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草食日記①


こんにちは!まっくすです


時間を過ぎるのは速いもので、人間やめて草食動物になってから4ヶ月経ちました。

今は家で食事する時は、ストックしてあったマヨネーズとか粉状の出汁とか以外は動物性のものを食べていません。ほぼ完全菜食な気がします。友人とご飯に行く時は、自分から菜食の店を提案して着いて来てもらうことが多いですが、別に食べてもいいや〜と思うようことも多いです。

これだけ時が経つと、思うところも随分変わるもんですね。中だるみみたいなものかもしれませんが笑



以前のこのノートで、「問題から目を背け、無関心でいるのはやめようと思って草食動物に」なったと書きました。動物が搾取され、不当な扱いを受けているという問題、環境問題、食糧不足といった物です。けど正直打ち明けると、僕はそれらの問題に対して真に心から危機感を覚えれないでいます。

頭で考えれば、それらは本当に重要で切迫していてる問題で、改善されるべき問題で、僕の選択によって世界が少しずつ良くなっていくことは分かっています。それでも心が、真剣さをもって取り組む気にならないのです。

心のどこかで「BBQに行きたい」とか「唐揚げ食べたい」とか思ってるし、「別にちょっと食べても良くないか」とも思ってる。体は草食だけど、心がまだ雑食。

今はどこか我慢している状況で、頭と心の意見が食い違っていてもやっとします

菜食をするにあたって、僕は「今ここを楽しみつつ、問題にも目を向けて菜食を選択する」ことを大事にしようと決めていました。簡単に言えば我慢してまで、菜食は厳守しなくていいということです。

ただ、この原則も守るのが僕には難しい


いざ肉を食べようと思うと、それはそれで心苦しい選択に感じます。決めたことを曲げるのか、と理性が邪魔して来ます。ひどく悪いことをしているような感情に苛まれます。また、一回食べるとタガが外れるんじゃないかって心配さえしてしまいます

なんなんでしょうね、食べるにしても食べないにしても難しいって。


もう1つ、僕が肉を食べない理由。僕自身が、僕の周りにいる人からすれば、唯一の菜食者であり、先ほど挙げた問題への数少ない接点であり、僕は広告塔として重要なポジションにいるのだという自覚。僕が菜食であることで、周りの人も菜食に興味を持って取り組んでくれたり、考えてくれたりする可能性がある。そして僕には周りの人を変える力がある。


このように。いま菜食を続けられている動機は、よく言われる4つ-動物・環境・健康・宗教-のどれでもなく、もっと個人的なものなんです。

決めたことを曲げたくない(良いと信じていることに背きたくない)という動機、そして広告塔の役割を果たそうという半ば使命的な動機。


人の考えることというのはあまりにも複雑で時々疲れますね

信念を固持しすぎない柔軟性と、自分を許せる強さを身につけたいです。


明日は早朝からバイトなので、そろそろ寝たいと思います!書きっぱなしで、読みづらい文章ですいません!今度からもっとがんばります

読んでいただいた方ありがとうございました!良ければスキとフォローお願いします〜

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