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#72【介護雑記】「母の取説」マニュアル化の件

フォロー頂いている方々には、既に、お察しの通り、私と母の関係は、娘時代から険悪だった。連載中の【育爺日記】では、父との関係を「タイガー&ドラゴン」と揶揄しているが、母との関係は、「キングギドラ&ゴジラ」位酷いw (いや、もっと酷かったかもw)

もはや『宿敵!!』と言っても過言ではない。とにかく、嫌いだった・・・。

元々、そんな関係だもの、出来の良い娘さんが母上に提供する、優しくてふんわりとした「良質な介護」なんぞ、ご提供できるはずもなく、ご提供するつもりもなかった。

それがなんで、下の二人の弟を差し置いて、他家へ嫁に行ったわたくしが、母の「介護キーパーソン」に踊り出たのかと言えば、幼い頃から『宿敵』だったが故に、母の性格、行動形式の津々浦々まで、よく分析し、理解していたからに他ならない。(やっぱ”同性”というのも含む。)

孫子曰く、『敵を知らずば・・・。』である。
母の傾向と対策には長けていた。

だから、母が本当に望んでいるものも、わかっていたんだよね。いつも。幼い頃からずっと。

母が認知症を発症した時にも、小手先の「家事介助」ではなく、母に「どんなケアが必要か?」「何を望んでいるのか?」わかっていた。それなのに憂鬱だったのは、「わかっているけど、応えてはやれない・・・。」その思いだ。

母娘関係がこじれている以上に、私にも職業人としての社会的責任があり、家族があり、子供達がいて、孫も二人いる、「終の住処」にと、50を過ぎてから築古ではあるがマイホームも買って、住宅ローンの支払いもある・・・。

(もう母の記憶に残る10代の、盗んだバイクに乗って校舎の窓ガラスを割って歩いた的な娘ではないんで。)

それらを全て振り切って、母のご要望に何でもお応えできる、”アラジンと魔法のランプ”のジーニーには、なれなかった・・・。

(いや、ジーニーになりたかったワケではない。😓)

”私には、母が認知症であっても、そうでなくても、これ以上の在宅介護はできない。”

悩むも悩まないもない、それは動かしようのない現況だった。


母を最初に保護してもらった『小規模多機能型居宅介護施設』から、『グループホーム』への転入が決まった時、母のケアマネは、転入先のグループホーム所属のMさんにお願いした。

私より少し歳下の、ケアマネ経験はまだ浅いが、気立ての良い人だったのを見込んだ。

何より、20件も施設の入所を断られた私の愚痴に延々と耳を傾け、「大丈夫ですよ、Ilsa子さんの望むターミナルケア、うちなら出来ます!!」と心強く請け負ってくれた管理者のIさんと、ケアマネのMさんは、良いバッテリーだった。

”この二人となら、いい介護チームが組める。”
初めての面談で、私はそう確信した。

母の「ターミナルケア」と「看取り」を託す大切な二人だ。私では母に出来ない介護を、この二人を「核」に、やり遂げてもらわなければならない。

そこで、少しでも介護の参考になるように、娘の私にしかわからない「母の取説」をマニュアル化して、打ち合わせに持参した。(仕事柄、こういう資料作りは得意であるw)

~母の取説~
・母の出生から現在に至るまでの来歴(年表)
・病歴(年表)
・服用薬の履歴(年表)
・母の長所並びに短所
・母が悦ぶこと。(母が望んでいること。)
・母が不機嫌になること。(不安になること。)
・思考の特徴性と対策
・行動の特徴性と対策
・過去のトラウマ(触れてはいけない話題)
・家族との関係

等々・・・。

「母の取説」タイトル一覧

「うわっ!! 凄いーっ!!! これを掴むまでが時間掛るので、とっても助かりますぅ~!! 」

管理者のIさんも、ケアマネのMさんも、目をキラキラさせながら、喜んでくれた。良かったw

「いや~、Ilsa子さん、お母様のこと、こんなに良く観ていらっしゃるなんて、お母様のこと、大好きなんですねぇ~・・・🩷」

NOぉぉぉぉお~!!!😱

それは違うっ!!💢

そこは、全力で否定した。二人はゲラゲラ笑っていたっけw


「母の取説」をスタッフの皆さんで事前に情報共有してくれたおかげで、母が入所する前から、みんなが「母をよく知っていた。」だから、母が入所して直ぐに、適切な対応をとることが出来た。

母がグループホームに入所した当日は、スタッフさん達が、「いらっしゃいませ。」ではなく、「H子さん、おかえりなさいw」と、さりげなく声をかけてくれたのは、「巧いな。」と思った。

母は「???」の様子だったが、おかげで、前の「小規模多機能型居宅介護施設」であった様な大きな混乱やトラブルはなかった。

ケアマネのMさんは、「母の取説」を参考にして、いち早く、母の懐へ入り、母はケアマネのMさんを、それこそ、娘の様に可愛がり、頼りにした。専属のクリニックへ行く時にも、母はMさんとギュッと手を繋いで、楽しそうに行ったという。

管理者のIさんには、自分のお姉さんの様に接して、素直に、よく言う事を聞いてくれたそうな。他のスタッフさん達からも、「上品で可愛らしい人」と、親しまれた。

”優しくて可愛い娘”と、明るく話しかけてくれる”お友達”、何をしても、何を言っても、「大丈夫だよ。」と、否定されず、優しく自分を受け止めてくれる人達、質素だけれども、丁寧に手作りされた温かい食事・・・。

どれもこれもが、母が長い間、望んできたものだ。

しかし、グループホームへ入居後、わずか4ヶ月、誤嚥性肺炎を発症し、最期は本当にあっという間に、”迎えの舟”に乗って逝ってしまった・・・。

それは、前の小規模介護施設の湯ばぁーば施設長の”予言”通りに、本当に、あっという間に。

ケアマネのMさんは、「ホントに、可愛がって頂いて・・・。それなのに、こんなに早くに、申し訳ありませんでした・・・。本当にすみません・・・。」と、唇を震わせ号泣していた。

「いやいや、おかげで、本当に、皆様のおかげで、母は、母が一番欲しかった、『幸せな時間』を取り戻せたと思います。本当にありがとうございました。娘の私には出来なかった事をしてくれた、最善を尽くしてくれた。感謝しかありません。ありがとう・・・。ほんとに、ありがとう・・・。」

最後は、そう伝えながら、管理者のIさん、ケアマネのMさんと、まるで姉妹の様に3人、抱きしめ合い、別れを惜しんだ。たった数ヶ月のご縁だったのに・・・。かけがえのない出逢いだった。

他のスタッフさん達にも見送られ、母の亡骸と供に、施設を後にした。

母の事は嫌いだったけど、最後の最期は、何とか、”間に合った・・・。”

”良かったねぇ・・・。お母さん・・・。”

娘としての役目は、果たせたと思う。
本当に頼もしき、素晴らしい介護プロ達のおかげで。


――― と、そんな話を、父のケアマネさんに共有したら、

「うわー。素敵っ!! お母様、本当に良かったですねぇ・・・。
ウチも負けてられないわw お父様の時も、最高のチームが組める様に、
頑張らないとぉーっ!! 私にも、”お父様の取説”欲しいですーっ!!」

あ?!、げっ・・・。し、しまった・・・余計な事を・・・。
(あれ、作るの、結構、面倒なんだよなぁ・・・。)



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