見出し画像

偽善なんてものはない、のか

午前一時


善悪の話をしよう。

世の中には、善というものと悪というものがあるらしい。見たことはないが。

そして、偽善、という言葉もあるらしい。これも見たことがない。


偽といえる人たちは、本当、を知っていることが条件だ。わかるだろう?

では、善の本当は何だい?私には見当もつかないんだ。


その善は、だれにとっても善なのかい?雲が白い、横断歩道は白い、雪は白いのと同じように。どうなんだい?

その逆とされる悪は、だれにとっても悪なのかい?日食は黒い、タイヤは黒い、目をつぶれば黒いのと同じように。

善の輪郭は見えない。あるのか、どこかに。

ゆらゆら、蜃気楼のようなものなのか、はたまた空気のようなものなのか。

なのに何か確たる芯ととらえて、そうじゃないものを偽としている僕の心は、海面に浮かぶ水草みたいで、汚いのかもしれない。


錯覚じゃないと言い切れるか?自分の思っている善は。悪じゃないと言い切れるか?

自分の思っている善は、必ず誰かにとっての悪になるのではないか?

だから、むしろ偽善しかないのだろうか。それとも、蜃気楼を含めて、反対の悪の包括も許してすべてを善と呼ぶのだろうか。それとも反対の悪を無いものとするのだろうか。

僕は善を知らない。

そんなことはない、みんなを益する善だって絶対にあるはずだ。誰の悪にもならない絶対的な善はあるはずだって、考えるけど。

あってほしい。

あってほしいよ。それだったら、偽善に対して、偽善なんて生ぬるい名前を付けずに面と向かって悪と、善に対して高らかに善と、胸を張っていえるのに。




イラスト:ノーコピーライトガール、さん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?