年末年始について
久しぶりに文章を書きたくなったから、
年末年始について少し
世のクリスマスはクソだ、
街中がキラキラとたくさん電気を使い、
輝いている。
イルミネーションとかいうやつも嫌いだ。
何かを祝福してるようだが、
電気代の無駄遣いじゃないか?
何を祝福してるというのかね。
サンタも神様もアンパンマンも居ないのに、
何がクリスマスだ、気持ち悪い。
クリトリスの方が気持ちがいい。
だが、年末年始は違う。
年末年始は楽しかった。
日本酒とお魚、もんじゃ、お芋を
いっぱい食べて、焚き火をしたり、
気持ちの良い音楽を共有したり、
真冬だというのに川に足を滑らせて、
焚き火で靴下を乾かしたり、
お風呂とサウナに入って、温かい靴下を
買って、神社でおみくじを引いたり、
まったりで気持ちの良いお正月を過ごした。
新しいお友達も出来て、嬉しい。
クソしょうもないクリスマスや、お正月も
周りのおかげで楽しく過ごせた。
まあ実際のところ、
記憶が曖昧であるというのが本音だ、
楽しかったという記憶の断片だけが残っている。
新年が始まり、少し経ったが、
何の変わり映えもない。
土曜日はお友達と美術館へ行った。
版画というものに興味が沸いたので、
版画の勉強をしたいと思った。
その後、
喫茶店でコーヒーを飲んで、
夜は行きつけのカフェに行き、
贅沢な1日を過ごした。また喫茶店も美術館も
行きたい。自分が大好きだな、と思う
お友達が出来て嬉しい、そんなお友達と
1日を過ごせたことを有り難く、幸せに思う。
坂本龍一も久石譲もハクスリーも
ブコウスキーもバロウズも
死んでしまった。
私が知る前に死んでしまったじいさん
ばかりだが、そんなじいさんたちが好きだ。
生命の死というものはどんな人間、
生物でも避けられない。
超自然な力というものはどんな、だろうか。
自分の目の前に起こる出来事が
神などいないのだということを物語っている。
自分の意思とは無関係にこの世に生を受け、
自分以外の何らかの力、意思によって
死を受け入れなければならない。
この世に生を与えられた
限られた時間だけ
好きなように自分の意思によって、
行動してもいいんじゃないの?
自分の気持ちを偽ることなく、
自分の行く末を他人に押し付けることなく、
行きたい場所へ行き、沢山の人と出逢い、
沢山の人を愛し、沢山の別れを経験をして
こそ、愛のある人生ではないだろうか。
死目に後悔のない生き方をしてこそ、
胸を張って生きたと言えるのではないか。
人は何処から来て何処へ行くのだろう。
日曜はお昼まで寝てしまって少し喧嘩した。
お昼をひとりで食べに行ってしまったので、
私はその事で夕方まで
ひとりネチネチしていた。
その後、たつやくんが震えて帰ってきた。
風邪をひいてしまったようだ。
私がうつしてしまったかもしれない。
夜はキムチ炒飯を作ってくれて、
久しぶりにまったりお家デートをして
過ごした。特別何かしたわけではないが、
好きな人と過ごす1日は
なんて幸せなんだろう、
そしてなんて早いんだろうと思った。
美味しいご飯をいつもありがとう。
昨日、月曜日は成人式だったみたいだ。
私は成人式をやっていないから
妹の振袖写真が送られてきた時、
とても羨ましく思った。
朝から優雅にコーヒーを淹れて、
相模原のトレファクでカリンバとベストを
ゲトり、お昼はゴジラバーガーを食べながら、
トランスフォーマーを途中まで観て、
一緒にお風呂に入って髪を刈って貰った。
髪を刈るのはとても気持ちがいい、
一種の儀式のように思う。
夜は早めに寝ようと思い、布団に潜るが
眠れなくて1人でビールとたつやくんの
お母さんが買ってきてくれたホッケを食べた。
オッサンみたいだが、
大人って幸せだな、と思った。
ビールで気持ちよくなり、ベッドで
横になりながら、私の黒歴史を
見られて、とても恥ずかしくなった。
恥ずかしいことは好きだ。
だがそういう恥ずかしさとは少し違う。
舐めたクソガキ時代は自分自身でも
思い出したくないような過去ばかりだ。
舐められたり、馬鹿にされたりすることも
しばしばあるけど、みんなのおかげで何とか
成長しつつある、あると思っている。
夜中の2時近くまで夜更かししてしまって、
今日の朝は起きれなかった。
2度寝3度寝を繰り返しているうちに
遅刻の時間になってしまって、
会社をズル休みをした。
仕方がない、ゆっくり休んでもいいじゃん、
ということにして、もう少し寝ることにした。
お昼前にお腹が空いて、起きた。
軽く準備をし、行きつけのラーメン屋で
ルージャン麺、と半ライスおかわりして
店主の無愛想な対応と、その奥さんの
暖かくて優しい対応がとても心地よかった。
帰りにアイスを食べて、家に帰ると、
布団に犬がしょんべんを漏らした。
洗濯をしてやり、たつやくんはお昼寝をし、
私は勉強をした。
陽も落ちてきて、私は丘の上から
元いた場所に戻らなくてははならない。
また来年も一緒に居ようねとか、
絶対結婚しようね、みたいな確信もない
口約束より、再来週また会おうね、
ときわめて重要な話を交わして、
駅まで送ってもらい、バイバイした。
昨年、食に対して関心を持てるようになった。
コーヒーをブラックで飲めるようになったり、
ビールや日本酒を嗜めるようになったり、
子供の頃から骨や種を摂るのがめんどくさい、
という理由で食わず嫌いしていた魚や果物も
少しずつ食べれるようになってきている。
2023はそんな一年だった。
いろんな場所へ連れてって貰い、
いろんなものを食わせて頂いて、
いろんなひとに会わせて貰った。
今年は食の勉強をしたいな、と思っている。
ガキや大人は嫌いだけど、
好きな人や素敵なお友達に囲まれて、
生きていることに幸せを感じる。
そんなお友達もいっぱい出来て、
いい年末年始、いい一年だった。
昨年出会えなかった人にも、
今年は会えるといいな。
明日からまた憂鬱な日常が始まるけど、
みんな気持ちの良い一日、にしてね。
みんなにとって最高の一年になりますように。
別に読んでも気持ちの良い文章でも
何でもないけど、
一瞬一瞬、後悔のない日常を刻んでいこう。
年末年始どころではない内容になって
しまったけど、
生きるって単に気持ちの良いことのように思う。
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