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収入を失って、僕は理想の生き方を見つけた

11月から12月にかけて、仕事一時停止のメッセージが僕のもとに届いた。僕はフリーランスのライターとして生きている。万が一のために、収入先を分配していたものの、まさか収入の大部分を占める3社から同時に連絡が来るとは思わなかった。

もちろん貯金はしていたが、僕は大いに焦った。12月、藁にもすがる思いで、ツイッターで仕事募集のツイートをした。拡散してくれた人々のおかげで、依頼してくれる方も現れた。また、noteでサポートしてくれる人々もいる。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。それでも以前の収入には遠く及ばない。

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僕の住むアルゼンチンは、日本と季節が真逆である。つまり、12月は皆が待ちに待ち望んだ夏だ。人々は川や湖に行ったり、外でバーベキューをしたりして、夏を思いきり楽しむ。仕事はないが、時間はたっぷりある僕も例外ではない。

初めこそ、仕事がなく不安でいっぱいだったが、充実した夏の日々がそんな不安を和らげてくれる。いや、充実しているというよりも、ここの人たちと同じように過ごしているだけだ。仕事がなくなって「普通」の生活を送れるようになった。

思い返してみると、私生活が大事だと分かっていても、仕事を最優先していた。毎日家にこもって、仕事、仕事、仕事。出かけるのはほんのたまに。外に出ても、「仕事があるのになあ」と思うことさえあった。

それが今は生活を楽しめている。つい先日、妻が「今の生活がずっと続くといいね」と言ったが、僕も同じ思いだ。収入こそ激減したものの、以前よりも幸せな生活を送っているように思う。

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いつからだろう、お金にとりつかれるようになったのは。僕は仕事が好きな人間ではない。誤解のないように言うと、文章を書くのは好きだ。コラムやアルゼンチンに関する執筆は、まさに好きを仕事にする。でも、主な収入源となっていた無記名記事は、正直に言えば好きではない。お金のためにと割り切っていた。

仕事人間ではない僕が一日中働いていた理由は、安心感を得るためだ。お金は幸せでは買えない、これは明白な事実だ。だが僕は、お金で安心感や良い生活を買える、と考えたし、今でもそう考えている。

移住当初、現地で職を見つけた僕は、信じられないくらい安い給料で働いていた。まだ現地の言葉が不自由な外国人の僕は、仕事を選べる権利さえなかった。外出するお金もなく、もっぱら公園や散歩で家族の時間を過ごしていた。あの時に比べたら、映画を観に行けたり、外食できたりする今は、よっぽど良い生活だ。

僕はお金がない状態を恐れている。現地で働いていた時、突然仕事を失った。僕は希望を一切見いだせなかった。仕事をしなければいけないが、職は見つからない。当たり前のことだが、お金がないと家にも住めないし、ご飯も食べられない。移住してからの2年間で、僕はお金の価値を痛感した。

だが、いつの日か、僕はお金による安心感を求めすぎるようになった。十分な貯金はあるのに、貯金額が少しでも下がると、不安になる。そして、たくさんの時間を差し出して、安心感を買う。いわゆるワークライフバランスが崩れた状態だ。

幸運なことに、僕のワークライフバランスは強制的に整った。仕事がなくなったのだから。いや、整うというよりも、ライフの方に大きなおもりがのしかかっている。貯金を崩す生活への不安はある。でも、貯金を崩す額は少なくなっている。

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僕は昔から本を読むのが好きだ。様々な本に手を出すというよりも、気に入った本を何回も読むのが好き。特に人生のバイブル的存在は、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』。高校時代、3年間僕の担任を務めてくれた方が紹介してくれた。

簡単に要約すると、秀才ハンスが名門学校に入学するも、学校での規則まみれの生活で神経衰弱を起こし、学校をドロップアウト。そして、悲劇的な運命を辿るというもの。この小説が好きな理由は、人間らしい生活を思い出せるからである。

それまで、勉強、勉強、勉強ばかりで、ハンスは豊かな心を失っていた。だが、学校を退学し、機械工につくことで、人生の美しさを再発見する。ハンスが人間らしさを取り戻すパートは、読んでいるこっちまでウキウキする。

『車輪の下』を読み終えるたびに、僕は自分の生き方を見直す。ずば抜けて頭が良いことを除いては、ハンスは普通の少年だ。僕達はみんなハンスなのだ。自然の美しさを発見したり、何もしない時間を楽しんだりしたものの、いつの間にか縛られた人生を送っていないだろうか。

季節の表情を楽しめているだろうか?些細な愛をしっかりと感じられているだろうか?空を見上げる時間はあるだろうか?

お金は必要だが、同時に見失ってはいけないこともある。

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よくよく考えてみると、ここではあまりお金がかからない。ここでの余暇の過ごし方は、皆でマテ茶を回し飲みしながらお喋りしたり、夏は川や湖に行ったり、毎週末BBQしたりするというもの。僕が住むネウケン州は、パタゴニア地方に属していて、何もない。「何もない」は語弊で、実際には川や山など自然がある。だからここの人たちは、自然と触れ合って暮らすのだ。経済的である。

生活の面でも、あまりお金はかからない。親戚の家を借りているから、家賃は相場よりもずっと下(ここでは家族のコネが重要だ)。インフレを考慮しても、家族3人で10万円あれば何とか生活できて、13万円あれば週に1~2回カフェでお茶したり、ランチしたりできる。

僕は今の生活が気に入っている。午前中は仕事やnoteを書いて、愛する妻と息子と昼寝をして、数時間執筆に励む。涼しくなったら外に出て、静かな夜に気の向くままに文章を綴る。

土日は、隣人であり友人でもあるゴンサルオ家とアサードをしたり、川や湖に出かけたりするのが幸せ。典型的なネウキーノ(ネウケン人)だ。

ポジティブに見ると、仕事がなくなったことで、生活スタイルを作り直すことができた。0から1にするのはとても難しいが、10から0、10から3、いや10から9にするのさえ難しい。僕も築いてきた収入源を壊すのはできなかったが、それは勝手に壊れてくれた。

2019年12月、僕は0とは言わないでも、1や2からスタートした。仕事だけが人生ではない。朝起きて、できることなら好きな仕事をし、余暇を過ごして、夜ぐっすり眠る。僕はそんな人生を送りたい。退屈と思うかもしれないが、生きているだけで人生はドラマティックだから、僕にとっては問題ない。

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最後に。12月から自分の好きな仕事だけしてみることにした。貯金の底が見えたら、やっぱり気の乗らない仕事もしなければいけない。だが、まだ大丈夫なうちは、少しわがままになることにした。

コラムやアルゼンチンに関する記事を執筆して、仕事がない日はこうしてnoteで、気分のままに文章を綴る。そしたら、1記事当たりの単価が少しばかり増えた。初めてのクライアントさんにも、「読ませる良い文章ですね」と褒めてもらい、継続してお仕事を頂けるようになった。

3年目のライターの目標とは思えないが、これからは1記事当たりの単価を上げて収入を増やしつつ、余暇もしっかり確保したい。どうやら僕は、1日で書き終える記事よりも、何日もかけて自分の経験や想いを表現する仕事の方が合っているみたいだから。

まずは記名記事だけで、月10万円を突破するのが目標だ。ライター始めたばかりの頃は、あっという間に達成できた金額だ。もちろん、無記名記事だけど。ライターとして、ようやくスタート地点に立った気がする。

というわけで、引き続きお仕事お待ちしております。

サポートありがとうございます。頂いたお金で、マテ茶の茶菓子を買ったり、炭火焼肉アサドをしたり、もしくは生活費に使わせていただきます(現実的)。