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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第二回 名はまだない


ロリコン専門のポン引きが名古屋によく似た街で爆弾テロに巻き込まれていく。主人公鈴木は空港で南方から仕入れた少女と対面する。

「名前は?」
 女は俺を見た。軽く、睨む印象すらある。
「どっちの?」

 その声は低く、やや掠れていた。訛りはなく平坦な発音だ。俺は手元のファイルを見た。顔写真と名前が乗っている。
「仕事用でも本名でもいいけど、自分が呼ばれたい方」
「まだない」

あらすじ


Chapter 1 名はまだない

 こんな日に外で働いている人間は静脈に冷却剤を点滴しているとしか思えない。実際に冷たいのを入れているやつもいただろう。
 陽は傾きかけているが、気温は下がらない。真っ黒に灼けた、というか焦げた肌の労働者達が、何の表情も見せずに立ち働いていた。その肌はもともと様々な色だったのだろうが一様にどす黒い。
 それぞれの仕事の制服を着て飛行機を誘導し、荷物を運ぶ。なにをしているのか分からない連中もこんな暑い日に外で動き回るからには多分何かの理由があるのだろう。連中の動きにはそう思わせる説得力がある。労働の苦痛を最小に抑えるために編み出された技術は昆虫のように合理的だ。
見える範囲だけでも100人ほどの人間が太陽の熱と騒音が染み込んだアスファルトの上で動き回る。海を埋め立てて作られた空港だから海風が一日中吹き回るが、エンジンの排気が混ざった熱風がいくら吹こうが涼しくはならない。
 
 ニュースでは猛暑のため極力外に出るなと繰り返しているが、この連中がそれに従ったら社会は回らないだろう。
 待っている便はあと1時間ほどで着くはずだ。
 俺はラウンジで煎茶を飲んでいた。滑走路に面した側がガラス張りになっていて、離発着する飛行機や、働く連中を見ながら過ごせる。
 このラウンジの利用は本来なら追加料金が必要だが、俺が持たされている会社名義のクレジットカードを見せればフリーパスで入れる。ビールも飲めるが一応仕事中だし、酒は得意じゃない。
 ゆったりとしたソファが並んでいるラウンジはほどよく冷房が効き、これから出発するであろう客がビールを飲んだり、荷物を点検したりして過ごしている。このラウンジにいるということは、追加料金を払ったか俺のようにクレジットカードにオプションがついているのだからそれなりの身なりをしてる。ビジネス客か、旅行か、それらの迎えか。そしてなぜかいつもいる老人。暇なのだろう。
 俺の斜め前、ソファに備え付けられたローデスクにノートパソコンを開いている若いスーツ男が作業をやめて俺の顔をちらりと見た。彼は俺が知り合いかもと思った様子で数秒ほど俺をちらちらと観察していたが違ったらしい。スーツ男は作業に戻った。
 俺は暇つぶしに男を観察した。このクソ暑い日にジャケットを背もたれに掛けているということは、飛行機からドアからドアへ移動するそれなりの企業の社員かなにかの専門職なのだろう。スーツの生地も悪くないし靴もしっかり磨いてある。
 俺も場合によってはそれなりのスーツをきちんと着こなす。ポン引きでも一目でポン引きとわかってしまう格好では不都合な場面がある。
 紺の夏用スーツの上下で、ボタンダウンシャツにノーネクタイ。靴は茶のプレーントゥで控えめな銀の飾りベルトがついている。髪はゆるくなでつけて眼鏡は淡い金のフレーム。時計は国産メーカーのビジネス用中級モデル。
こんな身なりのやつはオフィス街にいけばいくらでもいる。だからスーツ男が俺を知り合いかと思ったのも不思議じゃない。俺はスーツ男が俺の部下だったらそのスカした髪型と軽薄なネクタイ幅はやめさせる程には身なりについてはうるさい。
 役人も、いかにもチンピラという格好の男に会うのは都合が悪いだろうという気遣いだ。
 ついさっきも入国させる人間についての根回しをしてきたばかりだった。
 
 昼前に空港へ着いた俺は通用口で名刺を見せて、入構管理簿に記名、顔馴染みの入国管理窓口の男にアポの確認をとり、正規ルートでバックヤードに入場した。
 俺の仕事は多少無理のある入国審査書類を通すことも必要だ。まさか入国目的を「労働(売春)」にはできないし、親族訪問や出稼ぎや観光にするがどうしても多少アラが往々にしてある。生真面目な係官にあたると入国不可どころか警察に通報されかねないから、多少ゆるくやってくれるように誘導しなければいけない。
 まずはうちの会社にいる若い事務の女性社員にやらせる。
 最初のうちは係官の権限で見逃すことができるくらいのアラをあえて作って、そこを”ちょっとした善意”で見逃してもらう。感激して何度も「ありがとう」と頭を下げる。誰だって機会さえあれば他人に親切にしたいものだ。
 次は徐々にエスカレートさせる。見返りも「ありがとう」の笑顔から、粗品。粗品を受け取らせた時点で相手は服務規定違反だ。次の現金を受け取らせたらもう完璧だ。
 こうなれば係官もう協力者であり共犯者だ。
 ここ1年ほどの協力者はやけにあっけらかんとしていて、粗品の段階で自分から金を要求してきた。内偵かと疑ったが今の所その様子はない。四十半ばの男で、娘2人の学費が大変らしい。
 奴のいるフロアに入るとすぐにこちらに気付いて手を振ってきた。やつのデスクへ行く。昼休み中らしく弁当を広げていた。他のデスクは八割方いない。食堂へでも行っているのだろう。
「どうもお世話になっています。すみません。お昼時に。やはりこの時期はお忙しいですか?」俺は切り出した。きわめて、にこやかに。
「いやあ、そうですよ。ま、世間が休みのときほど忙しい商売ですからね、仕方ないね、これっばかりは」
「お忙しいところすみません」俺は軽く頭を下げ恐縮して見せる。そして鞄から取り出したパンフレットを差し出す。生命保険のものだ。
「こちら、先日お話しした資料です」
 俺は保険会社の営業だ。相手によっては外貨預金など証券会社になったりもするが、公務員にはあまり需要がない。個人的にやっているのもいるが、職場の昼休みにその手のパンフを持ってこられても嫌な顔をされるだろう。
「わざわざすみませんね」とやつはパンフレットをペラペラめくる。別の封筒が挟んであるところで一瞬手を止める。
「で、今日はどうしたの?」顔はパンフレットに向いたまま、少し声を抑えてやつが尋ねる。
「詳細は資料をごらんいただければと思いますが、まあいつも通りですね」封筒の中身もいつも通りだ。
「うん。わかったよ。確認しておくよ。いつも通り、ね」やつが目配せをよこした。俺は努めてにこやかな調子で返す。
「お手数おかけしますが、よろしくお願いします」
「いやいや、こっちも助かってますよ。下のがちょうど金のかかる時期でね。何かあるかわかりませんからね」周囲に聞こえる声量に戻った。
「あ、そうだ。これよかったら食べてよ」どこかの土産菓子だろうか。デスクにあったなんとか太郎と印刷された箱を俺に押してよこした。
「いやね、うちのが2人連れて実家のほうへ遊び行ってきてその土産、職場で配れって渡されましてね。まあ僕は仕事なんで行かなかったんですけど。鈴木さん、いつもちょっと疲れてるようですからね、甘いものでも食べて元気だしてくださいよ」
 俺はいかにも嬉しそうな感じに声を上げながら箱を受け取った。事実甘いものは好きだ。ちょっと嬉しい。
「そういえば最近、鈴木さんのところの安藤さん、来ませんね。寂しいなあ」佐々木は少しおどけた調子で言った。安藤というのは例の若い事務の社員だ。
「すみませんね、安藤は最近ちょっと内勤で忙しくて。またご挨拶に上がらせます」
 業務外のサービスを期待するなら個人的な好意のやりとりが必要だ。次は安藤に茶菓子でも持参させないといけない。
 
 ラウンジに飛行機の到着を知らせるアナウンスが流れる。二つ目のなんとか太郎の包みを広げる手を止める。便は定刻通りに着くらしい。
 ひっきりなしにアナウンスが流れ、その合間に広告が入る。土産物やレストラン、レンタカー、催し物、旅行保険など。この仕事を任されてから数年で空港内に詳しくなった。
 あと10分ほどで到着する。その機には俺の部下の田中とあちらで仕入れてきた女が乗っている。本来なら俺が飛んでもよかったが、田中が休みがとれないとボヤいていたので休みも兼ねて前を空けた日程で行かせた。
 行き先は南方だ。俺も商用で何度も行っているが、観光客とやたらごみごみした街並みには正直うんざりしていた。現在は外国だが、つい30年前まではパスポートなしで行けた外地だ。しかし今でも日本人ならビザなしで入国できる。
 一応は独立国だが政府の顔ぶれや人脈は植民地時代と大差はない。労働力の輸入元であるところもかわらず、なにより自国通貨より円のほうが当然信用が高い。現金決済が前提の商売には都合が良い。
 俺の母親もそこの生まれだ。祖父母に連れられて10代の頃に移住してきて、詳しくは知らないが俺を生んだ。おかげで俺も南方の言語は不自由なく喋れる。これが割と今の仕事に役立っている。
 しかし母親の母語は南方の共通語ではなく、生まれた地域だけで通じるかなりローカルな方言だった。家庭内で使われていたのでかつでは俺も喋っていたが、今はほとんど忘れた。覚えているのはよく母親が歌うようにか、祈るように口にしていた短いフレーズだけだ。
 定刻になると、それらしき飛行機が着陸したのが見えた。
 到着ロビーが騒がしくなった。ラウンジにいた客も何人か向かった。俺も出る。ロビーはラウンジに隣接していて、すぐに行けるようになっている。
 ロビーは空調の効きが悪く汗ばむ。しばらくすると乗客が降りてきた。最初はファーストクラス、ビジネスクラスの客だ。預けた荷物もベルトコンベアではなく専用の係員が渡す。受け取るとさっさと去っていた。
 続いて一般の乗客がなだれ込んできた。入国ゲートを挟んだあちら側が騒がしくなる。
中型機とはいえこの時期は満員だ。7割方が帰国者で、バカンス帰りの気の抜けた服装。ベルトコンベアの前に並び土産物やら何やらでぱんぱんに膨れたスーツケースをピックアップしていく。
 残り3割は入国者だ。人種的な特徴は過去1世紀以上の混血でさほどないが、服装でわかる。また荷物もキャリー付きのスーツケースではない。背負えるものだ。あちらの穴だらけの道路ではキャリーなんて役に立たない。
 そしてなによりの違いは表情だ。入国者がこれから向かう住み慣れた我が家ではなく、見慣れない外国の街なのだ。しかもそこでは誰もが自分達よりも金を持っている。
 子供を何人も連れた母親ははぐれないように怒声をあげて、ずた袋のようなバッグを担いだ若い男の一団は迎えにきていたいかにも手配師という胡散臭げな男にゲート越しに警戒の目線を向けてる。
 窓口も違う。セキュリティが声を張り上げて「帰国者の方はこちらの列へお越しください」「外国人はあっちへ行け。こっち来んなっていってるだろボケ」と二ヶ国語を駆使して誘導している。
 入国用と帰国用に列が分かれた。数では帰国者のほうが多いが、列の進みは早い。係官もパスポートを見て、写真と有効期限を確認したらにこりと笑顔でゲートを通す。
 入国の列では疑り深い顔でパスポートと何枚かの書類と入国者の顔を睨み、荷物を広げさせ、いくつも鋭い語調で質問を飛ばし、答えられないと脇で控えているセキュリティに別室へ連行させる場合もある。それを見送る係官の口元をよく見ると嬉しげに歪んでいる。
 十代の頃にやっていた荷揚げの仕事の管理係を思い出す。俺はひたすら表面についている札に従って荷物を仕分ける仕事をしていたのだが、間違える度にわざわざ俺達を見下ろす事務所から降りてきて、さも迷惑そうに注意を垂れる。その口元には同じような歪みがあった。蟻を指先で潰して喜ぶ子供だ。
 田中が見えた。横に女もいる。田中はキャリーケースを引いているが、女は小さな手提げ鞄だけだ。俺に気付いて田中が手を振った。前歯がなく、ピアスだらけの顔面。やはり気の抜けたアロハだ。
 そのまま二人とも帰国者の列に並んだ。よく見ると窓口には例の係官がいた。袖口に役場の職員が着けるような黒いインクガードを巻いて列をさばいている。人の番になるとこっちを見てウィンクをよこした。その愛想をもっと活かせる仕事に転職したほうがいい。
 5分もしないうちに2人がゲートを越えて俺の前に来た。女はたっぷり3メートル前で止まった。
 中肉中背。やや骨が太い印象。ベリーショートまではいかないが短い髪。洗面器を被って切ったような適当なカットだ。白目がやけに白く三白眼とその瞳の色が目立つ。薄い茶。口が大きい以外は目鼻立ちは全体としてコンパクトで整っているが、睨むような目は癖なのだろう。矯正しないといけない。それ以外はこれといった特徴はなかった。
 査定Aマイナス。あとは美容師とカメラマン次第。
 田中がついと俺に寄ってきた。いつもにこやかとにやにやの中間くらいの表情を貼り付けている。
「お疲れ様。首尾はどうだった?」
「悪くなかったですよ。段取りもスムースだったし。でも行く度に人口密度が上がってる感じしますね」俺に女のパスポートや置屋の領収書などが入ったファイルを渡しながら、田中がいつも調子で話し出す。やけに早口で、表情や声色がころころかわる。
「中東方面からも流れてきてるらしいね」
「そうっすね。なんか見てる感じとか、あと連中の食物は遠くからでもわかりますよ。クミンとかの匂いで」一瞬顔をしかめたが「でも食ってみたら案外いけた感じです」とまたにやにやする。
「そっちの方面とは接触できた?」
「いつもの置屋には話しましたが、まだルートがつながってないみたいで。でも遣り手婆にいくらか握らせたんで次は期待できますよ」
 ここ数年は中東からの移民が多く、地元のチンピラの勢力図もかわりつつある。現在のところは既存のグループが優勢だが、情勢次第では俺達仕入れ業者も勝ち馬に唾をつけておく必要がある。というのがボスの指示だ。田中は目立った収穫はないが、一応仕事はしてきたらしい。
「わかった。お疲れさま」と改めて労うと同時に目線で問う。今回の仕入れの成果は?
察したらしく田中が話し始めた。
「ルートはよくある農村の口減らしです。まだあるんですね、そういうの。で、2代前に日本人の血が入っているからぱっと見た感じは、ほら、そこらへん歩いてるのと変わんないでしょ」それは好都合だ。買い手がつきやすい。
 農村の口減らしというのは相変わらずよくある話で、気候変動だかで農業生産率が下がったところに、巨大資本を持った各国の企業が介入する。輸出できる農産物ばかり優先され輸出過多となり、外国市場に依存する経済は外貨にごろごろと買い叩かれる。国内の市場で売れるものに転換しようにも広げすぎた農地を小口生産と販売では維持できない。こうして作れど作れど楽にはならない状態が生まれる。そこに植民地だった頃から息の長い活動をしている反政府ゲリラが入り込み治安は悪化する。
「通貨という価値に並列化されていく」とボスがよく言っていた。ボスはやたらと小難しい話をしたがる癖がある。衒学的というのだろう。
 とにかく食い詰めた農村の末娘あたりは置屋に売られる。風が吹けばなんとやらだ。そして俺達も儲かる。ちなみに置屋という語はすでに半世紀以上前からオキヤとして現地語になっている。
「よくある話だな」
 少々うんざりとした気分で女を見た。俺と田中のやり取りにまったく関心を示さない。こういう時、怯えたような様子で顔を伏せる女が多く和ませるのに気を使う。この女はなかなかふてぶてしい。それとも少し頭が足りないのか?
「名前は?」頭の具合を確かめるために尋ねた。多少足りなくてもいいが、ロリコン連中の相手するにしても最低限というのはある。
 女は俺を見た。軽く、睨む印象すらある。
「日本語は問題ないはずですよ。そこを置屋の婆あがやたら押すんですよ」田中が口を挟みかけたところで女が答えた。
「どっちの?」
 その声は思ったより低く、やや掠れていた。訛りはなく平坦な発音だ。俺は手元のファイルを見た。顔写真と名前が乗っている。
「仕事用でも本名でもいいけど、自分が呼ばれたい方」
「名前ならそこにあるでしょ」
 俺の手元のファイルを顎でしゃくる。
「仕事用の名前は?」
「まだない」頭が足りないわけではないらしい。
「それならこっちで考えるとして、ご飯は?機内食なかったでしょ?」
「俺は空きました」田中が割り込む。「あっちの飯は悪くないんだけど飽きちゃって。何か食ってから行きましょうよ」
「何か食べたいものは?」一応訊いたが答えがあるはずもない。自分を買った女衒と飯を食べたいなんて女はなかなかいないだろう。無視と黙殺の間くらいだ。
「まあ、とにかく行こう」田中に女の荷物を持たせて歩き出した。
 背後のロビーからは係官の楽しげな怒声が聞こえる。罵倒のキレが良い。今日は一段と張り切っているようだ。俺は早足で立ち去った。
 
 不満気な田中を押さえ込み、空港内のレストランでサンドイッチを持ち帰りにした。
 田中の運転する車中で早めの夕食を摂る。女も空腹だったらしくもそもそとローストチキンのサンドイッチとカフェオレ、そして袋の中にあった俺の分まで平らげた。食べ終わると窓の外を眺めたりしていたが退屈なのか目をつぶっていた。寝ているのかはわからない。
 空港は半島の先にあり、市街へとつながる湾岸高速が北へ伸びてる。しばらくすると都心のランドマークであるツインタワーが見えてきた。
 顔の左側を海に沈んでいく夕陽に焼かれながら、右で田中のハイな軽口を受ける。田中は無能ではないが少々口が過ぎる。無能でないばかりか、ある方面ではかなり有能だから邪険にはできない。
 前歯がないから間抜けな印象を与えるが、これはやつが自分で抜いたのだ。見た目で相手に侮らせるために。もともとはボスが別の仕事で使う荒事の要員だったが、目端が利くということで俺の部下になった。
 女達の送迎兼ボディーガード兼見張りなど任せていたが、最近は今回のような出張なども任せている。しかし根本は暴力だ。愛想は良いが、必要とあれば女でも、それが子供でも容赦ない。
 一度、桜子という女が客を垂らし込んで逃げたときは、居場所を突き止めると客の前で女を壊した。
「すみませんねえ。うちのが馬鹿なこと言って。お客さんも困ったでしょう?」
客ににこにこ話しかけながら1時間は縛り付けた女をいたぶった。それを命令したのは俺だがまさかそこまでやるとは思っていなかった。
 田中に最低限や丁度よくというものはない。命令されたら、許される最大限の暴力をふるう。なんのためらいもなく。
 軽口から逃げようとラジオをつけたら、南方の都市での爆弾事件を速報していた。日系ホテルが爆破され死傷者多数。邦人も行方不明。ここ数年の治安状況からすれば目新しいことはないが、おお、と田中はラジオのボリュームを上げる。
「このホテル、俺がさっきまでいたところですよ!すげえな、日本でもやってくんないかな!」
 田中の軽口が調子ついてきた。そのうちに湾岸高速から都市高速に合流した。その頃はもう暗くなっていた。
都市高速の防音壁だらけの風景を走るのはネズミになった気持ちだ。たまに壁が切れても景色に大差はない。等間隔に並ぶオレンジの道路灯は眠気を誘うためにある。
 そのうち車は一般道に降りた。高速に2時間弱いたせいか、やけにゆっくりに感じる。眠気をさますために窓を開ける。露が降りてかすかに湿ったアスファルトの匂いと、管理が行き届いていない公園の樹々の青臭さが一瞬で車を満たす。
事務所の入ったビルへ向かう。田中は軽口に飽きたのか黙っている。時折すれ違う車の振動の他はなにも聞こえない。

第三回へ続く
まとめ読みは↓のマガジンからどうぞ。



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