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いろいろな勉強があっていいんだよ ~ぼくのチームの戦術編~


はじめに

 ぼくが高校生や浪人生、社会人の大学受験生に勉強を教えて今年で14年目になる。といっても、本来ぼくは学校や塾の先生ではなく、ソフトウェア開発と飲食店経営を主業務とする会社の代表である。

 学習指導を始めたのは知人からの依頼がきっかけだった。この13年間を振り返ってみると、事業としてではなく、個人的な活動として教育と関わることができたのはとてもよかったと感じている。それは、もしもあの時、事業として参加していたら、現在のような、目の前の生徒一人ひとりの成長を最重視した取り組み方ができなかったのではないかと思うからである。

 学習塾は学習指導を商品とするサービス業である。しかしぼくは、学習指導ほど市場原理と親しまない商品はないと個人的に考えた。というのも、多くの商売とは異なり、消費者が求めるものをそのまま提供することでは、学習指導が、引いては教育が目的とすることを達成するのが困難になるのではないかと考えたからである。

 とはいえ、教育産業へと飛び込む知人の手伝いをするわけだから、否応なく市場原理に晒されることになる。そこでぼくは、市場原理と親しまない教育をサービスとして提供するにあたり、学習塾のような学校外教育機関を、スポーツにおけるチームのようなものだと認識することにした。そこには指導者としての先生がおり、選手に相当するのはもちろん生徒である。

 世間には「あんなやり方はダメだ」とか「こんなやり方こそ正しい」なんていう論調の主張が散見される。しかしスポーツにおいて「このチームは守備主体だからダメだ」とか、「あのチームは攻撃を重視し過ぎている」などと批判をしても仕方がない。みな、自らが正しいと思うスタイルで取り組んでいるだけなのだ。

 少なくとも、大学受験という限定されたステージで学習塾に通う選択をした学生は、自分に合った戦術を標榜するチームを見つけ、それに従った学習を進めればよい、というのがぼくの考え方である。

 だからぼくは、教室を訪れた学生に対して、ぼくの戦術を説明することにしている。以下はその一部である。

1.まずは真似をしてみて欲しい

 これは古典で習うことだが、"学ぶ"という言葉の元を辿っていくと、"真似(まね)ぶ"、つまり、先生の真似をするという意味にたどり着く。ぼくが高校生だった時には、先生の真似ばかりしていた。

 例えば、ある世界史の先生が「学生の時、歴史の教科書に出てくる文学作品を読むのにハマっちゃったんだよね。でも、そうしたら著者の名前も作品名も無理なく覚えられたんだよ」という話をしてくれた時、なるほど、と思ったぼくは、歴史の教科書に登場する本を図書館で読むようにした。確かに、時間をかけて読んだものはそう簡単には忘れない。

 「〇〇な方法で勉強したら身についた」という先生の言葉を聞いては、その方法を真似てみた。そして、先生の真似をして身につけたことを基本にして参考書や問題集に取り組んで、最終的には"自分のやり方"と呼べる学習法を身につけることができたと思う。

 得てして勉強を苦手とする学生は、学習方法が不適切である場合が多い。特に、十分な学習時間を割いているのに、結果が伴わない、と悩んでいる人は、身近なできる人のやり方を真似てみることを強くお勧めする。

 この教室では、ぼくの学生時代の勉強法や、ぼくの理解の全てを共有していくので、積極的に真似をしてみて欲しい。

2.暗記は"真似"のひとつのカタチ

 ぼくの小学校1年生の時の先生は、国語の時間に文章の暗記を宿題として出してくれた。今思えば、あの指導のおかげで、言葉と言葉のつながりや、文章の流れを把握する力の土台を築くことができたと思う。

 暗記するために対象の文章を繰り返し読むことで、例えば、「〇〇という言葉は××という言葉とセットでよく登場する」という"カタチ"、即ち、傾向が見えてくる。つまり、あの暗記は、文章での使い方を"真似"するための一つの方法だったのだ。

 暗記も、書き取りも、外国語の発音でさえ、真似がベースであることが望ましいとぼくは考えている。だから、暗記による学習の全てをぼくは否定しない。むしろ、学習段階の最初期にこそ暗記はとても有用だと思っている。暗記によって身につけたカタチを組み合わせて作るのが、理解の始まりになるのだろう。

 幼少期ほど、暗記を基本にした学習が有効なのではないかとぼくは考えているけれど、何歳になっても何かをやり直すのに遅すぎることはない。"カタチ"が身についていない人は、まずは"カタチ"から。これが暗記に対するぼくの考え方である。

 ぼくが暗記を課題とすることはほとんどないけれど、「これだけは暗記して」と指示をするものについては、最初に"カタチ"を頭に入れる方が理解が容易になる事柄だと受け取り、頑張って暗記して欲しい。

3.わからないものは、わかるようになればいい

 学校で、「どうしてお前はこんなこともわからないのか」と先生に言われたと泣く高校生を今までに何人も見てきた。そんなとき、ぼくは率直な意見としてこう彼らにこんなことを伝える。

「わからないものはわからないんだから仕方ないよね。次にまたそんな言い方をされたら、"先生の教え方が悪いせいだ"って言ってやれ」

 ぼくの言葉を聞いた学生は、決まって「そんなこと言えないです」と言うのだが、もちろん、そんなことを言い返して欲しくて言っているのではない。大切なのは、"何が原因でわからないのかを探り、わかるようになればいい"という姿勢である。

 原因は、学習内容の認識や理解における誤りかもしれないし、小学校や中学校で学んだことが正しく身についていないことかもしれない。多くの場合、後者であることが多いのだが、いずれにせよ、それを探って手当てしてあげることは、指導者の大切な仕事のひとつだとぼくは思っている。

4.力加減は、予習1:復習:9の割合で

 ぼくの授業では、復習した内容を徹底的に確認するようにしている。前回の内容についてはもちろんのこと、1週間前、1カ月前の学習内容について、ことあるごとに確認をする。

 これは学校での英語学習でよく見られることだが、ぼくが担当する高校生は、とにかく次の授業の準備に追われていることが多い。もちろん予習によって事前に授業で学ぶ内容に触れることは有用である。それは、予め理解できないことを浮き彫りにしておくことで、授業で集中すべきポイントが明確になるからである。

 しかし、予習と復習に対する基本的な力加減は、予習1:復習9程度が妥当なのではないかと、ぼくは自分の経験に照らして思っているし、学生たちにもそのように伝えている。

 "できないことをできるようになるまでやること"が学習において最も大切なことだとぼくは考えている。だから、予習に追われる状況にある学生こそ、復習が必要なのである。予習に時間を割けるようになったのであれば、それは、現時点で求められるものに学力が追いついてきた証である。

5.勉強を楽しむ、無駄を楽しむ

 これまでに「受験科目以外は勉強しない」と主張する多くの高校生と出会ってきた。それが、準備不足のまま受験生になってしまった高3生の言葉であれば、背に腹は代えられないことだと思う部分もある。しかし高校1、2年生の段階でこの考えに至ってしまうのはもったいない。というのも、ある科目での理解が別の科目で役に立つことはよくあることだからである。

 例えば、英単語である grasp を単語帳を使って学習しようとすれば、「1.(何かを)握る、2.(何かを)理解する)」という内容を暗記することになる。しかし、ここで国語的な考え方が働くことで「日本語で、何かを理解することを"把握する"とも言うな」という発見を導くことができ、「"握る"と”把握"、両方ともに"握"という漢字を含んでる。そうか、この言葉については英語圏の人も日本人も同じ感覚で使っているのだな」と、すんなりと頭に入れることができる。

 だからぼくは、学生たちに「せこいことを考えずに、すべての科目は繋がっていると考えなさい」と伝えるようにしている。「勉強しておけばよかった」という言葉を耳にすることはあっても、「勉強しなければよかった」という言葉に出会うことはなかなかない。それに、せこいことを考えるようになるのは、大人の社会に入ってからで十分なのである。

 また、趣味や興味の対象として楽しんだものが役に立つことは少なくない。漫画やアニメ、音楽や映画で見たことのあるものを、教科書で学んだことの具体例として役立てることができた、という経験は誰にでもあるだろう。無駄だ、とか、興味がないといって切り捨てることなく、自分の興味の赴くままに何でも楽しめばいいのだ。

 「最小限のコストで最大限の効果を」なんていうのは、近所のスーパーマーケットで野菜を購入する際に掲げればよい信念であって、学習の場ほど、この考え方に親しまない場所はないとぼくは考えている。

最後に

 今回は、ぼくがチームとして掲げる理念と戦術のうち、主なものを紹介した。ぼくは学生たちに「高校で触れる全ての科目について、まずは70点を目指そう」という話をしている。必要とされるものに欠点が少ないことは、勉強をする上でも、そして社会を生き抜いていく上でも、より多くの可能性を手にすることができる。陳腐な表現になるが、学生時代の勉強は手段であって、目的ではないのだ。

 またぼくは、教育とは、将来の社会という、未来を生きる人で構成される集団を背負って立つことになる子どもたちを育成し、彼らがその中で培ったものを何らかの形で社会に還元する、という循環の中で健全に機能しなければならないものだと考えている。

 ぼくは学生時代、とにかく勉強を楽しんだ。だから、自身の経験から導き出した戦術を提示して、学生たちと接するようにしている。ぼくにできることは、そんな戦術に共感して、一緒に頑張っていくと決めてくれた者に、ぼくが知っていることを伝えることだけである。

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