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#41 認知症の終末期医療~参考資料~

認知症の母の『終末期』を模索している時分に、とても参考になったレポートを紹介するコーナー。(いつからそんなコーナーが・・・w)

今回は、その界隈では著名な方、江別すずらん病院・認知症疾患医療センター長。日本尊厳死協会北海道支部長の宮本礼子氏のレポート。

【 認知症の終末期医療―我が国と欧米豪の比較― 】

これは、宮本氏が2007年から2018年にかけ欧米豪6か国 (スウェーデン、オーストラリア、オーストリア、 オランダ、アメリカ、スペイン)を訪問し、【 認知症終末期医療 】の実態を調べ、そのうちの5か国 について報告されたレポートである。

そもそも、日本の認知症介護の実態とか、終末期の実態だとか、我々一般人がよく知る由もなく、親の認知症発症で、慌てて「認知症」について勉強し始めた身には、日本の認知症終末医療の実態と供に、海外の事例を同時に比較検討できた、私にとっては、とても重要なレポートになった。

このレポートにより、私は母の終末期医療の方向性が定まった。『母の終末期を救ってくれたレポート』と言ってもいい。

現在、すでに親の介護が始まっている方々にも、そうでない方々にも、是非、御一読いただき、介護のその先にある「終末期医療」について、参考になれば幸いに思う。


🟠はじめに
認知症をきたす原因疾患は数多くあるが、その多くを占めるアルツハイマー病などの変性疾患や皮質下性の血管性認知症などは緩徐進行性で、意思疎通と嚥下が困難になり、最後は寝たきりで死にいたる病である。

世界保健機関(WHO)は生命 を脅かすすべての疾患を緩和医療の対象としており、認知症も緩和医療の対象疾患である。したがって、患者とその家族は認知症の初期から死を迎えるまで、苦痛の緩和とQOL(Quality of Life:
生活の質)の改善が図られなくてはならない。  

しかし、わが国では認知症は死にいたる病と認識されていないため、緩和医療の対象疾患と考えられていない。そのため認知症の終末期には延命医療が重視され、患者のQOLは疎かにされている。

家族の中には、「どんな姿であっても生きているだけでいいので、できることは何でもやってください 」という人がいる。医師も、“医療とは、患者の命を助けること”と教育されているので、 1分1秒でも長く生かすことを考え、患者の尊厳やQOLを考えることはほとんどない。

事実、患者は経口摂取ができなくなると、その意思にかかわらず、延命だけの目的で経管栄養や中心静脈栄養が行われる。さらに、血液透析や人工呼吸器装着が行われることもある。自力で喀痰を排出できない患者には、喀痰吸引や気管切開部のチューブ交換が行われ、それは患者に耐え難い苦しみをも たらす。また、胃ろうボタン、経鼻カテーテル、 気管チューブ、点滴ルートを抜く患者は四肢や体幹を拘束されることが多い。

医療の現場で働く職員のほとんどは、「自分は将来、このような医療を受けたくない 」という。患者の家族もまた、 自分自身には延命医療を望まない。私たちは自分たちが望まないことを、ものいえぬ認知症患者に行っている。  

このような現状に対して、医療者だけでなく国民の間からも疑問の声があがり、医学界、新聞、 テレビ、そして書籍)を通して認知症患者の終末期医療のあり方が議論されるようになってきた ―――。

【 認知症の終末期医療―我が国と欧米豪の比較― 】より抜粋

―― 世界保健機関(WHO)は生命 を脅かすすべての疾患を緩和医療の対象としており、認知症も緩和医療の対象疾患である。

なのに、⬇️⬇️⬇️

―― わが国では認知症は死にいたる病と認識されていないため、緩和医療の対象疾患と考えられていない。

と、いう。これが、私が感じていた違和感の正体。
このことが、認知症の終末期医療をこじらせている、根本原因だと思う。


特に私が注目したのは、こちらの章 ⬇️⬇️⬇️

🟠Ⅲ.自然死の恩恵
認知症が進行すると、食物をいつまでも咀嚼したり、口の中に溜めたりするようになる。さらに進行すると嚥下反射が遅延して水や食物をうまく飲み込めなくなり、食物が肺のほうに行く嚥下障害(誤嚥)が出現してくる。

アルツハイマー型認知症に比べ、レビー小体型認知症や血管性認知症では、嚥下障害はより早く出現する。  

我が国では口を開けようとしない患者や嚥下障害がある患者に対しても、栄養を摂らせようとして無理に食べさせることが多い。そのため、 誤嚥性肺炎をよく起こす。食事摂取量がさらに減ってくると、栄養補給や誤嚥性肺炎予防の目的で、点滴や経管栄養など人工的水分 ・栄養補給 (artificial hydration and nutrition:AHN)が広く行われる。

しかし、誤嚥性肺炎の予防効果が期待される胃ろうにおいてもその有効性は証明されず、栄養状態改善や生命予後延長も報告されてい ない

一方、終末期においては脱水や低栄養の利点もある。脱水は気道内分泌を減らし気道閉塞の危険性を低下させる。その結果、気道内吸引の回数が減り、吸引操作にともなう患者の苦痛は軽減する。また、脱水や飢餓状態は脳内麻薬であるβエンドルフィンやケトン体を増加させ、鎮痛鎮静効果をもたらす。患者は気分が良くなり意識がもうろうとしてくる。まだ機序は解明されていないが、人間は枯れるように死ぬことで、穏やかな最期が迎えられるようにできている。欧米豪では AHNを行わない自然死が当然のように受け入れられているが、我が国では自然死の良さが知られていない ―――。

【 認知症の終末期医療―我が国と欧米豪の比較― 】より抜粋

以前、ある地方では、年寄りが食べなくなり、寝てばかりで起きて来なくなると、枕元に水を入れた急須と湯飲み茶碗をひとつ置いて、後は、そっとしておく。本人にまだ生きる気力と体力があれば、起きて自分で水も飲めるだろうし、水を飲めば排泄に歩きにも行く。もし、そうでなければ、数日から数週間で静かに息を引き取る。「そうやって、送ったものだ。」と、いう話を聞いた事がある。

病院で亡くなる事が多くなった昨今では、『自然死』の良さを忘れてしまっているのかも知れない。

レポートにもあるが、日本人は、『死生観』というものを、あまり語りたがらない。これは以前、【#3 「盛り塩」に関する意外な噂 】でも紹介したが・・・、

八百万の神の国では、「死」は「穢れ(けがれ)」であり、「死」について語る事はDNA的に”許されない”、という傾向があるように思う。

しかし、だからこそ、医学的エビデンスを知らなくても、前途のような、苦しまずに穏やかに旅立てる『自然死』の方法を尊重にして来たのではないだろうかという側面もある。そしてそれは、中国から『仏様』が入ってきても、継承された。特に密教における「即身成仏思想」は、神道における「自然死思想」と、反目しあいながらも、「自然死のエビデンスをなぞっている」という点では、何となくリンクしているような気さえする。


ま、ちょっと話が飛んだがw

初動が認知症介護から入り、終末期医療の流れだと、レポートにあるような「ACP」やら「リビング・ウィル」やらと、本人の意思と摺り合わせしながら作成できることは、ほぼないんで。

なぜなら、「認知症の始まりはわからないから。」これにつきる。家族が親の異変に気づいた時には、もう大体、認知症の初期は過ぎているからね。そして、日本の医療界では「認知症が死に至る病とは認識されていない。」んで、ちゃんと終末期医療までの”ご案内”をしてはくれない。

そうこうしている内に、認知症が進行して、激しい周辺症状とひたすら格闘している間に「終末期」が近づいていることもわからず、医療機関や介護施設の言うがままに「延命治療」に突入。(私に言わせると)”迎えの舟”に、乗りそびれてしまい、ダラダラと無駄に苦しい思いを本人にさせてしまう。

そんな展開になっている事例が、日本には圧倒的に多いように思う。

死生観は人それぞれだし、要介護者の病状も様々だ。しかし、要介護者が既に認知症を発症しているのであれば、終末期医療をどう施行するか、胃ろうの造設や気管切開をしてチューブを繋ぐなどの「延命治療」を、どこまで受けるか、または、「延命治療」をどの段階で止めるか、全く、延命治療は受けないとするか、全て、介護キーパーソンの裁量となる所が大きい。

いつかは、”引導を渡す覚悟”をしなければならないということだ。


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