To カナヅチ猫

創作企画「あなたへ贈る物語、書かせてください
カナヅチ猫様からのご依頼(初です、大感謝)
あなたのことを元にした物語

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バイト先のパチンコ屋のドアが閉まると、五感がたちまちおとなしくなる。大都会でないとはいえ、この街は深夜もビルと店の白やオレンジの明かりが煌々と彩るほどには繁栄していつ。だがそれと比べても、パチンコ屋の喧騒とネオンカラーとタバコの匂いというのは異色のものなのだ。まあ……それでも例年の年の瀬よりは両者とも活気を失ってしまっているだろうが。この辺りを出歩くようになってまだ一年くらいだから、去年の様子を見ていたわけじゃないのだけど、僕にだって見当のつくことだった。コロナの影響である。
携帯を見る。十二月三十一日零時九分。帰る頃にはいつも日付が変わっている。慣れたことだけど、さすがに今日は一抹の虚しさがある。本当に一年の末の末まで働いてしまった。
この地域でまだ時短営業要請は出ていないが、それとは関係なしにこの時間帯だと居酒屋以外に開いている飲食店は少ない。バイト先の先輩に紹介されたラーメン屋にハマって、もうずっとそこに通っている。今日もあそこの塩ラーメンだな、と歩みを進める。


ピーターパン・シンドロームというものがある。大人をばかにして拒んでばかりいる童話のネバーランド暮らしの彼のように、現実社会に足を踏み出すことから逃げて孤立する青年のこと。高校の倫理の授業で初めてその用語を聞いた時、なんて情けないヤツなんだという感想を抱いたのを覚えている。こんな青年には絶対なるものかと。だが、いざ社会進出が目前の段階を踏んでみると、僕はまさにその類の人間だったのだと気づかされる。というか振り返ってみれば、片足をかけた時点で僕の自己中心性という芽はもう顔を覗かせていたのである。
高校ではそこそこいい成績を上げ、国立の大学に進学した僕は入学当時、特殊な人になろうと思っていた。大学はその夢を実現できるところなのだと信じていた。机に向かって宿題とテストをこなす中高時代からの解放。もう普通は演じなくていい。これからは、孤高に生きながらもその無二の能力で人に貢献できるカッコいい大人という未来図に、魂を吹き込んでいけるのだと。教職課程を取った。遅めの時間帯に集中する関連の授業まで出席して、空き時間は図書館に籠もって専門書を読んで。だけどやっているうちに、何か違うと感じるようになった。授業は期待よりもだいぶ退屈だった。僕にとっては半数近くが、暗記すればどうとでもなるような内容かちょっと本を読めば得られそうな見解しか見出せないものだった。同級生も好きになれない。正しさや希望を爛々と語り、バイトやサークルの地域活動で「忙しい」とどこか幸福そうに言う。「へえすげえな」とか「おつかれ」とか相槌を打ちながら「本当か?」という疑念が常に胸の内でくすぶっていた。本当に、そんな人間のできたことばかりをして、それが生きがいだと思えるのか? 僕がひねくれているのだろうか。彼らにも彼らなりの困難があって、その上で前を向こうと懸命に駆け回っているのかもしれない。だけど人ってそんなに外に向けてキラキラできるものなのか? 自分の苦悩とか、暗かったりずるかったりする悪い気持ちをひた隠して笑顔を振りまくのが、果たして本当に偉いのか?
そんな疑念に自分なりの決着がついたのは、年度末に修学簿を受け取った時だった。優、優、優、秀、優、秀、優、良、秀、優……上二つの評定ばかり。別枠の教職の授業も含め登録上限以上の数の科目を履修していたのだけど、どれも少しの危なげもなく単位を取ってしまった。そんな縁起の良さそうな漢字の羅列を見ていると、あらら、と思った。
なんだ、こんなものか。
二年生になって以降、僕の足は大学から遠のいていった。教職課程からも降りた。自分が皆と全く同じ競技を全く同じ歩幅で、全く同じゴールを見て走ってしまっていたような気がして、つまらなくなったから。そんな量産サイボーグみたいな人間が目を光らせて道徳や幸福を語って、果たして子どもたちの何の足しになるというのか。同級生のことも、そんな同級生と単純な授業だらけの大学のことも、いろいろバカバカしくなって、関わるのをやめにしてしまったのだ。
僕はネバーランドに飛び込んだ。その代償に、最初描いていた未来図には少なからずあったはずの「人に貢献できる」の部分が徹底的に剥がれ落ちていった。そして、そもそもそれが傲慢なエゴの塊であったと気づかされるのも、そう遠くないことだった。


飲み屋街にある例のラーメン屋の暖簾をくぐる。このご時世とはいえ一年の終わり。いつもよりも集団の客がやや多く、少々慎ましげながらも赤ら顔で談笑していた。
お店を切り盛りしている店主の奥さんが水を持ってきてくれるのと同時にいつもの塩ラーメンを注文する。待ち時間はだいたいTwitterを開いて潰している。トレンドを見ると、不吉なワードがあった。「□□□□さん急死」。脳内出血で……今年はいろんな著名人が亡くなった年だった。コロナに蝕まれてしまった人もそうだし、他人の心ない一言がきっかけで自ら命を絶った人、その淀みに呑まれて後に続いてしまったと思われる人。若い人が多かった。ファンであると言えるほど関心を向けている人はいなかったから悲しみに暮れるということはなかったけれど、人はこんなにもあっさり消えてしまうものなのだという脆弱な現実を最後まで突きつけまくられた一年だった。
それにしてもこの人の名前はどこかで聞いたことがあると思いつつ、トレンドを開いてみる。どうやら、僕も見ていた有名な子ども向け番組のかつてのうたのおにいさんのようだった。彼が出ていた時のマスコットキャラクターや歌っていた曲などもログに流れていて、その多くに耳馴染みがあった。もしかすると、僕が見ていた頃のうたのおにいさんなのかもしれない。彼がその役を務めていた年代を記すツイートもあったので確認すると、やはり僕の幼少期と一致していた。懐かしいな……そうか。
エンディングの曲が好きだったなぁと思い出す。うたとたいそうのおにいさんおねえさんと、例のマスコットキャラクターたちと、子どもたちみんなが出てくる歌。風船が飛んでいて、子どもたちがおにいさんたちと一緒にステージをぐるぐる回っていたような……なんて曲だったか。
調べてみようか、と思ったところで頼んでいたラーメンが来る。麺を伸ばさねばならないほどの用事ではないと自然と体が判断して、携帯を置いて箸を取る。
酒が回ってきたのか、近くの席の団体の声が少し大きくなってくる。飲んだくれのおっさんたちの笑い声の中で酒を一滴も飲まないでラーメンをすすっていると、孤独感というのが浮き彫りになってくる。彼らもスロットや酒に酔っていないと実は騒げないような似た人種なのかもしれない。だけど僕には、酔う度胸すらないのだ。
結局今日もさっさと麺をすすって、シメに器を抱えて出汁を少し飲んでから、赤ら顔でゆらゆらする男たちの間をすり抜けてレジに向かう。
会計を済ませた後、おばちゃんが何やら四角いものの入ったビニール袋を差し出してきた。


「これは?」


「チャーシューの残り、持って帰って」

一瞬戸惑ってしまっておばちゃんを見る。無愛想という感じではないけれど、一年間通いつめていても注文と会計以外でやりとりをすることはなく。客に個人的な思い入れを見せる人のイメージがなかった。
ただその黒目に、同情とか偽善とか、吹けば飛びそうな嘘は見当たらなかった。


「ありがとうございます」

だから僕は素直に手を伸ばして、その贈り物を受け取った。


「よいお年をね」

彼女の飾り気のない声を背に店を後にする。
外へ出てから袋の中身を確認する。プラスチックのパックに詰められた多めの量のチャーシュー。さっき大盛り食ったんだけどな、こんなに食えねえわ。明日の朝ご飯、でもちょっと重たいし、晩に……いやそれは味が落ちそうで勿体ないな。でもなぁ、参ったなぁ……


一人でツッコミと議論を繰り広げていると、今やすっかり「普通」から孤立してしまった自分を目の当たりにしなければならなくなる。大学に行かなくなった僕は、好きなことだけをするようになった。本を読んだり、野球をしたり。パチンコのバイトと専攻だった数学科の知識を掛け合わせて、スロットで儲けたり。自分のペースで、自分が求める分だけしか、興味と向き合わないようになった。バイトだけは続けた。自立したまともな人間を証明できる術が、仕事というものしかなくなってしまったから。昼前まで眠りこけ、だらだらと趣味を消化して、夕方になればバイトに出て、深夜まで働いて、帰ってぐずぐずと時間を浪費した後に寝て、また昼前……一辺倒で、怠惰な毎日。
どんどん、どんどん、皆と走っていた元のコースに戻れなくなってしまった。それを望んでたはず、なのだけど。


冬のワンルームの自室は暗いだけでなくひんやりとしている。一年の中で一番、外とは別の肌触りの孤独を感じる時期だと思う。リビングに入ればコートを脱ぐ前にテレビの電源をつける。今年を振り返る番組が放送されていた。
『今年もいろいろと、あっという間でしたね〜』
『ね〜毎年言っちゃうんですけどねぇ』
返しまでがワンセットのお決まりのセリフ。友人とだと「やべえ何もしてねえな」という自虐と共に聞かされがちの一言でもあるのだけど、表では同調しつつも正直僕はあまり感じたことがなかった。最近は特に。そもそも言い合う友達もいなくなった。あのセリフはある程度現実を真面目に生きてきた人間にしか使えない特権なのだ。僕みたいな外に関心を抱いてアプローチをかけるということを全くしないヤツには、反省も充実感もほとんど芽生えない。
なんだか見たくなくなってすぐに消してしまった。そうだな、YouTubeでも見るか。あ、さっきの番組のエンディング何だったっけ、と思い出す。あれを探してみよう。番組名と、エンディングで検索したら歴代のも出るだろうか。
ソファに腰掛けてから検索結果を少しスクロールしてみたところ、期待通りなつかしの着ぐるみのマスコットキャラクターが真ん中で踊っているサムネを発見した。ああ、こんなへんてこな呪文みたいな歌の名前だったな、とタイトルを見て思う。ほんとは著作権とか怪しいんだけど、無視して開こうとする。が、その前に、ふと思い立って目の前のサイドテーブルに放り出したビニール袋に目をやる。次には、その中身のプラスチックパックを取り出している自分がいた。チャーシュー。食えねえよと呆れてたはずなのに。パックを開ける。ぷんと脂の臭いがする。そういえば箸すらない。取りに行って、今度はテーブルとソファの間の地べたに座った。動画をタップして、チャーシューを一枚つまむ。
キャラクターのラッパの高らかな前奏から、呪文がのんびりと唱えられる。ゆるい踊りが始まる。といってもまともに踊っているのは大人と数名の子どもくらいで、ほとんどはぴょんぴょん飛び跳ねているだけ。中には大人たちの踊りをただぼーっと見ている子や、騒ぎ声を上げながら走り回っている子もいて、その奔放ぶりに思わず笑みがこぼれる。今日訃報があったうたのおにいさんも、おどけた表情を見せながら踊っていた。
二枚目のチャーシュー、を取ったつもりが引っついてもう一枚重なっていた。まあいいやとまとめて喰らう。映像では子どもたちがうたのおにいさんとおねえさんがつくった手のアーチをくぐってステージを回り始めていた。そうそうこんなんだった。やっぱりぼんやりとした顔で流れに乗る子、アーチをくぐった後におにいさんたちとハイタッチする子、かがみながら歩みを進めるたいそうのおにいさんたちに背を押されながら一緒にくぐる子。依然としてそれぞれだったけど、みんな「まあそんなもんだよな」と思えるくらいには、ありふれていて。チャーシューをつまむ。


「そろそろ、おっしまーい!」

ラッパの子のおっとりとした掛け声に、はっとした。この声の記憶が、やけに鮮明に蘇ったのである。子どもながらに感じていた、楽しい時間が終わる寂しさ。その濃さに圧倒されたのも束の間、ある歌詞が畳み掛けてくる。


「けんかしたって なきべそかいたって あしたになったら わすれるさ♪」

……はは。
笑えてきた。チャーシューを口に含む。ああ脂っこい。やっぱり、食えねえよ。
なんだよ「あした」って。


「まーたあーそーぼー♪」

チャーシューを口に押し込む。食えねえ。一人で食える量じゃねえって。なんで、まだ食ってるんだよ。
なんで、泣いてるんだよ。
楽しくないこと、うまくいかないことだらけだった。全部全部、明日になったって元には戻らなくて。だから僕は、明日が怖くて、逃げてばっかりで。
あー、あ。
何してんだろうな。


「それじゃあ、さよなら!」

なあ。わかってんだろ、うたのおにいさん。
あんたの人生だって、やるせないこと、惨めなことがいっぱいあっただろ。僕の同級生と同じようなマネしないでくれよ。お前なんか、学校だってとっくの昔に卒業してるくせに。まだそんな夢見心地の未来を振りかざしてるのかよ。
お前なんか、お前なんか。十数年後には死んでんだぞ。
なんで、そんな笑顔で歌えるんだよ。
僕が、間違ってるみたいじゃないか。
映像は既に終わっていて、画面も暗くなっていた。チャーシューを頬張る。肉を、口の中にねじ込む。
脂の味と、風の鋭い音と蛍光灯の明かりだけが形を成す部屋で、僕は涙を流し続けた。


それから数ヶ月もしないうちにバイトを辞めてしまった理由を、僕はうまく説明することができない。まっさらに、なりたかった。バイトを辞めることがそのきっかけになるのかを問われても、ちゃんと頷けないけど。何がまっさらなのか。まっさらになって、普通に戻るのか、それとももっと奇怪な道で生計を立てていくのか。どこへ行くつもりなのか。胸を張って答えられることは、何もないのだけど。
今だって正しさや希望を平気で語る人間の笑顔は好きじゃないし。どこかで、嘲笑っているし。相変わらずのひねくれ者のくせに。


それでも僕は時折、都合よく。
彼らのことばや歌を。
泣けてくるくらい、信じたくなるのだ。


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ご依頼お待ちしてます。それでは、良いお年を。

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