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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第五回 嘔吐

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。鈴木は上司ボスの食事に付き合いボスの奇妙なフェティッシュについて聞かされる。

ドン、とどこかで爆発した。花火だろう。メインストリートから歓声があがる。続けて何発か破裂した。その音に比例した歓声が続く。
「そういえば最近流行ってる爆弾テロね。実はあれにも正直興奮するよ。花火みたいに祝祭的でしょ」

あらすじ

Chapter 4 嘔吐

 ボスの車で行きつけの洋食屋へ連れていかれた。運転はいかつい短髪にシルバーフレームの眼鏡の男だ。ボスの家の玄関を出るともう目の前に車が待機していた。中心街の裏手の路地にある店の前で俺たちを降ろすと、そのままどこかへ去っていった。近くの路上でまた待機しているのだろう。
 案内された席につくとメニューとワインリストを持ったソムリエの男がやってきて、ボスは彼と相談しながら注文を決めた。ボスは俺に飯やワインについて教えようとするが
俺はそこまで熱心になれない。ボスの相変わらず長い口上を聞きながら食前酒を舐め、順に運ばれてくる料理を食べた。
 ボスはかなり痩せているが見ていて気持ち悪くなるほどに食べる。
キャロットサラダ、かぼちゃのポタージュ、小魚のフライ、オムレツ、バケット、鰻の赤ワインと香草煮込み、鮟鱇のクリーム添えなどを全て3人分くらい食べた。がっつくという食べ方ではないがいつの間にかなくなっている。給仕が慣れた様子で食べ終わるそばから皿を下げていく。端から見たら大食いには見えないだろう。
 全て便器に吐くまでがボスの食事だ。
 3分くらいで戻るとボスがトイレから戻ると給仕がナプキンとガス入りミネラルウォーターで運んでくる。それで口の中を掃除しながらデザートを待つ。
 俺もボスほど熱心にはなれないが多少は舌が肥えた。慎重に処理されたメインの鮟鱇と、ボスの選んだかなり重めの赤ワインの組み合わせは確かに美味い。
 デザートはシャンパンのシャーベット、最後にエスプレッソが出てきた。ボスはいつもデザートになると黙る。溶けきらないほど砂糖をいれたエスプレッソを飲みながら葉巻を吸った。
 外は夕立の気配が残っていた。雨粒はすでにアスファルトの熱で水蒸気になり全身に絡みつく。ボスは車に乗り込む。俺は事務所へ顔を出すためにそこで別れることにした。後部座席の窓を開けボスが言う。
「お前も」
 俺をこう呼ぶのは酒が入り上機嫌な時だ。
「腹を空かせた犬みたいな食い方はしなくなったな」
 軽く息を吐く笑いを挟む。俺は久々のアルコールで頭が少しだけ頭がふらふらしている。
 「初めてこの店に連れてきたときは連れてるこっちが恥ずかしくってなかったよ」
 飯の食い方も服の選び方も客の取り方も、ボスに仕込まれた。
 ドン、とどこかで爆発した。花火だろう。メインストリートから歓声があがる。続けて何発か破裂した。その音に比例した歓声が続く。
「そういえば最近流行ってる爆弾テロね。実はあれにも正直興奮するよ。花火みたいに祝祭的でしょ。この国じゃ時代遅れになったミリタリズムが息づいているんだよ。日本でもきっと流行るね」大きなドン、歓声が続く。
「確かに気持ち良いでしょうね。仕掛けてる連中もきっと」
 ハ、と軽く笑うとボスは運転手に合図をして去っていった。閉まりかけた窓の隙間から「じゃあな」
 
 路上にはボスのコロンの香りがしばらく漂って消えた。柑橘と沈香を調合した香水だ。
 すぐにいつものアスファルトの生臭さが戻ってくる。メインストリートに出て歩き出す。ドンと爆発する度に流れが止まり歓声が上がる。ビルの隙間から花火が見えた。
 事務所へ行く前にケーキでも買っていこうかと人ごみが密なほうへ進む。まだ7時過ぎで空は真っ黒にはなっていないが、酔っ払いや居酒屋の呼び込みや店々の看板がやかましい。街の真ん中にあるツインタワーを目印に進んでいく。その地下にあるケーキ屋が俺のお気に入りだ。
 中心街は地上80階のツインタワーを中央にして、ニシとヒガシに分けられる。
 東側はいわゆるアップタウンだ。目抜通りには入り口でスーツを着たドアボーイがいるブランドショップが並んでいる。オフィスビルも多くねじれたりアシンメトリーだったりする高層ビルの間をホワイトカラーが縫いように歩き回る。夜になればそのホワイトカラーや金を持った外国人を狙ったカフェだかバルや、今時エントランスに黒服がいるようなディスコィックがにぎにぎと商売をする。
 東西の境界はツインタワーの足元を走る線路だ。都市間高速鉄道や地域線など複数の路線が並列するため、その幅は恐ろしく広い。東西を連結する道はその線路の下を潜るカビ臭い地下道がいくつかある。入り口脇には警察署や交番が関所のように境界を越える者を睨んでいる。
 信号で立ち止まる。また花火が破裂した。ふと横を見ると口を半開きにして8歳くらいの子供が花火を見上げている。その瞳に花火が反射している。両親に両側から手を引かれほとんど宙に浮いてようだ。母親と目があった。短髪で40手前だろう。自慢なのか誇っているのか俺に微笑みかけた。
 すぐ近くで暑苦しい夏の定番ポップスが聞こえた。音がする方を見ると信号待ちの車のラジオからだ。
 
 陽が沈むまで遊んでいた。
 ヤシの実みたいにスピーカーが括り付けられた電柱が浜辺に並んでいた。そこから暑苦しい男の歌声が10曲くらいのリピートで延々と流れる。
 同じように遊んでいた同年代の子供たちと波打ち際ではしゃいだり、砂で街を作ってはそれを壊したり、即席の友達の親に海の家で焼きそばを奢ってもらったりしているうちに陽が傾いた。母親の姿が見えなくても、見えなかったからこそ不安をごまかすために必死に遊んでいた。
 疲れてパラソルに戻った。朝に母親が立てたものだ。浜にいた人が減っていく。さっきまで遊んでいた即席の仲間もいつの間にかいなくなった。人ごみのやかましさが薄れるとスピーカーから流れる歌が目立つようになる。近くのスピーカーと遠くのスピーカーから時間差で聞こえるのが気に障る。
 見えるものは全部が深いオレンジ色から暗い紺色にかわっていく。浜にいる人はまばらだ。立っているのはそのままにされたパラソルだけになった。
 そのうちスピーカーがぶつっと鳴り止んだ。波の音と、帰る車の渋滞の音と、まばらに鳴るクラクションと海鳥の声。
 近付いてくる足音に振り返るとパラソルを脇に抱えた若い男が立っていた。表情は暗くてわからない。海の家で見た覚えがある気がした。男がなにか俺に話しかける。多分、親はどこにいるのか、とかだったのだろう。
 俺はなぜか恥ずかしくなった。たまらなく恥ずかしかった。
 黙っていると男は俺のパラソルを引き抜いて海の家へ戻って行った。それからまもなく海の家の電気も消えた。
 浜には誰もいない。薄い雲がでて月明かりも滲んでいた。腹が空いたが金もない。ポケットを探るとアイスクリームの棒がでてきた。母親が俺に与えたものだ。砂遊びに使おうとしまっておいたものだ。それをしゃぶると少しだけバニラの味がして、すぐにスカスカとした木の匂いだけになった。足を埋めたり貝を掘ったりして遊んだ。
 陽が沈みきった。沖の船の灯りが目立つようになった。花火を持った家族連れや若者グループが浜に来た。俺に気付くと示し合わしたように小声になり、進路を変えた。その反応に気付くたびに俺は死にたくなるほど恥ずかしくなった。一人でいることが寂しいとか悲しいではなく、たまらなく恥ずかしかくて砂に埋まりたかった。誰にも見られたくなかった。なるべく体を小さく縮めて、不自然なほど遠くで花火にはしゃぐ声を聞いていた。
 夜中に聞こえるのは波とまばらな車の音だけだ。
 誰かに見られる心配がなくなると、怒りが恥ずかしさの隙間から浸み出してきた。液体の怒りが足の方から溜まっていく。自分を置き去りにした母親にでも、今頃は帰りの車で眠り込んでいる即席の友達にでもなく、怒りが溜まっていく。咥えていた棒を引き抜くと砂浜に刺した。
 何度も繰り返し刺した。抜くとたんに埋まっていく傷痕も腹立たしくて、その傷が埋まらないように刺し続けた。
 朝になって警察に保護された。昼には保護シェルターにいた。アイスの棒はなくなっていた。

第六回に続く
隔日更新予定
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