【ショートショート】散歩(1907文字)
画面に向かうと、途端に何も出なくなる、空白なのに、逆に全て埋まっていて余白の無い原稿のような、白色があって、どうして良いかわからなくなる。散歩の時は脳内で誰か分からない人の会話が起こる。書き始まりが10は思いつく。するってぇと何かい、画面に向き合うことは無駄ってことかい、そうではなく、おそらくタイピングスピードが遅いのだ。変換するOSの拙さもある。特にiPadの誤変換はえげつない。ファーストチョイスがそれかよという変換がたびたび起こる。そうはいっても、こんなことを書いている暇があるのなら本文を書いてしまえよ。と思うし、思われているのも知っている。ただ、文字を打つ。それだけに集中したいのだ。明確な結末の決まりきったドラマの収束していく作業ではなく、文字が文字を運び、単語が単語を呼ぶ、末広がりを見て感じたいのだ。
とは言っても、結局朝のルーティーンのジャーナリングで書いている、紙とシャープペンシルで書いている書きなぐりの方が早くて、思考をどこまでもスピーディーに空を飛ぶFー16の如くで捨て置ける。それがアナログ、フィジカルの良さかもしれない。タイピングスキルを上げる事がもしかすると必須なのかもしれない。現代人は。誤字ったり、タイプミスしてる暇などないのだ。早く頭の中の情景をありありと読者に届けたいのだ。など書いているのは描写の要らない心情吐露で、散歩の風景でも書いていれば説得力もあるのだが、住んでるマンションの階段に放置された猫の糞の事しか思い出せない。もう一週間以上は放置されているし、一回綺麗にしても、猫がトイレ認定しているのか、夜中になるとありがたいことにリスポーンされている。おかげ様で階段を降りる時はうっかり踏んでしまわないように慎重に降りるようになった。踏み外す事がなくなったし、酔っ払っていてもウンコだけはしっかり避けて上がる。この猫のウンコは管理会社が掃除するべきだが、掃除は週に数回しか来ない。猫は毎日来る。しかもおそらく糞しにくるのは一匹ではない。猫の習性はよく分からない。飼った事がない。だが、一匹が糞をしているにしては頻度と数が多い、おかしい。そいつは便通が良すぎる猫なのだろうか、チャオチュールには食物繊維が豊富に含まれてたりするのだろうか。根菜を良く食う猫なのだろうか。地域猫はマンションの近くに十匹は住んでいる。最近では顔も覚えてきて、自転車で通りすがるときは会釈してみたりする。近寄ったら逃げる。僕は野良猫に触れたことが一度しかない。それも弱りかけの赤ん坊猫だった。なんだが大人の力で強姦したような後ろめたい気持ちになったその時だったが、それでも体温を感じたことが嬉しかった。
それと山口さんとの事が一緒なのかは分からない。山口さんは同意してくれてたと思うから、その赤ん坊猫とは違う。何故似てると思ったんだろう。素面ではなかったからかもしれない。僕は酒でも飲んでいないと異性と接する事ができない。では酒がなかったら、僕は孤独死するのだろうか。いや、政府か事業家が金儲けのために集団行動する老人ホームとシェアハウスの間みたいなやつを作って独り身を面倒見るに違いない。これから男はめちゃくちゃ余るし、すでに余ってるし。そうだ、残り物に福があるってんなら、猫の糞にも何某かのご利益を。
なんてのを書くのは、とさらに書くのはメタすぎるか。じゃあ後で消すことにしよう。蕎麦を食った食器を洗って、数分間の瞑想をかまして、読書に入る。読書、本や映画、つまりはナラティブのインプットをやりすぎている。アウトプットの量よりも、インプットが膨大すぎるせいで、そして一貫性のない洪水、つまりシートオブサウンズ的で、脳内メモリが焼き切れてしまわないかしら、と心配したところで自分の脳みそ。大丈夫に決まっている。余力を残していることがバレバレだ。なんたって八割はまだ未使用だろ。なんてのを書いていると思う、昼間はこんなのをじっと書いていればいいのだ。そっから、しっかり完成させたい物語を紡げばいい。そうフィクションは待っていてくれる。現実は待っていてはくれない。自分の糞を掃除する管理会社は自分なのだ。あぁ他人に任せてしまいたい。楽したい。口述筆記できたりしないかしら。口で言えるほど練り上げてもいないのだけれど。なんて事を書くのは一種の写実的試み風フィクション。事実の中の二割の嘘。
あ、またメタい事。それはそうと白昼夢、散歩の気持ちいいの、能動的リアリズムと偶発的景色、想像だにしない当たり前を絵に描いたような差分、それらが結局は面白い。
飽きない。
散歩する。
そう、今から。
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