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「2つの鑑定で再審請求審に挑む」飯塚事件(9)

※この記事もややブラックなユーモアの表現を含みつつ考察することをお許し下さい。

 さて、ものすごく開かれること自体が難しい再審請求だが、再審を開始できるためには以下の要件を何か一つでも満たす必要がある。

 再審の請求は、左の場合において、有罪の言渡をした確定判決に対して、その言渡を受けた者の利益のために、これをすることができる。
一 原判決の証拠となつた証拠書類又は証拠物が確定判決により偽造又は変造であつたことが証明されたとき。
二 原判決の証拠となつた証言、鑑定、通訳又は翻訳が確定判決により虚偽であつたことが証明されたとき。
三 有罪の言渡を受けた者を誣告した罪が確定判決により証明されたとき。但し、誣告により有罪の言渡を受けたときに限る。
四 原判決の証拠となつた裁判が確定裁判により変更されたとき。
五 特許権、実用新案権、意匠権又は商標権を害した罪により有罪の言渡をした事件について、その権利の無効の審決が確定したとき、又は無効の判決があつたとき。
六 有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。
七 原判決に関与した裁判官、原判決の証拠となつた証拠書類の作成に関与した裁判官又は原判決の証拠となつた書面を作成し若しくは供述をした検察官、検察事務官若しくは司法警察職員が被告事件について職務に関する罪を犯したことが確定判決により証明されたとき。但し、原判決をする前に裁判官、検察官、検察事務官又は司法警察職員に対して公訴の提起があつた場合には、原判決をした裁判所がその事実を知らなかつたときに限る。

刑事訴訟法 第435条

 これらのどれかを満たさなければ再審が開始されることはない。つまりは正攻法でいくならば新しい証拠を示し、裁判で認定された証拠をひっくり返すほかない。そのため、無罪にできるほどの完璧な証拠が出てこない限り、日本で再審が開始されることはないのだ。そう考えると、状況証拠だけで構成されたこの事件をひっくり返すことは不可能なのではないかと感じてしまう。
 この再審請求にあたり、弁護側は目撃証言の信憑性を問う厳島鑑定と、DNAの信憑性を問う本田鑑定により戦いを挑んだ。

●厳島第2次鑑定書決戦
 そもそも、厳島第1次鑑定に対しては以下のようないちゃもんがつけられていた。
 ①4月の桜の季節にやった実験は車がよく通るから冬の全く通らない時と違うでしょ!
 ②実験の車は後輪の小さいダブルタイヤじゃなくて普通のワゴン車の横にもう一つタイヤを置いただけでしょ!
 ③実験の時には対向車が平均約30秒に1台もあったからそんなに注意がいかないでしょ!
 とゴネられ「実際に不審車両を目撃した条件とは異なっているため、結果をもって供述の正確性に疑問が生じるということはできない」と結果を切り捨てた。

 T田は、不審車両を目撃した当時、その従事する仕事の関係で、八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあり、実際、平成4年2月には、20日以外に12日にも目撃現場付近を通行したことがあったものである。また、T田が不審車両を目撃した際に運転していた車両は、T田の勤務先が保有する車両であり、T田にとって乗り慣れていると考えられるものであった。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 「その被験者は毎週八丁峠を通行してねーし、乗り慣れた車じゃないじゃん!」とその違いをさらに指摘し、目撃者にとって八丁峠は「藤原とうふ店の配達ぐらい熟知してるから、ハンドルを離して見れるぐらい余裕だし、いつものハチロクだし」と言い出した。
 もはや論点が違う。目撃者はサヴァン症候群(写真のように記憶ができる人がいる)などではない。そもそも厳島実験では「普通の人間ではそこまで沢山の項目を記憶することが難しい」と述べているのだが、厳島第2次鑑定も否定された。

 これに対し、嚴島第2次鑑定書は、目撃者をT田に似せることはできないので、能力も性格も異なる多くの被験者を用意して、その記憶の成績の分布によりT田供述の確からしさを検証するとの方法を用いたとするが、上記のような重要な条件の相違をかかる方法によって補うことができるかは疑問である。また、嚴島第2次鑑定書は、T田は目撃現場付近の道路を通行することがあったが、被験者はこの道路を通行した経験を有しないことに関して、「被験者はT氏の経験する干渉効果からは免れることになる。よって、本実験結果は実際の日常での経験によって得られる結果よりも優れることが予想される」と説くが、十分に納得できる合理的根拠が提示されているとはいえない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 どれほどすごいのだろうかT田さん。飲食店に入ると客の外観と非常口を瞬時に記憶できるジェイソン・ボーン並みの記憶力だ。反論を受けて厳島教授はわざわざ第2次実験では
 ・被験者が走行する距離を短くし、
 ・被験者が運転する車両をオートマティック車にし、
 ・被験者の半数の者に対し「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」と指示すら行っている。
 にも関わらず、ほとんどの項目について覚えていられなかったのだ。
 短期記憶を保持できる数はすでにわかっており、心理学者ミラーにより「マジカルナンバー7」と呼ばれ、7±2個との研究結果が出ている。しかし、T田さんは実に15以上の不審者と不審車両の特徴を記憶していた。不思議がいっぱいなのだが、結局、以下のような結果が出された。

 その他、嚴島第2次鑑定書が、T田供述の正確さについて疑問を抱かせる理由として種々指摘するところを検討しても、T田供述の信用性は揺るがない。以上の理由から、嚴島第2次鑑定書、K3報告書及びK1報告書には、いずれも、明白性は認められない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 明白性とは、「新たに発見された証拠が、判決の基礎になっている事実認定に影響することが明らかであること」を指す。つまりは、この程度ではT田さんの言ったことは全て信頼できることとできるわけで、それならやっぱりワケハゲさんはどこに行っちゃったのだろう。

●科警研の変
 本田鑑定書では血液型鑑定とMCT118法に関する物言いが入る。 
 本田鑑定書では、
 ①血液凝集反応はあくまで定性試験であって定量試験ではない。酒井・笠井鑑定が血液凝集反応に強弱を血液型判定に持ち込んだことは完全に誤っている。
 ②血液型判定の判断の根拠となる写真が添付されておらず、検査結果に客観性が保証されていない。
 ③被害者B山のMCT118型のいずれのバンドも増幅されていないから、被害者B山の血液がA子に混合していた可能性は完全に否定される。
 ④抗B抗体に強い反応を示していたことが正しいとすると、被害者B山にないB抗原を有する血液が被害者B山の血液を凌駕するレベルで多量に混合していたことになるが、MCT118型では被害者B山の型以上に被害者両名以外の型が濃いバンドとして増幅されているという結果は得られていない。
 ⑤血液型検査に比べて、DNA型検査の方が資料を多く必要とすることや、検査の鋭敏さにおいて劣るなどということはあり得ず、むしろ、後者の方が資料は微量で済み、かつ鋭敏である。そのため、血液型が検出された混合資料についてDNA型が検出されないことはあり得ない。
 という点について指摘している。
 これらに対して、再び伝家の宝刀「屁理屈」が展開される。

 本田教授の上記指摘は、酒井・笠井鑑定の基礎資料を再鑑定した結果に基づくものでないことはもとより、血液凝集反応の強弱を考慮する手法の問題点を明らかにした実験結果等に依拠するものでもなく、血液型鑑定の一般的な性質のみに基づいて酒井・笠井鑑定を論難するに過ぎないものである。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 「事件の資料を実際に分析した訳でもないし、血液型の一般的なことを言ってるだけでしょ?」と訳のわからない理論を展開し始めた。

 酒井技官は、科警研において、長年、血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者であるところ、(中略)体液と血液の混合資料から、赤血球の血液型物質の主成分である糖脂質を抽出して血液型を検出し、両者の比較を行い、反応の有無・強弱を5段階に分けて、それぞれ凝集反応を確認し、通常の生来的なAB型の凝集反応の現れ方との違いの観点から検討したというのであって、現実に観察された血液凝集反応に、豊富な自らの経験を当てはめて判断したものといえるから、その判断結果は合理性を有するといえる。なお、被害者両名の血液型等を検査した福岡県警察科学捜査研究所の林葉康彦技術吏員も、「木の枝付着の人血につき、A型とB型で強弱があったことをはっきり覚えている。A型の凝集反応の強さを1とすると、B型の凝集反応は3くらいの凝集だった」旨供述している。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 「現実に観察された血液凝集反応に、豊富な自らの経験を当てはめて判断したものといえるから、その判断結果は合理性を有するといえる」らしい。
 どうやら科警研では凝集反応の強さに基づいた混合資料のガイドラインがあるようだ。そうでなければ、個人の経験に基づく判断によってB型と判断されたことになる。経験に依るものであれば人によってその判断は違い、それに客観性が有るかどうかはわからないとしか言いようがない。取って着けたかのようにもう1人の技官も似たような証言をしているが、少なくともこの血液型鑑定は客観性のあるものではない。
 もう一度言う、血液型鑑定の犯人とされる血液型の出現は、客観的判断によるものではない。科学的根拠に従ったものではなく、経験則による判別であった。経験が豊富であれば、結構大丈夫らしい。

 また、資料(1)ないし(5)のいずれにも、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められたというのであるから、検査ごとの偶然の偏りとは考え難い。
 解離試験法は、血痕資料に抗A、抗Bなどの抗体を加えて血痕に吸着させ、吸着していない抗体を洗い流した後、血痕に付着させた抗体を解離させて、そこに型の分かっている赤血球を加えて型判定をするものであるから、血痕資料に含まれている元の抗原の量によって、凝集反応の強さに差異が生じることは不合理でなく、酒井技官が長年の血液型判別に関する研究及び実務に基づいて凝集反応の強弱から行った判断に誤りがあるとして採用しないとするのは相当でない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 この技官はどれだけ血液型のプロフェッショナルだったのだろうか。何度でも言うが凝集検査は定量ではなく、定性検査だ。
 さらに、混ざってしまったものからつまみ出した部分に元の分かれる前の資料がどれだけ入っていたかなんて誰もわかるわけがない。コーラとペプシを混ぜて飲んだ時に、「コーラが4割だな」など誰がわかるであろうか。さらには、血液型によっては混ざると凝集を起こすものもあり、すでに凝集していたかもしれないのだ。何がどれだけあったかは、もはやわからないし、それを討議する意味はおそらく、ない。
 それでも、犯人が1人であるとすれば、B型としか考えられないと、もはや恋に落ちた乙女のように盲信している。

 この点について、酒井・笠井鑑定は、資料(2)及び資料(3)(被害者A田の膣内容物及び膣周辺物)について、血液凝集反応の強弱を考慮して、O型(被害者A田に由来する)とB型の混合に微量のA型又はAB型が混合しているものと鑑定し、確定判決は、これを踏まえて、これらの資料に含まれるB型は犯人由来のものとみるほかないと認定しているのであって、A型物質が被害者B山由来のものであることは、犯人の血液型をB型と特定する理由とはされていない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 なぜか反応の強弱が考慮されちゃって、さらにA型物質がB山由来のものとされちゃって、「残りはB型」と判断されてしまう。
 そして検察は「私たちは別に特定はしていない、裁判所が判断したでしょ」と全力で人のせいにしている。まるで子供の喧嘩のようだ。さらに不可解な言い訳は続く。

 次に、資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかなく、犯人が1人であるとすれば、その血液型はAB型であるとする点についてみると、この指摘は、酒井・笠井鑑定の血液型検査の結果をもとに抽象的な推論をしたに過ぎないものであるから、酒井・笠井鑑定の信用性を低下させるということはできない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 理解ができない。抽象的推論というのならば、B型としたことも主観に判断を委ねた経験則に基づく推論だ。
 どちらかわからず、AB型かB型と言うなら、少なくとも死刑にできるほどの証拠とはなり得ない。鑑定の信用性を述べているのではない。結果を考えるとAB型が自然だと言っているのだ。

 なお、本田教授は、当審における証人尋問において、資料(1)によれば犯人の血液型はAB型であるとも証言しているが、その根拠は、通常は、血液型判定は単独資料を前提にして行うものであり、資料(1)については混合資料であるという前提もないので、AB型と読むのが一番合理的であるというに過ぎないものであって、当該資料の採取状況などの客観的な事実を考慮に入れていない点で、説得的なものとはいい難く(資料(1)のMCT118型鑑定において4本のDNAバンドが検出されていることからすれば、資料(1)は混合資料であると認められる。)、上記証言も採用できない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 やはりMCT118法の結果が混合資料とする最も大きな根拠なのだ。最も合理的なものが最も信用に値するのは当然だ。さらに、単独資料であればAB型と言うのなら、混合資料がなぜB型となるのか論拠が存在しない。
 一つも説明をしないまま「酒井・笠井鑑定の血液型鑑定に関する本田鑑定書等における指摘は、いずれも採用することができない」としているのだ。

●MCT118型鑑定の乱
 本田鑑定書では本田教授は以下のような主張している。
 ①DNA型検査をしたところ、久間氏のMCT118型は18-30型と判定された。久間氏のMCT118型を16-26型とした酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定内容は、型判定において誤りがある。
 ②酒井・笠井鑑定等は、被害者由来のDNAと、久間氏のDNAが同時泳動された写真がないため、客観的正当性がなく、証拠価値に疑問がある。
 ③さらに、酒井・笠井鑑定添付の電気泳動写真と酒井・笠井・佐藤鑑定添付の電気泳動写真を比較検討すると、泳動位置に違いがあり、被害者両名以外の型が16-26型であるとすれば、久間氏の型は16-27型と判定され、明確に異なっている。
 ④酒井・笠井鑑定の結果からは、被害者両名以外の混合が1人なのか、2人なのか、3人なのか、あるいはそれ以上なのかもわかっていない。
 ⑤「ポリアクリルアミドゲル電気泳動法」では、DNAは必ずしも分子量に従った流れ方をしないので、ポリアクリルアミドゲルで123塩基ラダーマーカーを使ってMCT118型を判定すると型判定を誤ってしまう。

●本田第2次鑑定書の内容
 さらに、本田第2次鑑定書は、酒井・笠井鑑定等に添付された電気泳動写真のネガフィルムを可視光及び近赤外光で撮影したデジタル画像データについて精査した結果を物申したものだ。
 ①酒井・笠井鑑定の鑑定書のネガフィルムのデジタル画像データでは、被害者両名の心臓血を含むすべての資料において、16型のバンドが検出されているから、16型のバンドは非特異増幅バンドないし外来汚染によるもので、犯人の型とは無関係のバンドである。
 ②前記デジタル画像データの資料には、41型、46型と見られるバンドが存在し、このバンドは被害者両名のみの血液資料からは検出されていないことから、犯人はこのバンドの型を有する人物の可能性が高い。
 ③前記デジタル画像データの分析結果によれば、26型とされたものは、資料のうち3つで辛うじて認められるが、これらですら、濃度が非常に薄いのみならず、被害者両名のバンドと明瞭にピークの分離がされておらず、意味のあるバンドであるか否かの認定が困難で、ゲルの固まりムラによる泳動中の増幅産物の解離によるアーチファクトバンドの可能性を否定できない。

 そのうち、特に疑わしい16型のバンドと、ネガフィルムにあった資料に写っていないバンドについて争っている。
 まず、犯人の型とされる16ー26型についてだ。本田鑑定では久間氏の型は18ー30型であり、科警研からの資料を分析すると16ー27型となり、何もかもが違うのであるが、以下のように反論される。

 事件本人の毛髪のバンドをデンシトメトリーで読み取ると、その上位バンドの数値は563.7ないし564.9などと、26型と判定するのが相当といえる数値であったのであるから、酒井・笠井・佐藤鑑定が行った型判定には、その当時の判断としては、疑問の余地はない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 いや、型がそもそも違うと言っているのだが「その当時」の判断では問題ないとしている。当時全ての資料は同じ条件のもとで揃えられているため、問題ないと。

 酒井・笠井鑑定の結果から犯人の型として解釈できる型は、犯人の人数によって異なり、酒井・笠井鑑定の結果のみからは、犯人の型を16-26型であると確定できないことは、本田教授が指摘するとおりである。
 しかしながら、酒井・笠井鑑定は、被害者両名以外の血液について、「おそらく、MCT118型は16-26型であると考えられる」と考察しているのであって、犯人のMCT118型を16-26型と断定しているわけではなく、確定判決も、これを前提として、「出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である」と判示しているのである。
 したがって、本田教授の上記指摘は、確定判決の事実認定を左右するものではない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 これは、どう読み解けばいいのだろうか。犯人が何人いるかわからない以上は「16ー26型ではない可能性について肯定した」ということだろうか。
 さらに、科警研の鑑定でも16−26型と「考えられる」としか述べておらず、最終判断は裁判所であり、さらに、「相当である」と言って煙に巻いている。もう再鑑定ができないからこそ、このようないい加減なことを言えるのだろう。

 本件においては、被害者両名以外の者(犯人)由来の血液が付着した資料は残されておらず、その再鑑定を行うことはできないから(なお、再鑑定のための資料を残しておくことが望ましいことはいうまでもないが、資料が残されていないからといって、それにより直ちに証拠能力が否定されることにはならない。)、アレリックラダーマーカーによる犯人の正確な型が事件本人の正確な型(18-30型)と一致するか否かを確定することはできないといわざるを得ない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 すなわち、再現はできない以上何を言われてもひっくり返すことができないため、その解釈はどうでもいいのだ。

 そして、すべての資料に認められる16型については、非特異増幅バンド、PCRでの外来汚染、泳動時の汚染又はその他の実験エラーに由来するエキストラバンド(関係なく出てしまったバンド)であると考えられ、犯人とは全く無関係のバンドであるというものと解されている。

 そして、資料(6)及び資料(7)に16型のバンド様のものが見られることについて、確定第1審の証人尋問において、酒井技官は、デンシトグラムの波形及び酒井・笠井鑑定のネガフィルムを見て、上記のバンド様のものは、いずれも、16型のDNAが混入したものではなく、よごれであると判断した旨述べ、笠井技官も、同様に、現像ムラか染色ムラと思われる旨述べているところ、関口意見書が述べるように、検査時に使用したエチジウムブロマイド溶液中に濃度ムラが存在している場合には、染色ムラによるバックグラウンドの発色が観察される可能性があることに加え、資料(6)及び資料(7)の16型付近のバンド様のものの形状等をも考えると、酒井技官及び笠井技官の上記判断にはそれなりに合理性があるということができる。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 つまりは16型の検出についてはDNAが由来でない可能性を科警研も認めている。

 酒井・笠井鑑定は、それぞれ別の資料である資料(1)ないし資料(7)を泳動させてその型を判定しているのであるから、資料(6)及び資料(7)から16型のエキストラバンドが検出されたからといって、その他の資料から検出された同型のバンドもすべてエキストラバンドであることが論理必然的に導かれるわけではない。また、本田第2次鑑定書によっても、資料(6)及び資料(7)から検出された16型がエキストラバンドであったとしても、その生成機序が具体的に特定されていない以上、資料(1)ないし資料(5)の検査過程に強く疑問を抱かせるということはできず、資料(1)ないし資料(5)の16型のバンドが、アレルバンドではなく、エキストラバンドである現実的な可能性が存在するとは認め難い。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 ただし、エキストラバンドであるという決定的な根拠がない限りはそうだとみなすことはできないと判示している。

 そして、証拠開示された切り取られていない部分のネガフィルムに写っていたバンド(X-Yバンドと呼ぶ)が被害者両名のみの血液資料からは検出されていないことから、犯人はこのX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高いはずだ。このバンド様のものが非特異増幅バンド(DNAを由来としないエラー)ではなく、犯人由来のアレルバンド(DNAを由来とするバンド)である可能性を否定できない根拠として本田教授は以下の点を挙げた。
(Ⅰ)自験例において、MCT118型に37-47型が実在することを確認していること、
(Ⅱ)このような高いバンドサイズ位置にMCT118型のエキストラバンドがあることは考えにくいこと、
(Ⅲ)特定の意味のあるサンプルのみにしかX-Yバンドが認められていないこと、
(Ⅳ)高塩基バンドにもかかわらず、同一部位に明瞭にバンドが見られることである。
 以上の根拠を挙げたが、以下のように切り捨てられる。

 (Ⅰ)についてみると、高分子領域においてもMCT118型が実在することは、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定しない理由の1つにはなるが、このことのみからX-Yバンドがアレルバンドである、あるいは、アレルバンドの可能性が高いと積極的に認める根拠になるものではない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 またもや同じ戦法だ。これがいいのなら、他のバンドもエキストラバンドの可能性があるわけで、もうどれもまともなバンドとは言えなくなってしまう。

 (Ⅱ)の点について検討すると、(中略)MCT118型検査においては、エキストラバンドは、しばしば、本来のバンドより高分子領域に観察され、42以上の型においても出現することが認められる。実際、資料(2)及び資料(6)には、X-Yバンドよりもさらに高分子側である、理論上75型以上の位置にエキストラバンドと認められるバンドが存在している(中略)指摘は、根拠となる実験結果等を示すことなく、X-Yバンドのバンドサイズ位置にエキストラバンドは生じるとは考えにくいとするものであって、採用することができない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 「そんなとこに出ることもあるから、まあそんなもんだよね」で終了だ。

 (Ⅲ)で指摘する「特定の意味のあるサンプル」とは、被害者両名の心臓血以外の資料を指すものと解されるが、被害者両名の心臓血以外の資料から検出されていることは、X-Yバンドがアレルバンドである可能性を示す理由の1つにはなるとしても、そのことから直ちにX-Yバンドがアレルバンドである、あるいは、アレルバンドの可能性が高いと認めることはできない。
 (中略)X-Yバンドが見られる資料(1)①、資料(1)②、資料(4)及び資料(5)については、16型と18型の双方が検出されているのに対し、X-Yバンドが見られない資料(2)及び資料(3)では、16型は検出されているが18型ないしこれに近接したバンドは検出されていないなど、バンドの出現状況が異なっていることに照らすと、X-Yバンドをエキストラバンドであると考えることにも相応の理由があるといえる。
 なお、弁護人は、渡辺論文はアレリックラダーマーカーを用いて16型と18型と判定されたものに関しての考察結果であることを指摘するが、上記のようなエキストラバンドの生成機序に照らせば、マーカーの相違がその本質的な点に影響するとは考え難い。そうすると、本田教授の前記Ⅱ(Ⅲ)の指摘は、抽象的な可能性を述べたものにとどまると評価せざるを得ない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 やはり後半戦は「あれもそうかもしれない」「これはそうかもしれない」の議論が続くだけだ。結局飽きてくるのだが、読んでいて一つだけ感じたことがある。結果を如何様にも考察できるものを、死刑の証拠として使ってはいけないのではないか、と。
 一応、酒井技官及び笠井技官は、鑑定時に複数回電気泳動を行っているらしく、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したところ、再現性がなかったため、エキストラバンドと判断したとしている。しかし、実はその証拠となる実験ノートは残っていない。

 なお、写真にMCT118法の結果の写真全てを載せなかったことを改竄行為と弁護側は指摘したが

 なお、弁護人は、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付の写真13は、X-Yバンドが出現している部分をカットすることによって、X-Yバンドの存在を隠ぺいしており、この隠ぺいは看過することが到底許されない重大な改ざんであるから、酒井・笠井鑑定の証拠能力は否定されなければならない旨主張する。しかしながら、上記写真のもととなった酒井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されているなど、酒井技官らに改ざんの意図があったとは窺えないことに加え、上記のとおり、X-Yバンドはエキストラバンドとする酒井技官らの判断に合理性が認められることなどからすれば、酒井・笠井鑑定がX-Yバンドが写った写真を添付した上で上記内容の説明を付さなかったことの当否はともかくとして、そのことによって酒井・笠井鑑定の証拠能力が否定されることとはなり得ない。

福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

 「いや、ネガはちゃんと保管してたから、別に改竄じゃないでしょ」と言い放つ。

 結局、あれこれ言っても、奈良の大仏のようにびくとも動かないのであるが、あまりにも科学的根拠に欠けすぎていたのか再審請求では「酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力については、より慎重な評価をすべき状況に至っている」と判示している。しかし、その程度では「確定判決における有罪認定について合理的な疑いが生じるということはできない」らしい。
 DNAの鑑定結果が怪しいと言うことは、確率の数字の一つがゼロになる可能性があるということなのだが、それでも久間氏の犯行であることは変わらないらしい。
 むしろ、何があれば判決が変化するのか、教えて欲しいものだ。

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