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#48 老々介護の果てに。~母編 最終回!!クエチアピンと魔女の処方箋 Ⅱ~

※前回までのエピソード
2022年8月1日の未明、長年認知症の母を実家で介護していた父が心不全で倒れ、「老々介護」が崩壊。父の入院を機に母を施設へ預け、残りわずかな二人の人生を何とか再生しようと奮闘したエピソードの【~母編~】最終回。


母施設へ入所、二日目の晩、早速、クエチアピンとメマリーと眠剤を服用させて、寝かせたが、なんと、やはり、初日の晩と同じく、夜勤のスタッフCさんに、母は、正座をして丁寧に挨拶をした。

しかし、今度は、前夜の大立ち回りの情報共有を受けていたスタッフCさんは、母の行動をピッタリとマーク。昨夜、壁に体当たりした事で、やはり若干腕の痛みを感じていた母は、壁に体当たりして”脱出する事”は、あきらめたようだ。

その代わりに、

「ここはどこですか?どこの精神病院ですか?」

「私は、どこも悪くはありません! ここから、出して下さい!!」


と、何度も、スタッフCさんに訴え、部屋のカーテンをガシャガシャと動かし、カーテン及びカーテンレールを破損・・・。(もちろん、後日に修理。)

認知症ですっかり痩せた小さな身体に、どこにそんな力があるのかと・・・。

だが、朝には、落ち着いた。日中帯はおとなしい。

3日目の晩、施設長とスタッフ達で相談し、母のクエチアピンを増量。

この日の夜勤はスタッフDさん。
クエチアピンを増量したことで、23時を過ぎても、母が起きてくる気配はなかった。「あ。ようやく落ち着いて来たかな・・・。」と思って、仮眠を取ろうとした所、母の部屋から、ドスン!!と大きな物音が・・・!!

スタッフDさんが、慌てて、部屋に駆けつけると、母は、ベッドの枕元の、そのまた向こう側へ落っこちて、唸っていた・・・。

どうやら、ベッドの”宮”が、「鉄格子」に見えたらしく、それを乗り越えて、脱走しようとしたらしい・・・。

母は、尾てい骨を強く打って悶絶していた。
翌日また、レントゲンを撮りに行き、幸いヒビ、骨折はなし。

湯ばぁーば施設長の言う通り、母は、骨丈夫だった・・・。

入所して4日目、ようやくに、クエチアピンが効いてきたものか、それとも、前夜に強打した尾てい骨が痛むのか、母は、とうとう観念し、終日おとなしく、そして、父が倒れてから、なんと、5日振りに、朝までグッスリとよく眠った。


それからというもの、湯ばぁーば施設長さんが、毎日毎夜、母の様子を細かく看ては、それまで服用していた「メマリー錠」と「眠剤」と、漢方薬の「抑肝散加陳皮半夏エキス顆粒」、そして「クエチアピン」の配分を調整していった。

最終的には、「メマリー錠」を半分に減薬し、1日3回飲ませていた漢方は、1日一回、夕方に服用させ、その分、主力を「クエチアピン」に置き換えた。眠剤も、最小量の1錠で、よく眠るようになった。

まさに、「魔女の処方箋」であるw

主治医から処方された薬を、ただ単に、用法通りに服用させるしかなかった素人の私には、「抑肝散加陳皮半夏エキス顆粒」をねだるのが精々だった。ましてや、「アルツハイマー型」の典型的症状ばかりに捕らわれて、「幻覚」や「妄想」という症状に気づかなかった。というか、そういう”発想の展開”ができなかった。

湯ばぁーば施設長は、それをたった一晩で、看破し、「クエチアピン」の投与を進めてくれた。さすがは、元看護師・・・。(大きい病院で看護師長まで務めていた強者w)

量は少ないが、栄養バランスの取れた食事を3食たべ、トイレもちゃんと自分で行けるようになり、自信がついたのか、母は通所ディで通ってくる他の利用者さん達と和やかに談話をするようにもなった。

お互い認知症だから、同じ話を繰り返ししても、いつも新鮮!!w
だから、”否定される”ことがない!

こいつは気がつかなかったー!!w


お互いに、同じ話に、「うわぁ~そうなの?いいわねぇ~。」とか、「大変だったわねぇ~。」と、延々、共感のループで会話が続く。だから、楽しいw(そりゃそうですよねぇw)

これは、母を施設に入れて、最も「なるほどねぇ・・・。」と。家族だけでの介護や環境ではとても出来ないことだと。

管理者のAさん(湯ばぁーば娘)が、母のトイレの付き添いの時に、尿の出具合を看て、「もしかしたら、膀胱炎かも知れない。」と気づいてくれて、適切に治療することもできた。

驚いたのは、入所から2週間後には、食事の支度を母が手伝うようになっていたこと。調理はしないが、食器を出したり、テーブルの上を拭いたり、他の利用者さんが食べたものを片付けたり・・・。

湯ばぁーば施設長が、「ほれ、そこのあんた、手が空いているなら、手伝って。ウチは小さいんだからね、人手が足りないんだよ。」と、母に声をかけてくれた。もちろん”リハビリ”の意図は明確だが。

母は喜んで手伝った。そのうち食事以外でも、利用者さん達に、お茶を出したり、お菓子を配ったり、”おもてなし”をするようにまでなった。


”凄い・・・・・。”

もう”お迎え”を待つばかりの「認知症」なんだから、”リハビリなんかいらない。とにかく、荒ぶる周辺症状を何とかせねば”と、そればかりに気をとられていたが・・・。

”リハビリ”って、こういうことなんだなと。

「介護のプロって、凄いですね。私達家族の介護ではとても適わない。もっと早く、ここへ来られたら良かった・・・。」

介護申請の面談を明日に控えて、様子を見に行った私は、母の激変ぶりに、感嘆しきりだった。

「ふふ。”それが仕事”だと、最初に言っただろ?w  だけど、”認知症”だからね・・・。周辺症状は何とかできるが、中核症状は、止められない。あたしの見立てだと、H子さんは、もう”重度”に入ってるね・・・。」

「そうですか。やっぱり・・・。」

「明日、面接だけど、”要介護3"は、”固い”と、あたしは思う。まだ歩けているから、「3」だ。だけど、もう直ぐ、歩けなくなる。そうなったら、早いよ。H子さんの様な人は特にね。ここら辺の”特老”は、今、満床だから、”看取り”が出来るグループホームを探した方がいいね。」

「はい。そのつもりです・・・。」

「グループホームが見つかるまで、ウチにいればいいよ。もし、万一、H子さんの容態が急変しても、ウチでも”看取り”は出来るからね。大丈夫。ウチは料理長を除けば、全員、”看護師”だからねぇ~w うふふふw」

(何度も言うが、もう、”夏木マリ”の声でしか聞こえない・・・。)

湯ばぁーば施設長は、そういって不敵に笑った。

凄い人がいたもんだ・・・。


湯ばぁーば施設長の”魔法”は、もう終末期にさしかかろうとする母に、「笑顔のある穏やかな時間」と、「誰かの役に立つ」という、忘れていた”人生の悦び”を取り戻させてくれた。

私達家族では、とても出来ない”介護の技術”と”環境”が、ここにはある。

この小さな介護施設に。

ここは、本当に『油屋』なんだろう。
長い人生で傷つき、ボロボロになった”神々”が、その疲れを癒やす所、人生の最後に、ささやかな輝きを取り戻す場所。

そこを取り仕切る女将は、やっぱり、”湯ばぁーば”なのだ。。。

【 老々介護の果てに~母編~ 】 ひとまずおしまい。
毎度、長文へのおつきあい、心より厚く御礼申し上げます。

次号、【老々介護の果てに~父編~】続編をお楽しみに。



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