僕とアルゼンチン妻とボビーの三角関係
アルゼンチン人は犬が好きだ。どれくらい好きかというと、僕が住むネウケン州では、大多数の家庭が2~3匹の犬を飼っている。家の前で手を叩くと、犬が吠え始めて、住民が気づくというチャイムの役目もあるが(ここでは呼び鈴のある家が少ない)、それ以上に人々は犬を愛している。僕のアルゼンチン人妻(以下ラテンな嫁)も例外ではない。
彼女は実家に5匹の犬を飼っていて(2匹は死んだ)、捨てられた犬を見つけてはフェイスブックの引き取り主募集ページに投稿する。かつては雨でぬれる野良犬のために手作り段ボールハウスを作り、それは本当に小さいながらも「野良犬のために家を作ろう」みたいな運動にもなった。
そもそも、犬が嫌いな人はいるのか?と思うかもしれない。僕は犬嫌いの人物を知っている。昔の僕だ。これは犬嫌いだった僕と愛犬ボビーの物語。
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ラテンな嫁と結婚する前、僕は「はっきりと犬は飼わないからね」と言った。昔から犬が苦手だった。思い当たる理由としては、4歳頃であろうか。中型犬に追いかけられた経験。
もしくは、小学校の通学路で、ある家の庭を通らなければいけなかった。そこに鎖でつながれたものの、激しく吠える犬がいたのだ。毎日、半べそをかきながら、小学校に通った思い出。
こう振り返ってみると、僕は犬ではなく、吠える犬に恐怖を感じていた。そして生活音に関しては、日本よりもずっと寛容なアルゼンチンでは、まあ犬は吠える。吠えるし、雄たけびもあげていると思う。
そんなわけで、僕は犬を飼いたくないと伝えたわけだが、ある日の仕事帰り、家に小さなトイプードルがいた。テクテクという効果音が聞こえそうな足取りで、ゆっくり僕の方に来るトイプードル。気まずそうにこちらを見つめるラテンな嫁。
「ごめんね。フェイスブックで見つけて、飼い主さんがとりあえず遊んでみていいって言うから。嫌だったら、別に引き取らなくてもいいから」
僕は、彼女が犬を寂しがって泣いている姿を何度か目撃したことがある。ここで断っても、また他の犬がやってくるだろう。
「好きなら飼ってもいいよ。でも、お世話は君がしてね」、そう言うと彼女は僕に飛びつき、まるで人間の赤ちゃんに接するかのように、トイプードルに話しかけ始めた。
「名前はどうしよっか?」、彼女は尋ねた。僕は何も考えずにこう答えた。
「ボビー」
彼女は笑って「変なの」と言いながらも、ボビーという名前を受け入れた。
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はっきり言おう、僕はボビーが好きだ。まず顔が可愛い。ラテンな嫁の実家にいる3匹のトイプードルと比べても、ダントツで顔は可愛い。もしくは、その3匹のトイプードルが変な顔をしているかだ。
何より、ボビーは大人しい犬だ。公園などに連れて行けば、はしゃぎまわるが、家の中では行儀が良い。野良猫が屋根を歩いた時に吠えるくらいで、普段はめったに吠えない。
だが、僕は次第にボビーが嫌になってきた。というのも、ラテンな嫁がボビーを愛しすぎるからだ。最初は自分の寝床で寝ていたボビーも、いつの間にか僕達のベッドで眠るようになった。そうなると、いつも僕に抱きついてスヤスヤ眠るラテンな嫁は、ボビーに抱きついて眠る。
特別彼女に抱きつかれて眠りたいというわけでもない。彼女から解放されることで、眠る彼女に気遣うことなく、自由に寝る姿勢を変えられる。マイナスにはならなくとも、プラマイゼロではあった。それでも、ボビーに彼女を取られたかのような気がしたのだ。
また、下世話な話しになってしまい申し訳ないが、夜の営み時にもボビーが邪魔だった。行為中ベッドから降ろされたボビーは、僕達が遊んでいると思ったのか、その小さな体をめいいっぱい使って、ひょこひょことジャンプする。ベッドから見え隠れするボビーと目が合うことは多々あった。
他の部屋に移動させてドアを閉めても、ボビーはカリカリとドアをひっかくから、中に入れる。そしたら、壁の内側で行われている試合を見ようとするかのように、ボビーはひょこひょことジャンプをする。ひょっこりはんがいたら、ムードも台無しだ。
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僕がボビーに抱えていたのは嫉妬だ。ラテンな嫁を取り合って、僕とボビーは争いを繰り広げたのである。
彼女が寝静まった深夜、僕はこっそりとボビーをベッドから降ろす。これで彼女を独り占めできる。だが、僕の卑劣な行為が彼女にばれてしまった。それならばと、作戦変更である。
「あなたボビーを降ろしたでしょ」
「そんなことしていないよ。僕がトイレに行こうと起きたら、ボビーも後をついてきたんだ。僕のこと好きなんじゃないかな」
こんな感じでとぼけたが、そんなわけはない。深夜にこっそりボビーの皿におやつを置いて、ボビーが「自分の意志」でベッドから降りるように仕向けた。頭脳プレーである。
長ソファーにラテンな嫁と一緒に座っていたら、隙間のない真ん中に無理やりジャンプして居座るボビー。心持ち、その短い脚で小刻みに僕を蹴っていたと思う。
彼女は「きゃー、可愛いわね!」とボビーにキスをする。僕は素っ気なく「そうだね」と言い、ボビーを見ると、心なしかしてやったり顔である。いや、上の歯を見せているあたり、「ざまあみろ」と微笑んでいたのかもしれない。
悔しくなった僕は、冷蔵庫からステーキの残りを取り出し、これ見よがしに喰らいついてやる。ボビーはすぐにこっちに気づいた。グゥウと腹の音のようなうなり声を出すと、彼女が「少し分けてあげなよ」と言う。
待ってましたとばかりに、「いいよ、ボビーこっちに来な。ご飯はお皿の上で行儀よく食べないとね」と決め台詞をボビーに投げかける。
さあ、どうするボビー。ソファーを降りた瞬間、僕はラテンな嫁の膝に頭をのせて、ソファーに横になってやる。高身長という唯一の武器を活用して、お前が決して飛び越えられない足の壁を作ってやるぞ。こい、ボビー!肉を食べにこい!
ボビーは考えに考え抜いた結果、あろうことかラテンな嫁を選んだのである。犬は食の誘惑に勝てないと思っていたが、どうやら間違っていたようだ。僕の負けだ。
ステーキを全部食べてやりたかったが、少しボビーのために残して、僕は寝室へ向かった。ボビーがステーキを食べる音が聞こえてくる。そして、当たり前のようにやつはラテンな嫁の隣で眠り始めた。ちくしょう、彼女が寝静まった頃にステーキを与えるべきだった!
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ボビーが、僕とラテンな嫁で態度を変えるところも気に食わなかった。僕が彼女のようにボビーにデレデレしないこともあるが、もう少し愛情表現してもいいはずだ。
ラテンな嫁が、実家で留守番をしている夜、しょうがなく僕はベッドにあげてやる。彼女とは顔同士を隣にして眠るくせに、彼女がいない時は僕の足元で眠っている。僕の隣でも寝ろよ!
それでいて、ボビーの狡猾なところは、ご飯の時間になると僕の椅子の隣で、見事なお座りをしていることだ。ソファやベッドで彼女の隣にいるボビーをどけようと、ほぼ毎日おやつを与えていたのが裏目に出た。僕をご飯係と思い込んでいるようだ。「こいつは嫌なやつだけど、美味い飯だけはくれるからな」とでも思っているのだろうか。
食事中は僕の側でお座りをして、日本語で「ごちそうさま」と言うと、残り物を貰えると尻尾を激しく振る。スペイン語が母語の癖に、「ごちそうさま」だけはちゃんと理解してやがる。毎食、僕は憎きボビーのために、少しだけご飯を残すようになった。
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僕達がボビーを迎えたのは、彼が0歳の時。色々といざこざを起こしながらも、もう4年も一緒に住んでいる。だからといって、特別ボビーとの関係が深まったというわけでもない。
相変わらず、いつもラテンな嫁と一緒にいるし、僕と2人きりの時は、僕の足元にいる。「ごちそうさま」と言えば、尻尾を振って、僕の後ろをついてくる。しいて言えば、たまに鼻で僕をつついて、「少しなでろよ」みたいな顔で見てくることだ。
これが僕とボビーの関係性なのだ。家族でありながら、一人の女性を狙って、ひそかに三角関係も築いている。だが最近は、なんとなくボビーの方が、余裕ある男のような気がする。調べてみると、犬の4歳は人間の32歳らしい。納得だ。空気も読めるようになったのだろう。もうずっと、ひょっこりはんを見ていない。
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