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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第七回 テロリスト・ワナビーと老婆

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。鈴木は部下の暴力マニア田中と商品を住まわせる社宅の片付けをする。田中から昨夜の花火大会に紛れて小さな爆弾騒ぎが起きていたことを聞く。

「僕に言わせりゃあんなの爆弾とすら言えませんよ。最近のテロリストは爆弾マニュアルとかネットでバラまいてるんだから、それ見ればもっとデカいの作れるってのにな。向学心がないっていうか、つまんないっすね」

あらすじ


Chapter 6 テロリスト・ワナビーと老婆

 その夜は爆弾も花火に紛れて爆発していた。
 花火も爆弾も基本構造は同じだ。殻の中に爆薬を詰めて点火して、中に詰めた金属片が赤や緑に燃えながら飛び散って観衆を楽しませるのが花火で、殻の破片や釘やベアリング玉など思い思いの詰め物で周辺の人間を吹き飛ばすのが爆弾だ。
 爆弾魔は暇を持て余した16歳の少年で、爆弾は地味なものだった。そいつは人気のない雑居ビルの屋上で爆発させたからけが人も建物への被害もなし。
 事務所からそう遠くはなかった。俺もケーキを食いながらその爆発音を聞いていたはずだが、花火に紛れて気付かなかった。
 翌朝のニュースでそのアマチュア爆弾魔が補導されたことを知った。
 今日は社宅を整理しなければいけない。事務所の近くにある小さなワンルームマンションをフロアごと借り上げているのだが、物置代わりになっている部屋を開けて小夏を住まわせる予定だ。
 にわかに爆弾ファンになっていた田中は出てくると昨夜の事件についてまくし立てた。
「僕に言わせりゃあんなの爆弾とすら言えませんよ。花火をバラして集めた黒色火薬をコーヒーのスチール缶に詰めただけなんだからガキの頃にやった爆竹と大差ないですよ。最近のテロリストは爆弾マニュアルとかネットでバラまいてるんだから、それ見ればもっとデカいの作れるってのにな。向学心がないっていうか、つまんないっすね」
「そういう割には嬉しそうだな」
 俺は古雑誌を紐でまとめながら適当に相槌を打つ。部屋の中は使わない家電や女達が残していった衣類、雑誌、雑貨類で20㎡の室内は足の踏み場もない。
「プロ野球より高校リーグのほうが楽しいこともあるみたいなもんですよ。夏だし。そのガキ、16じゃないですか。花火ほじくってるのなんか想像するといじらしいっていうか」
 床に転がっている家電の中から小型テレビを引っ張り出し配線をいじり始めた。高校リーグを見るつもりらしい。
「いいから仕事しろよ。あとで飯奢ってやるから」
「いいじゃないですか、ほら、僕も球児だったじゃないですか。16の頃は毎日白球を追っていたんですよ。やっぱ夏になると思い出しますね」
 田中は一番センターの強打者として出場した地区予選決勝で、相手チームのキャッチャーを「さりげなく」フルスイングしたら野球部どころが学校までクビになった。そして今に至る。しかしマスク越しに前歯をへし折った感触が自分の原体験だという。こいつは歯科医になるべきだった。
 テレビがついた。一回戦、四回表にしてすでに5-0、ノーアウト満塁打順は四番。
 どの選手も炎天下で焦げた肌の色をしている。アップになったピッチャーの白い帽子と黄ばんだ歯が目立つ。自チームの負けはほぼ確定しているが、その表情からはなにも読み取れない。
 キャッチャーと何度かサインのやり取りをして頷き投球フォームに入る。球は外角ぎりぎりからストライクゾーンに滑り込んだ。バッターは見送り。2球目も同じコースを狙うが4番はすくい上げるように右方向へ流し打つ。攻撃側の歓声もやる気がない。
 ファーストが飛びつくがクラブにかするだけでかえって打球をイレギュラーにする。後で構えていたライトがもたついている間に走者が2人帰還。2点追加。
「あーダメっすね、このファースト。堪えがきかないっていうか、お前が守備妨害をしてどうすんだよ」
 興味をなくした田中がようやく働き始めた。ベッドに積んであった冬用布団を圧縮袋に入れて潰す。
 俺はひたすら本を紐でくくる。10代向けの表紙がキラキラした雑誌から安藤が読んでいる20代向けのファッション誌、漫画、古新聞、聖書まで。サイズごとにまとめる。近所のスーパーに来ている古紙回収は2時までだ。
 暑い。俺はワイシャツを脱いだ。雲ひとつない晴天だ。蝉が一斉に鳴き始めた。エアコンはあるがフィルターを掃除していないからあまり効かないし埃臭い。窓を開けても入ってくるのは裏の用水路の異臭だけだ。フロアは最上階の9階だが、ここまで匂いは昇ってくる。
「服なんかどうします?」
「夏物で、まだ着れそうなものだけは残して、あとは処分する」
 衣装ケースが3つ、ハンガーラックにかけられたコート類など全部まとめると30kgはありそうだ。田中がだるそうに衣装ケースに取り掛かる。
「こういうのは住み込みのばあさんにやらせればいいと思うんすよ。そのために雇ってるんだから」
「脚悪いのは知ってるだろ、あのばあさん。無理させて倒れられたら面倒なんだよ。どうせ保険にも入ってないし」
 赤線時代からこの街の住人であるキムという老婆だ。女達の身の回りの世話に雇っている。右脚をいつも引きずっていて、なにがあっても変わらない微笑みのまま淡々を仕事をこなす。
「そういえば昨夜の爆弾騒ぎだけど、なんでそんな詳しいの?」ニュースでは爆弾の種類までは言っていなかった。
「西口の交番のやつ、野球部の同期だったんですけど、ここ来る途中で前通ったらそいつがいたから聞いてみたら、そのガキを捕まえたのそいつだったんすよ」
「野球部って、お前のせいで活動停止になったんだろ。よく構ってくれるな」
「ま、なんだかんだ同じニシの生まれ同士ですし、お互い社会人になれば色々あって俺の気持ちもわかるようになったってことじゃないですか。後ろから上司の頭を撃つの我慢するの必死だって、飲みいくといつも言ってますよ」
「上司を撃ち殺すのと比べたらいくらかマシではあるよ」
「そういうことですよ。でもそいつの愚痴聞いてると警官も楽じゃないんだなあって思いますよ。ガキの頃はうぜえとしか思わなかったけど。あそこの交番、線路越えたらすぐヒガシじゃないですか。ヒガシの交番じゃ落し物や道案内がメインなのに、こっちじゃ包丁振り回すジャンキー取り押さえたり酔っ払いにゲロ吐かれたり浮浪者追い払ったりで給料一緒なのにやってられねーって」
「ところでそいつには自分の仕事はどう話してるの?」
「そりゃ芸能事務所のマネージャー見習いですよ」
 うちの会社はそういう名目でやっている。当然隠れ蓑だが、若い女を囲って切り売りするという点では変わらないので丁度いい。
「一応、付き合い方には気をつけろよ」職業的犯罪者なんだからな、とは言わなかった。
 しかし市警の幹部である大原という男もうちの客だだから、いざという時も心配はない。
「そういえばそいつ話してて思ったんですけど、警官と俺ってやってることそんなにかわんないなって。どっちもルールを守らせる仕事じゃないですか。あいつらは俺たち市民に、俺は俺の仕事関係者に」
「まあ案外お前も警官に向いてるかもな」
「そうそう。どっちも要するにバイオレンスとルールですよ。でも軍もいいなって思いますよ」また集中力が切れてきたようだ。手が止まっている。
「軍は最近きな臭いぞ。南方でどんぱち始めるのも近いんじゃない」
 政府は南方でテロを繰り返す反政府勢力の背後には、隣接する仮想敵国からの支援があるとして公然と批難している。
 理由は「周辺地域の安全と平和を乱す」だ。批難するばかりではなく、南方の政府軍に物資援助や軍事顧問団の派遣など間接的な支援を続けているが、先日のホテル爆破から直接介入すべきというタカ派は勢いを強めている。押し切るのも時間の問題だろう。
「そうなったらそうでいいですよ。気合の入った戦争なんてもう何十年もしていないんだから、速攻で志願しますね。学校の時の知り合いも軍に入ったやつ多いし」
 目を爛々とさせて言った。人の頭を躊躇なくフルスイングできるなら兵隊にもなれるだろう。
「そういえば、桜子はいつ退院してくるんです?舌ピはそろそろ定着した頃ですよね」
 田中が脱走の制裁を加えた女だ。
「体はいつでも退院できるけど、メンタルが大分きてる」
「結構やわいですね。10歳そこそこから親父に変態の相手させられてたんでしょ。それならもうちょっとガッツがあってもいいんじゃないですか」
「野球部で後輩しごいてるんじゃないってことわかってるか?客商売なのに、どうするんだよ」
「え?俺が責められてるんですか?」
 田中はきょとんとした。
「やりすぎだって話。確かに多少の躾も必要だが、限度があるだろ」
「でも、本人は常に意識するように、でも見える範囲に痕が残らなくて、痛くて、でも当然死なせちゃだめって鈴木さんの言ったようにやったんですよ」
 舌ピアスと両奥歯の抜歯は確かに条件を満たしている。
「いや、そうだけどさ」
 いや、そうなんだけどさ、としか言えない。田中が最初に言った陰部にピアスを開けるという案よりは穏当だったし、俺もその場で止めなかった。
 田中は俺が口ごもると畳み掛けるように続けた。
「いいじゃないですか。舌ピ開いてる女にしゃくらせたことあります?マジ、新感覚ですよ。服もゴスっぽくしたらそういうの好きな客にウケますって」
 ピアスだらけの顔を歪ませて笑った。桜子の制裁はこいつにとって趣味も兼ねていたのだろう。
 病室で桜子が俺を見た顔を思い出すといらいらとした。桜子にか、それとも田中にか、自分にかわからなかった。
 キムが入ってきた。玄関は風を通すために開けていたから気付かなかった。盆に素麺を載せている。片足を引き摺っているせいで歩く度に素麺の上に浮かべた氷が小さくからんと鳴った。
「早くからいらしていたので朝ごはんがまだだろうと思いまして」
「ばあちゃん、気がきくね。ありがと、ありがと」
 田中は作業を放り出して素麺を啜った。添えられた薬味を全種類つゆに入れている。俺も礼を言って箸をつけた。キムは麦茶のポットを置いて去っていった。
 しばらく黙って素麺を啜った。最後に冷えた麦茶を飲むと、暑さが紛れたのか田中は作業に戻った。
 リサイクルショップやゴミ捨て場に持っていくものの整理も終わると、それを車に運び込んだ。何度か地上と往復して積み終えると田中に後を任せることにした。
 田中が最後のカラーボックスを抱えていった。しばらくするとキムが食器を下げに入ってきた。
 キムが会釈をする。俺は目でうなずき返すと作業を続けた。素麺の器を盆に載せる。ガラスの皿に溶け残った氷がからんと小さく鳴った。
「昔からかわりませんね」
 キムがぽつりとつぶやいた。上腕部に彫られた入れ墨が見える。足抜けをしようとした女への制裁の一つだ。
「聞いてたんだね」
「ええ、聞こえてしまったので」
 キムはこの街が赤線だったころからに旧植民地から渡ってきた。10代のころから客をとり、年増になってからは下働きを続けていた。何度かの摘発強化や法改正の度に勤め先の業態は変わったが、やっていることは今に至るまで同じだ。
「まあそう簡単になくなる商売じゃないからね。でも、キムさんも逃げようとしたことがあったの?」
 俺は興味をひかれた。キムが自分から話すことは珍しい。田中が座布団代わりにしていた段ボールをすすめると、キムは遠慮がちに腰を降ろした。
「ありましたけど、他に居場所はありやしませんでしたよ。一度この街に居着いてしまうとね」
 俺の顔をちらりと見て、空になっていた俺のコップに麦茶を注いだ。その手首には、皺に紛れて皺そのものような白い傷跡が何本も深く残っている。
「やけにおしゃべりだね、今日は。珍しい」
「鈴木さんは、優しい人ですね」
 キムは微笑んだ。文脈が繋がっていない、前置きを挟むつもりはないのだろう。
「優しい?俺が?」
 キムは頷いた。その表情をよく見る。穏やかな微笑みに何かが少しだけ混じっている。多分、皮肉や嘲り、極々少量の憐れみだ。
「まあ、田中みたいなのと組むときはそういう役をやるけどさ。良い警官と悪い警官みたいに」
「女を躾ける手練手管とは違います。鈴木さんは、性根がお優しいんですよ。そういう番頭さんやボーイさんは何人かいました。でも、そういう人ほど私たちを辛くさせました。そしてそのうちにいなくなります。残るのは私みたいに意地汚い人間だけです」
「悪党として半端だって言いたいの?」
 キムはいつもの微笑みを少しだけ強くした。
「心配してくれてありがたいけど、俺は自分の仕事はやるよ。今さら他のことなんかできないし、他の居場所なんかないからね」
 俺もキムの真似をして微笑んだ。
 キムは微笑んだままだ。表情から嘲りが減って、なにかが増えた。
「つまらないお小言を申しました。ほんの老婆心からですのでご勘弁ください。小言ついでに申しますが、慣れることですよ。何事も慣れようと思えば慣れられます。
 私たちは人間ではありません。馬や牛のように扱ってくださったほうがいっそ楽なこともあります。憐れまれると、一層惨めになります。それが一番辛いんですよ、私たちは」
 キムは盆を持って立ち上がった。
「そういえばキムさんにも今年は夏休みあげるつもりだけど、どこか行きたいところある?里帰りとかさ」
 俺はなぜか呼び止めたくなった。そんな予定はしていないのに口走った。里帰り、は余計だったと言いながら気がついた。帰る里なんてある人間はこの街に居着かない。
 キムは振り返った。いつもの微笑みに呆れを混ぜていた。
「私は父母のお墓になど顔向けできません。弟がおりますが、お墓の場所すらも知らせてもらえませんでした。故郷を出たときに、なにをさせられるのか近所の人はみんなわかっていましたからね。一度も帰っておりません」
 自分の失言を謝るわけにもいかず、返す言葉が見つからなかった。キムが続けた。
「でも、海へ行きたくなります。故郷は島でしたので、いつも浜で遊んでいました。この歳になると妙に里心がつきます。お気遣い大変痛み入ります。やはり鈴木さんはお優しいです」

第八回に続く
隔日更新予定
まとめ読みは↓のマガジンからどうぞ。


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