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「何でもわかりやすく」が生む弊害

● はじめに

講義・セミナーなどで資料を作成する際、受けて/読み手を意識して、「なるべく見やすく、わかりやすいものにすることが大切」という意見があります


最近特に、社会もその考えに沿ったように組まれているように感じます


例えば、テレビ番組のプレゼン

News Zero  https://www.ntv.co.jp/zero/


News Zeroの番組資料は使用されるフォント・キャラ、レイアウトも統一感がありとても見やすく・カメラワークもスムーズ、コメンテイターも1名(落合陽一さんや辻愛沙子さん)のみ充てて、すっきりシンプルな進行で理解しやすいですね。

バラエティでいうと

アッコにおまかせ! - TBSテレビ https://www.tbs.co.jp/akko/

「アッコにおまかせ!」のめくりボードなんて、取り扱いが面倒な時事ニュースも文字が多くても、なんだかわかりやすいです。

セミナーや講義を担当する場合にも同じように気をつけるべきだと指摘をしたり、感じる方が多いと思います。

昔に比べて、読み手を意識して、論文もより短く・シンプルそして、Accessible(アクセスしやすい・近づきやすい)が主流になってきています。

Youtubeの視聴回数が多いものも、共通して「わかりやすく・見やすい」を追求されており、字幕をふんだんに入れたり、ぼーっと見ていても飽きないテンポ・スピードを確立されていると思います。最近はそれでも☓で、視聴者側は、倍速で飛ばし飛ばしでみるようになってきています。

自分も当てはまることが多々あるし、強く影響を受けているのですが、本当にそれがいいのだろうか・・・とふと考えました。前置き長くて申し訳無いです💦


上記に関しては、マイナス要素のみならず、プラス要素もたくさんあると主ます。受け手は様々なので、なるべくシンプルに削ぎ落としてわかりやすく

いろいろな「差」を意識しておく必要があるのも確かです。例えば、知識の差、知的忍耐力の差、学力の差、意識の差、興味/意欲の差、文化・・・まだまだあるかと思います。

そういった意味では、表現方法にも「誰にでもわかりやすく」のバリアフリーやUniversal Designのマインドがあるんじゃないかと思います。 


この境目が、現世代の大きなギャップ・ストレスになっていると思います。

教わる側(次世代たち)は メディアのリズム

・Youtubeの行間抜いた早い展開の動画
・時間がもったいないので、映画を倍速で動画を観る
・ながらながらでご飯食べるときでも、友達といるときでもスマホ画面

教える側(旧世代たち)は

・基本我慢で育ってきた
・空気読みすぎ
・自分たちが体験した形が正解
・押し付けているようにみえる

この難しい世代ギャップを埋めるべく、どのように伝達手段をデザインするのか、そして効果も出せる・そしてあきず食いつきの良い伝え方・・・

そのあたり需要があるかと思うので、いろいろ書き溜めたものをリリースしていきたいと思います。

もしよかったらまた覗いてみて下さい。

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