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【考え事】#02 -黙々。自分の強みについて

※この記事は、僕が思考を整理するためのものです。いわば独り言や日記のようなもので、他者にノウハウを伝えたり、ものごとを教えたり、アドバイスするためのものではございません。したがって、完全に個人の主観であることにご留意いただけますようお願い申し上げます。

希望としては、「あなたはいま、そう考えるのね。へぇ」くらいに軽くとらえていただければ幸いです。他人を否定・批判する意図はなく、また僕の考えを押しつけるものでもございません。



しばしば、考える。
自分の強み、自分にできること。
イラストを描ける人はたくさんいて、方向性は多岐に渡り、実力はすさまじく、上を見あげればきりがない。さらには、イラストを描くだけにとどまらず、動画編集ができたり、アニメーションがつくれたり、つきぬけてデザインに優れていたり……じつに多才だ。実際に活躍している方々を拝見していると、とりわけ2つないし3つほどの主武器メイン・ウェポンがあるように思う。

さて、では、そんななかで、自分が相手クライアントに提示できるものはなんだろうか、と。
ここで重要なのは、いったん先人のすばらしい方々のことは置いておくということだと僕は考える。上を見ながら自分の強みをさがすのは心が折れる。僕は自分の心をバキバキに折って喜ぶ趣向はもちあわせていない。可能性として第三者によって心を折られたら復讐する ※1 くらいの気持ちはほんのりとあるが――それはひとまず、置いておくとして。

※1 言葉は強いが、あくまでも気概である。実力を上げるなど、平和的かつ自らに有益なカタチの(他人に害をおよぼさない)復讐でありたい。

僕の強みをとうとうと考えていた。イラストについては先日の記事で公表しているが、では他になにが武器になりうるのだろうな、と。今回はとりあえず案出しくらいのかるい気持ちで、記録していこうと思う。
そんなわけで、人からいただく言葉を思いかえしながら、考え、しばしばいただく言葉のうち、以下の3つをとりあげてみた。


  1. 変態

  2. 興味があるものごとに研究熱心(貪欲)

  3. よく分析する


1.変態

これはまごうことなきほめ言葉だ。フェチズムをもつ者はフェチズムを見る。深淵をのぞく者は深淵にのぞかれているように、この「変態」という言葉を賞賛として僕に与えてくれる方々もまた、なんらかのフェチズムをもった変態 ※2 だ。すばらしいほめ言葉じゃないか。沼はちがえどなにかしらの変態性フェチズムを持つ者同士、諸手をあげて讃えあおう。

※2 ある種において造詣が深い・こだわりがあるという意味であり、とうぜんほめ言葉だ。おそらく他意はないと思われる。まぁ他意があってもいいか。どのみちほめ言葉だ。

2.興味がある物事に研究熱心(貪欲)

変態性があることは多少なりとも自覚しているが、この項目について、実はあまり自覚していない。ただ、いろいろな方(たとえば、血縁だったり、先生であったり、友人や知人であったりなど)から、長いスパンでこういった言葉をいただく。おそらくこれが僕の特徴なのだろう。中学校の通知表にも書いてあったし、幼稚園の連絡帳にも書いてあった気がする。昔から興味がある物事について貪欲であるらしい。身になっているのかはさっぱりわからん

自覚としては薄いため、これについては長期的に観察をおこなっていきたい。これについて事例は募集中なので、もしあればこの記事にコメントをよせていただければさいわいだ。

3.よく分析する

基準は人によってちがうのでどのていどか、ということは判断しかねるが、僕に分析するクセがあることは確かだろう。現にこうしてかなり長文を記している。

余談だが、僕は、感情や情緒がとりわけ不安定な思春期の時期に、日記を書いていた。内容といえば、今こうして記しているようなこととあまり変わらないような気もするが、感情と思考整理を目的としていた。これは、目の前のものごとにたいして、できるかぎり冷静な対応をしたかったから、という明確な理由がある。感情とものごとについての判断を分けて考える必要がある、と考えたわけだ。この試みはひとまず成功だったが、当時の僕は自分の感情を極端にないがしろにしてしまい、一時期「離人感」や「失感情」、また「過剰適応」におちいってしまったことがある(なお、この症状があらわれはじめて、数年後に鬱病と診断をうける)。このあたりの話は、当時の僕をとりまく状況などに触れたり、前後のものごとをお話しする必要があるので、今回は割愛する。今はいらん。
ともあれ、そういったことがあって、なにかものごとを分析することがクセづいていった自覚がある。ただ、そうはいっても僕の分析は僕の主観だ。僕が自覚していない、僕自身に存在する偏見や先入観はとうぜんあるはずで、ものごとは人によって見方も考え方もまるで変わることは、念頭に置いておきたい。――まぁ、理非を基準にしてつきつめることがいきすぎれば疲れてしまうため、あくまでもほどほどに。

基本的には、他者の考えを柔軟に尊重し認められるようでありたい、と思っている。そして、それはそれとして、僕はこう考えている、ということも大事にしたい。

さて、以上が今回とりあげた、僕に存在する3つの強みだ。
基本的に僕は、自分が考えていることを他者に開示したくない※3。
理由はさまざまあるが、ネットや公の場で、それも記録に残ってしまう場所でなにかを表明するということは、思わぬところから思わぬ言葉が飛んできたりすることもあるし、それが批判であったりすることも、とうぜんあるだろう(まぁ批判はさほど気にしないし、あまりにひどい場合は相応の対処をするが)。単純に、面倒が増える可能性があるから面倒なわけで。
ほかにも、あとから自分のいたらなさに頭を抱えたりもする。

※3 開示したくない、ということも本当は言いたくない。自分のネガティヴさは創作のエッセンスに利用するだけでじゅうぶんだ。もう他人に伝えるのは「おやつおいしい♡」だけでいい気もしてくる。というかそう思っているからTwitterでの生存報告がアイスを食べたとかプリンがおいしいとかになるし、最終的におやつを食べる性癖を語るかの二極になるわけだ。ひきこもってイラストを描いて、たまに空を眺めて奇麗だなぁなどと思いながらおやつを食べて「おやつがおいしい」という幸せをみなさんに伝えつつ平和に生きたい。なお僕はミスドのチョコファッションとゴールデンチョコレートが好きだ。

対人関係でもそうだ。僕が他者と話したいと思うのは、「なるほど君はそう思うのか。おもしろいね。僕はこう考えるよ」ということがなりたつ、という状況と関係性であり、端的にそれだけで終わればいいのだが、そうならないことが多く、気遣って気疲れしてしまう。ゆえに基本的に引きこもっている。我ながら難儀だ、とは思う。流動的に誰かとしゃべるのは苦手だ。本当に。

さらにいってしまえば、僕自身、心のどこかで他者に理解されなくてもかまわないと考えていることも確かで、しかし、これには不都合もある。だからこそ、こうしてあるていど開示したほうが、無用な摩擦や手間が減り、相手にとっても自分にとっても有益となる……かもしれない。僕は、他人に対してやさしく温かいわけではない※4 が、だからといって傷つけたり苦しめたいと思っているわけではない

※4 端的に、僕が自覚している僕自身の傾向。自己否定や卑下ではない。

もしかするとこの記事を見て離れていく人もいるかもしれないし、あるいは逆に僕に依頼をしようと思ってくれる方もいるかもしれない。それについては僕の知るところではないのだが、とりあえず大丈夫そうな方は気楽におつきあいいただければ僕もうれしい
むずかしいと思う方は無理せず僕から離れて、ご自分を大事にしていただきたい。できそうであれば、おいしいものでも食べてゆっくり寝て、好きなことをしてほしい。

さて、すこし話がそれてしまったが、こうして独り言を記録しているのは、現在の僕の目標が「自己開示をすること」だからだ。理由は先にお話ししたとおりで、もう少しつけ加えるなら、「人間関係においてドライであり、内向的な僕のことをおもしろいと言い、気長につきあってくれる人たちがいる事実」があるからだ。僕は彼らに深く感謝している。だから、ほんのりと自己開示に踏みだしてみるかと思い、試みている。
さて、どうなるかな。

次回があるかはわからないが、気が向けばまた黙々と思考の端切れを考え記録していき……いければいいなぁ。
僕がどういう人間かは、それぞれにご判断いただければさいわいだ。

2023.01.11 深海怜/寺谷まさとみ

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