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わたしの人間劇場 / 人間ごっこ1

わたしからわたしへ

この文章は、すぐに色んなことを忘れてしまう自分自身のための備忘録でもあり、伝言でもあります。
人の言葉で感動したり傷ついたり。それが刺激になり、試行錯誤しながら歩んできて、わたしは今、生きています。

勝手に世界を狭め、この世はつまらないものだと拗ねていた、かつての自分を振り返って労り感謝しながら、「でも大丈夫だよ」と声をかけています。

ここにある画像や言葉がどのように伝わり解釈されるかは分かりませんが、何かのきっかけになる可能性もあるかもしれないと思い書きました。

時間を守りましょう

わたしの通知表にはいつも、「時間を守りましょう」といったことが書かれていました。時間や空間、物事の捉え方がズレていて、周囲を困らせていました。そのズレは噛み合うことがないまま大人になり、紆余曲折を経て(それはまた別の機会に)病名が付けられ、障害者手帳を取得するに至っています。

人との約束や課題の締切など、すべきことが分かっていても、なかなか予定通りに行動できません。協調性がなく、基本は「ぼっち」です。
学校ではイジメにもあっていたのに本人は気づかず。転校するときに貰った謝罪の手紙で、人から嫌われていたことに気付かされました。
自分を護るため、壁をつくり雑音が入らないようにしていたのだと今は分かりますが、当時は他人に興味がありませんでした(興味を持たないようにしていました)。

大人達はわたしの扱いに困り、叱ったり厳しくしたり試してみるものの、マイペースぶりは増すばかり。夏休みの宿題もたいてい泣きながらやっていましたが、この記事も企画の締切最終日の夜に書いています。わざとそうしているのではありませんが、いつも何かとギリギリです。

日々トレーニング

わたしは小学生のときに演劇を学びはじめました。
目立ちたかったのではありません。ざっくり言うとコミュ障で会話は苦手でしたが、台詞を通してなら人と関われる気がしたんです。吃音症も改善したくて、発声練習をコツコツとやりました。
文章などで表現することも、わたしにとっては人間らしさを保つトレーニングです。ある時期から短期記憶が苦手になってしまったので、書き記すことはとても大切な習慣です。

絶望からはじまった人生

こんなことを言うと妄想だと笑う人もいるかもしれませんが、わたしはオギャアと産声を挙げるまでは言葉の要らない以心伝心の世界にいて、そこからずっと自分の家族を見ていました。

ここ十数年で「胎内記憶」という言葉が知られるようになりました。生まれてくる前の記憶(場合によっては前世のようなものだったりもする)を持った子供たちが一定数います。それを部外者がどう思うかは別問題として、胎内記憶を共有することにより、家庭内の癒しとなるケースがあります。

わたしは生まれる前、人々とは言語外のコミュニケーションを取っていて(テレパシーのようなものです)、両親ともお互いに合意の上で家族になりました。しかし、人の種として母の子宮に降りたときに、全てが「なかったこと」にされ、わたしは絶望します。

真っ暗な空間で、外からの声は聴こえますが、わたしの言葉は届きません。コミュニケーションがまったく取れなくなりました。実はそうなることも納得してわたしたちは人間になるのですが、当時はその事を忘れていました。
約束と違う!なんか揉めてるし、どういうことなの?とパニックです。自分で決めたシナリオにも関わらず、まんまとハメられて混乱し追い込んで、ドMなストーリー展開を演じました。

そんな自作自演のコントみたいな日々を過ごしていたわたしが、わざわざ演劇を学ぶなんてギャグでしかありません。それでもその時は精一杯真面目に取り組んでいました。自分自身を思い出し取り戻すための、大切な歩みです。

ただ認めてほしくて

周囲と上手くコミュニケーションが取れず、日々の言動から変人扱いされていたわたしは、自己肯定感が異常に低い少女時代を過ごしました。

絶望からスタートした人生だったので、アルバムを見ると渋い顔をした写真が多くて面白いです。
祖父母などチヤホヤしてくれる人もいましたが、厳しい親を演じてくれた父からは、「家族と言えど他人」「自立しろ」と言われ続けます。母も育児放棄ぎみでフォローしてくれません。
そんな彼らから認められたくて、わたしはひたすら迷走しました。

初めの頃は、スポーツや勉強で良い成績を取ると褒めてもらえました。それがそのうち当たり前になり反応してもらえなくなると、意欲を失っていきます。

何がトリガーになったかは忘れましたが、心がポキッと折れる瞬間がありました。その時から良い子になろうとすることが虚しくなり、自堕落さに磨きがかかります。
謎の自分探しの旅が始まり、手当り次第に色んなことを試してはやめ、思いつきで行動する様子は、飽きっぽく根気のない人に見えたかもしれません。

わたしも自分のことを中途半端なダメ人間だと責めてきました。でも様々な体験をした事が糧となり役立っているので、どんな事でもとりあえずやってみなよ!と、今は自信を持って言えます。

波乱万丈がお好き

自作のシナリオを演じ楽しんでいたわたしは、二十歳の頃ある事件に巻き込まれます。
自己愛が強すぎる人は、乗り越える自信があるからこそ物語の障害物を盛大に演出しがちです。我ながらとんでもない変態だと思います。

その事件は大きなトラウマとなり、長い間心身を蝕み続けました。しかしそれは、わたしにとっては重要な過程でした。
大きく飛躍するためには助走をします。助走のためには後退することも必要だし、跳ぶ直前には身体が沈みます。そんな動きが、わたしの中と外で起きただけのことでした。致死量ギリギリの劇薬を飲んで起爆剤としたようなイメージです。

ショックな出来事に自分を見失い、現実から眼を背け、わたしは思考を停止させました。それは脳の機能に異常をきたします。忘れよう忘れようとするあまり、覚えていたいことも忘れてしまいがちになります。
生まれる前のことを覚えているくらいなので、本来異常に記憶力が良いわたしです。忘れる能力がほしくてトリッキーな方法をとったのだと思います。

今は新しいことを覚えるにはすごく時間がかかるし、習慣化するまでが大変です。細々としたことが抜け落ちるので、日常のごく当たり前のことが当たり前のようにできず困ることもあります。

そんな生活にも今は慣れてきて、不便なりにどうにかこうにか生きています。(細かいエピソードはいつか機会があれば書きますね)

わたしという神様

少し時計を戻します。
自分探しの旅の途中で、わたしはある人と出逢いました。見えない世界とこちらを繋ぐお手伝いをしている、沖縄では「神人(かみんちゅ)」と呼ばれるような存在です。

血縁関係はありませんが、魂の家族みたいなイメージで、離れていても繋がりあっていることを感じられます。わたしが日頃カタチにしきれない内側のものを、言語外のコミュニケーションでやり取り出来る方の一人です。

「無理に喋らなくても大丈夫よ」
というのが最初に受け取ったメッセージでした。
あ、それでもいいんだ、とすごく驚いたのを覚えています。

様々な偶然を装い、避けようのない力に導かれ、その方とわたしはご一緒することになりました。胸に刺さったのは「なんでそんなに自分を虐めるの?」「人のせいにするのはやめなさい」と言われたことです。

そして念を押されたんです。
「これはわたしがあなたに言っているのではありません。“あなた自身”があなたに対して言っているんですよ」

わたしがわたしに伝えようとしたことが腑に落ちるまで、かなり時間がかかりました。たくさん反発もしました。
お陰様で、今は自分の放った言葉が身に沁みて分かります。

様々な演出を経て、わたしは自分自身を愛していたことを思い出しました。この世界で共演してくれている皆さんを含め、本当に感謝しかありません。

逃げたっていい

沖縄のお母さんが、わたしからの言葉として、わたしを勇気づけたものはたくさんあります。その中で特に大切にしているものを皆さんにもお伝えします。

「あなたがわたしを裏切ることがあっても、わたしはあなたを裏切りません」
「いつでもここにいらっしゃい」

絶対的に信頼できる存在があること。
逃げてもいい場所があること。
それを確信できたことが励みになりました。

頑張って頑張って頑張り続けて張り詰めて限界を超えそうなときに、上手くいかないモヤモヤもひっくるめて、許され受けとめてもらえたことで、肩の荷がおろせました。

そんなこんなで、自分を虐めるドMな物語を演じながら生きてきたからこそ、今は笑っていられます。
こんな話を聞いて、なんのこっちゃという方もいるでしょうが、ご縁がある方に必要な時に届けばいいなと思っています。

かつてわたしがわたしに言ったように、わたしもあなたに言いつづけます。
あなたは今も充分に素晴らしい。
もし何か辛いこと、納得できないような理不尽なことがあったとしても。いつか必ず、なるほど!と腑に落ちるときがきます。

言葉ではあらわしきれませんが、わたしはあなたの素晴らしさ、美しさを知っています。
また、違うエピソードを通して、わたしたちの面白さ素晴らしさを、お伝えできたらいいなと思っています。

またお会いしましょう。

愛( i )をこめて。
わたしからわたしへ。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

追記:

この記事を書いている間、タイトルも内容も二転三転。
そしてここに落ち着きました。

ふと一息ついて、
父の命日が近づいていることを思い出しました。
そっかそっか、そういうことか。
いろいろ思い出させてくれて、ありがとう。

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