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東近美、特別展を書くか、コレクション展を書くか

ここを訪れると、よくそれに悩む。


* * *

今回は通常の展覧会レビューではなく、実験的な記事です。そのため、かなり自己満足的かつお見苦しい文章です。写真もちょっとだけです。それでもお読みいただけましたら、ありがとうございます。冒頭で御礼申し上げます。

#caution

今回、まず、特別展「中平卓馬」展を観たくて足を運んだ。最近写真展に対する関心が高まっているため。

そして折角来たので&特別展のチケットで見れる&もともとここのコレクション展は素晴らしいので、当然コレクション展も見ていく。

ここ東京国立近代美術館(MoMAT)の特別展を見るときは、こうなることを見越して、極力大きく時間がとれる日時に来ることにしている。

余談

そして鑑賞後。
私は、展覧会で、「おっ!」あるいは「えっ?」と思うモノ(あるいはコト)に出会えたり、全体を通じて一定以上得るモノがあったあるいは一定以上楽しめたと思えたら、なるべくこのようなレビューをnoteに書くことにしている。

なお、「ウッ…」な展覧会のときは、noteは起こさない。ただし、「閻魔帳」(非公開)にはその有様は書き留める。観察記録として。

補足

で、今回。特別展「中平卓馬」展とコレクション展、どちらも案の定基準はクリアしており、どちらもnote書いておきたいなぁ、となる。


馬力があれば、両方書くのもありである。昨年の大竹伸朗展は、そうした。ただ、正直骨が折れる。楽に書こうとすると、「手抜き」「雑」な記事になりその微妙な出来に「なんで私わざわざこれ書いてんだっけ?」的な自己嫌悪に陥りそうで、躊躇われる。

なお、昨年の大竹伸朗展のときは、特別展200点、コレクション展150点(満点は100点)だったので、その熱量でなんとか書けた。書ききった。
また、そのような評価だったので、大竹伸朗展「から」(大竹伸朗展をメインに)書き、それに付け足す形でコレクション展について触れる書き方をした。まぁ鑑賞順なんですが。

補足

ビジネス的なロジックでいくなら、どちらがより書くに値するか判断し、そっちに注力して書くという流れになるだろう。しかし今回それはやらない。そのやり方にオモシロサを感じないという点もあるが、そもそも今回鑑賞した特別展とコレクション展は、レビューnoteを書くという点においてどっちにするか甲乙つけがたいからである。なので正確には「やらない」ではなく「できない」と書くべきかもしれない。ややこしいのは、点数的に均衡しているからそうなのではなく、今回は両者で評価軸が違いすぎて同じ土壌に上げられないのである。。


で、結局どうするか。

今回は、
~どうして「今回鑑賞した特別展とコレクション展は、レビューnoteを
 書くという点においてどっちにするか甲乙つけがたい」のか~
についての考察/解説いいわけをテーマに書くこととした。ある種の「メタレビュー」である。



* * *
以上、異様に長くなったが、本稿のテーマ設定(説明)
ここから本編

どうして「今回鑑賞した特別展とコレクション展は、レビューnoteを書くという点において甲乙つけがたい」のか の考察

まず、今回特別展を見に来たのだから、そっちを書く、という名義大分は立つ。しかし、個人的にどちらの方が楽しめたかと言うと、コレクション展の方である(あくまで個人的な感想であり、展示内容の優劣では全く無い)。それならコレクション展の方を書けば、となるがしかし、今回コレクション展を楽しめたのは、ひどく個人的状況が背景にあったからである。どういうことかというと、ごく最近別のところで見た作品あるいはほぼ同じ作品とここで予期せぬ再会が連発し、「おやまぁ、またここでもお会いしましたねぇ。お元気ですか?」的な愉快さが根底にあったのである。


例を挙げる。

今回コレクション展の11室「あるがままのもの」では、目玉の一つとして、李禹煥《線より》1977年 が展示されていた。これ、昨年秋福岡アジア美術館で最高のコンディションで堪能したのである。noteにも書いた。

また、5室「アンティミテ」で展示された 土方久功の《猫犬》1974年。この会場のそれはブロンズ像だが、数日前に世田谷美術館でこれの木彫版を鑑賞し「いいな」と思ったばかりなのである。なお、世田谷美術館の木彫は写真は撮れなかったが、こっちのブロンズ像の方は写真が撮れて、そのあたりもちょっと嬉しかったりした。

これなら、犬派も猫派も安全!!
世紀の大発明、《犬猫》

なので、コレクション展について書くなら、こんな感じでごく私的な状況ゆえ楽しめた点をダラダラ書き連ねることになる。「鑑賞したその楽しさを伝える」タイプの記事という方向性はむろんありだが、今回のコレクション展でそれを書くと、ほかの人にとって再現性はない内容になる。鑑賞の楽しさを軸に書くとするとほかに気になる点もある。それは、特別展「中平卓馬」展の方も、結構観覧者の食いつきは良い感じだったのである。じゃぁ、自分というより他の観覧者がどのように作品や展覧会を楽しんでいたかを重心にして書くか。しかしまたここでも、何か引っ掛かる。思うにそれは、同じ写真ジャンルでも、私的にはコレクション展のそれの方がより楽しめており、にも関わらずそれには触れず特別展の方の写真を取り上げるのが、なにか不誠実だな、と。なぜ特別展の写真よりコレクション展の写真の方が個人的に楽しめたかについても考察はできるのだが、、、もうこれ以上考察の堂々巡りを展開するのはきつく、ここでギブアップさせていただく。多分、おそらく、考察の「底」までは、ここでまだ中間地点ぐらいな気がする。


締め。結論的なものはないが、オチはある。

さて、考察について、途中棄権(ギブアップ)した。そのため今回の記事に結論的なものは、ない。

しかし、実は、オチは、ある。


MoMATで鑑賞を終え帰ろうとすると、必ず目にする「次回予告ボード」。なんと、10月からの企画展は、「はにわ」「土偶」。これは、MoMATからトーハクおよび國學院大學博物館への挑戦状か。そして、この宣伝が、私にとってこの日1番のインパクトだった。

ありがちかもしれないが、埴輪と土偶の英語表記はそのままなことも、知った。


ミュージアムグッズの中でも特に気に入っているモノ
日用品として日常を彩ってくれている。


以 上


誠にありがとうございます。またこんなトピックで書きますね。