提示されたものの、うまくいけば2年でいけるかもしれない、という実感が本人の中にも芽生え始め、その他の学科科目に目を向ける余裕が出てきたのもちょうどこの頃だった。

 最初の半年間で英語と数学の基礎を身につけてもらうことが大きな目標ではあったものの、こうも見事に成し遂げてくれるとは、と、ぼくも大いに驚いたものだった。

 その後のサトシの受験勉強はというと、とても残念なことに、センター試験を直前に控えた年末に、家庭の事情のため医学部浪人を継続できなくなったと本人から連絡があった。そのため、その年に合格できなかった場合には就職するという。

 あまりにも急な出来事であったためにサトシに詳細を尋ねたところ、そこにはとても特殊な事情が存在しており、「そうか」としか答えられなかったのがとても歯痒かったのを覚えている。それでも、働きながら勉強を継続して、いつかは医師になりたいと最後に語ってくれたのが唯一の救いであった。

 前年度に予備校の通年コースに通った経験がサトシの大きな成長につながったことは間違いない。だがここで、その他の要因について、彼との会話や学習指導中に感じたことに基づいた、ぼくなりの考えを紹介したいと思う。

0点だった甲子園球児が90点を取れた理由

1.素直さ

 当時、サトシは24歳であったが、ぼくが同じ年齢だった頃と比べるのが大いに失礼だと言っていい程に彼は素直だった。

 ぼくが勉強を教える時に学生たちに最初に必ず伝えることがある。それは、「国語の力さえあれば、勉強は教科書や参考書に頼るのが一番速い。ぼくは自分の理解をみんなに伝えることしかできない。けれど、みんなには思う存分にその理解を盗んで欲しい」という内容だ。

 そうは言っても、なかなかに手ごわい高校生は多い。「高校受験までは自分のやり方でやれたから」とか、「YouTubeでこんなことは時間の無駄だと言っていたから」など、あの手この手で"ちゃんと勉強をやらなくてもいい理由"を引っ張り出してきては、素直に聞く耳を持とうとしない学生はたくさんいる。

 一方のサトシは、ぼくの理解や助言を、まさに真綿が水を吸い上げていくように吸収していった。この態度は、彼の素直な性質のみならず、野球少年だった経験が活きているのではないかとぼくは思った。

 彼が所属していた野球部では、選手はもちろん、彼らの保護者に対しても監督の指示は絶対で、従わない者は試合で使わない、という不文律があったそうだ。だから選手も保護者も歯を食いしばって監督の指示に従っていたという。

 何もぼくは、四の五の言わず、言われたことは素直に叩き込まれよ、と主張したいわけではない。やり方はともあれ、指導者の指導に従うことで結果を手にすることができた、というひとつの成功体験が、勉強面においてはサトシにとって良い作用をしたのではないかとぼくは考えている。

2.基礎を反復継続することの大切さ

 これについてはどのスポーツにも共通していることだと思うが、基礎を反復継続して練習することの大切さをサトシは野球少年としての経験を通じて身に染みて理解していたのだろう。

 勉強について、「どこまでやればいいですか?」と質問をしてくる高校生がよくいるが、ぼくは「できるようになるまで」としか答えない。わからないことをわからないままにして先へ進んだところで、結局は何も身につかないのである。

 「この問題、見たことあります」というのは、ぼくが教えてきた高校生たちによく見られる姿だが、できるようになるまでやらないと、いつまで経っても同じ体験を繰り返すことになる。試験との兼ね合いでいえば、残念ながら単な?類似問題を見たことがあるという記憶は1点にもならないのだ。

 サトシはこの点について素晴らしい態度を見せてくれた。ぼくがよく学生たちに課す課題として、"自分の言葉で説明できるようにする"というものがある。英語であれ数学であれ、学んだことを自分の言葉で説明するのは、自身の理解を確認するための最良の方法である。

 彼は、指定した学習内容を身につけてくるよう指示をすると、必ず自宅学習でそれらを身につけて次の日の授業に臨んでくれた。学力を成長させるということは、結局は基本の反復継続に根気よく取り組むことに他ならないとぼくは考えている。

3.選手とチームの相性

 ある学習塾経営者が「東京大学合格に必要なのは、やれと言われたことに対して疑問を抱かずに取り組む従順な態度である」と語る姿を目にしたことがあるが、確かにそれはひとつのやり方ではあると思う。結果にコミットするトレーニングジムのように、やらなければならないことをやりきることができれば、確かに目標は達成できる。

 また数年前に、学習塾を経営する知人からの依頼で、国内最高峰と言われる関西の進学校に通う生徒を指導したことがあった。そのような名門校では一体どのような教育が行われているのかと大いに興味を持ち引き受けたのだが、そこで目にしたのは圧倒的な暗記量に押しつぶされ、顔から覇気が失われてしまった学生の姿だった。

 何もここでスパルタ式学習を批判したいわけではない。以前の記事でも触れたように、各種教育機関は、ぼくにとってはスポーツにおけるチームのようなものである。チームごとのやり方があり、それに賛同する者がそこに集って目標を目指せばよい。

 ぼくのチームでは、学生本人の中に学習に対する好奇心や意欲が芽生えるのをひたすらに待つ。彼らの中の"芽生え"を確認する方法は簡単である。彼らから自発的な質問が出てくるようなれば、それは勉強で大切なものが彼らの中に根付き始めた兆しなのだ。

 サトシはとにかく質問をしてきた。ぼく自身も高校時代に、先生がぼくの顔を見ると表情を歪ませるほどに、先生につきまとっては質問を浴びせたものである。おそらくはサトシの性質と、ぼくのチームのやり方が合っていたのだろう。

 スポーツの世界においても、将来を嘱望されながらも、所属チームの移籍をきっかけにして期待された成長が止まってしまう選手は珍しくない。

 しかしそれは、学生と学校、あるいは学習塾にも同じことが言えるのではないだろうか。「水を得た魚」という言葉があるように、本人に適した場所、適した方法が見つかれば、その学生の学力は自然なかたちで伸びていくものなのではないかと思う。

4.国語の力

 最後に、これはもう決定的な要素といって差支えがないと思うが、サトシは読書家であった。読むジャンルは、小説、ライトノベル、実用書なんでもござれといった感じで、駅から教室までの道のりや休憩時間にも彼は本を読んでいた。

 勉強を不得手とする学生は国語の力が不十分であることが多い。言葉を読んで聞いて学ぶことが勉強の基本形となるわけだから、日本語を十分に扱えないことは、それだけで勉強には不利に働くことになる。

 また、国語の力は、学習内容の発展的な理解に直結しているとぼくは考えている。次の内容は、ぼく自身が学生の時に実践していたことを振り返ることで導いた方法のひとつである。

 英語の文章を読む際、ある英文を読みながら、それに続く英文にはどのような内容が書かれているかを予想する。英語は言語体系がとても論理的であるため、ほとんどの場合、文章も同様に論理的になっている。

 もちろん先に書かれている具体的な内容などわかるわけがない。大切なことは「このような内容が続くのだろう」という文章の方向性を適切に推測する力を養うことである。とても簡単な例を以下に紹介する。

 "社会をより良いものにするためには3つの大切な改善点が必要です"という文章があった場合、「なるほど。次の文からは、その具体的な3点が紹介されるのだな」と推測できることが望ましい。そうすることで、次文以降を納得しながら読み進めることができるからである。納得がなければ内容が頭に入ってこないのは当然なのだ。

 これができるためには、"文章の流れ"ともいうべきものを掴むための能力を養う必要がある。しかしこの能力は、言葉で教えてすぐにできるようになるものではない。学生の隣について、実践の様子を評価してあげる者が必要なのだ。

 話を聞けば、サトシは小さな頃から読書が好きだったそうで、それは野球少年だった頃も同じだったという。サトシが国語の力を存分に活かして学力を向上させていく姿は、とても爽快なものだった。

 素直な姿勢、基本の反復継続、そして国語力。この3点が揃えば、少なくとも大学受験で求められる学力を養うには十分な基礎を手に入れることができる。それに相性のよい指導者が加われば鬼に金棒であるが、これら3点を備えた学生であれば、独学でも期待する結果を手にするのはそれほど難しくないだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?