『シアタースピリッツの魔物』その3
とある劇場に立つ芸人の話です。全5話の短編小説です
感想などいただけたら幸いです
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5
「10月くらいにさ、単独ライブやらない?」
深夜1時、世田谷公園の目の前のデニーズ。おれは相方の俊介を呼び出していた。
「マジで? どうした、急に」
俊介が驚くのも無理はない。おれたちエベレストが単独ライブをやったのはもう4年も前のことだ。
「いや、そろそろ本気出さないといつまでも売れないんじゃないかと思ってさ。それに後輩たちもどんどん売れてってるし」
「まぁそうだけど。」
「おれたちも、もう7年目じゃん? 結構ヤバいわけよ?」
劇場の魔物を見れば売れると信じきっていた。だから魔物が出てくるのを待つだけだと思っていた。でもそうじゃなかった。
「そう思わない?」
「初心に戻るってやつ?」
「そう。デビュー当時みたいにさ、もうちょっと頑張ってみようぜ」
おれたちのやる気がなかっただけだった。売れるための努力をしなかっただけだ。だから芸歴7年も経ってテレビに出たのはわずか3秒間なんだ。
引っ越しのお手伝いをしたあの日、小野さんは仕事を終えるとお礼をするからと言って、おれと水谷さんを飲みに連れていってくれた。
こんなに間近で、スターと一緒に飲めるなんて今思い出しても興奮してしまう。小野さんは仕事の話をいろいろと聞かせてくれた。
こんなチャンスは滅多にないので、小野さんの吐き出す言葉に全神経を集中させた。横で嘘くさいリアクションでご機嫌をうかがう水谷さんに少しイラっとしたが、彼のおかげでこの場にいるのだからと感謝もした。
小野さんがどうやって売れていったのか、そして売れた今のほうが焦りや不安が大きいとテレビでは絶対に聞けない弱音も聞いた。有意義な時間を過ごした。
飲み始めてから2時間、酔いも回り小野さんにも少しだけ打ち解けてきた頃、水谷さんがおれに話を振った。
「お前、なにか小野さんに聞きたいことあるんだろ?」
魔物のことだ。おれが聞きやすいように振ってくれた。
「あの、小野さんが劇場の魔物を見たって噂を聞いたことがあるんですけど、本当に見たんですか?」
しばらく考え込む表情を見せる小野さん。この話題は触れてはいけなかったのか?
「何?それ?」
予想外の返事だった。水谷さんがフォローをしてくれた。
「劇場に魔物が住んでいるっていう噂があって、それを見た芸人はみんな売れるって話なんですけど…。小野さんがその魔物を見たって若手の中で話題になってて…」
一瞬の沈黙の後、あきれた表情を見せた小野さん。
「お前らいまだにそんな噂信じてるの? マジか!」
ウーロンハイを飲み干し、店員に目でおかわりを注文すると小野さんは続けた。
「そんな子供だましみたいな噂を信じてる奴、マジでいるのか?」
気まずくなっておれと水谷さんが顔を見合わせる。
「それな、社員の杉下さんって聞いたことある?」
おれたちが所属する事務所の中では伝説となっている社員だ。小野さんたちのアックスボンバーはもとより、さらに大先輩のパンチラインさんやテリーズさんを育てたという敏腕マネージャーである。
「その杉下さんが、シアタースピリッツができた当初あそこの支配人やっててな、そこで流したデマなんだよ」
デマ? どういうことだ?
「その頃は今と違って、芸人も劇場の仕事をそんなにありがたがってなかったんだよ」
おれたち売れてない芸人にとって、劇場の出番というのは大事なチャンスの場だ。しかし以前は芸人の数も少なかったせいか、すぐにテレビに出られたのだという。
「テレビに出たって、経験が全然ないから地肩のついてない芸人ばっかりになってな、テレビ局からクレームが結構入ったらしいんだ。これはマズいって社員たちの間でも議論になったみたいで、だったら劇場の仕事をきっちりやらせてそこから這い上がってきた芸人だけをテレビに出そうってことになったんだよ」
初めて聞く話におれたちの箸は完全に止まっていた。
「そこで杉下さんが、子供だましみたいなウソをばら撒いたわけよ。劇場に住む魔物を見ると仕事が増えるらしいぞって」
子供だましみたいなウソをまんまと信じていたおれがうなずく。
「そんなアホな話誰が信じるか!って、当時はみんな思ってたんだけどさ、杉下さんがそんなアホなことを言ってまでこの劇場を盛り上げようとしてるんだって芸人に伝わって。じゃあみんなで盛り上げてこの劇場をスターへの登竜門にしよう! って諸先輩方が、それこそ泊まり込みで稽古したりネタ作りをして芸を磨いていった。その結果どうなったかわかるよな?」
「売れていった。」
「そういうこと。努力をしたら売れるのは当然だろ。今の若い奴らはそういう努力もしないで売れようとするから、おれたちも安心してお仕事ができるわけだ。全然恐怖を感じない」
耳が痛かった。魔物を見れば売れるなんて言葉を文字通りに信じていた自分が恥ずかしくなってきた。劇場で頑張っていれば売れるという言葉になぜ変換できなかったのか。努力らしい努力をしてこなかった自分に腹がたった。
芸歴1年目の頃は、夢を持ってネタ作りも頑張っていた。しかし、2年目3年目となり環境の変化もそれほどないと、いつのまにかそこがぬるま湯になっていく。
それでも同期がテレビに出たりすると嫉妬で苦しくもなった。いつか抜いてやろうと頭の中で思い描く日々が続いた。それも思い描くだけで何かアクションを起こすことはなかった。
同期や後輩たちがテレビでレギュラー番組を持ち始めると嫉妬すらしなくなった。売れなくても今が楽しいから、まぁいいかと心のどこかで諦めが入った。諦めが続くとそこに慣れが生じ、仕事がないことが普通になっていく。
そしてこう考えるようになる。
「いつかおれのところにもチャンスは降ってくる。今はそのチャンスを待つだけだ」と。
そんな思考のもとにチャンスはやってくるはずはないのに。
がんばっている人間にのもとにしかチャンスはやってこない。おれたちはそんな簡単な事実にすら目を背けていた。そのなれの果てが今のおれたちだ。
「そうだな。そろそろ本気出すか」
3杯目のコーヒーを口にしながら俊介はそう答えた。その目には強い意志をうかがわせるような、そんな力が宿っていた。たぶん、コイツもコイツなりに売れるための何かを模索していたのかもしれない。
「よし、そうと決まったらこれからライブまで毎日劇場でネタ作りしよう」
「えっ? 別にここでもよくない? 家から近いんだし。」
さっそく俊介が不満そうに言ったが、おれは答えた。
「劇場の魔物が出てくるかもしれないだろ」
俊介の口元からニヤリという音が聞こえたような気がした。
6
「うそ! ヤッちゃったの? バカじゃないあんた?」
星乃珈琲店に裕香の大きな声が響き渡る。
「ちょっと声大きい!」
私が慌てて口の前に指をかざすと、周囲を気にして裕香が続けた。
「だって、そのテレビ局の人と会うの初めてだったんでしょ?」
あの日、私は井手さんに誘われるままホテルに行ってしまった。ホテルに行けばそうなることは分かっていた。けど、真悟のことをもっと聞いてみたいという言葉を鵜呑みにしてしまった。
最初は私だって拒んだ。真悟のことを裏切りたくないし、哀しい思いをさせたくない。でも井手さんの悪魔のささやきに、つい体を許してしまった。
「もし、美咲ちゃんさえよかったら番組に出してあげるよ。」
私さえ我慢すれば、真悟がテレビに出られる。そうしたら絶対に売れる。私の、そして真悟の夢のためだと思えば我慢することができた。だから私はあの日、されるがままになった。
「ていうか、あんた真悟くんにバレたらどうするの? いくら真悟くんのためだからってそれは裏切り行為だよ?」
裕香の言うことはごもっとも。けど、何をしてでも私は真悟に売れてほしい。彼が一流の芸人になる姿を早く見たいの。一番のファンだから。
「で? その新番組っていうのにエベレストの二人は出ることが決まったの?」
スフレパンケーキをフォークでいじりながら裕香が聞いてきた。正直そこまでは決まっていない。その新番組も来年の4月から始まるらしい。
聞くところによれば、局が全面的に力を入れる番組なんだとか。テレビの番組がそんなに早く決まっているなんて知らなかった。
「でも私さえよければ出してあげるって言ってくれたし」
「あんた絶対それダマされてるって。本当にお人よしというかバカっていうか。揚げ足とるわけじゃないけどさぁ、出してあげるっていったのも誰を出すとは言ってないんでしょ?」
「そりゃそうだけど。でも話の流れからいって真悟のことに決まってるじゃん。」
もっともなことを言われて少しムキになって言いかえした。
「そんなのダメ! ちゃんと言質とらないと後で、『そういうつもりじゃなかったんだけど』みたいなこと言って逃げるんだから」
裕香の言うことはいつも間違っていない。それだけに続く言葉がでてこなかった。
まだ私が大学生だった頃、当時付き合っていた彼のために親に無理を言って100万円の借金をしたことがある。
彼のお母様が大きな病気をしたらしく、手術の費用が必要だったのだ。お金を渡してすぐに彼から「病院にずっといるから2週間くらい連絡とれない」と言われた。
私は彼からの連絡を待ちつづけた。お母様の病気で精神的に弱っている彼の負担になりたくなかったから、私からも連絡はとらなかった。
そのことを話したら裕香が「それたぶんダマされてるよ。誰かほかの女と旅行にでも行ってるんだって。絶対そうだよ」と言ってきたので、そんなわけがないとその時は口論になってしまった。
彼の姿を見たのはそれから10日後だった。
ワイドショーで正月をハワイで過ごした芸能人をレポーターが追いかけていた。その後ろを見知らぬ女と手をつなぎながら真っ黒に日焼けした顔で歩く彼がテレビ画面に映ったのだ。
それからというもの何か不安なことがあると裕香に話を聞いてもらいアドバイスをもらっている。彼女は私にとって占い師のような存在。
「そんなことしておいて、真悟くんとはうまくいってるの?」
「最近あまり会えてないんだ。」
エベレストの二人が10月に単独ライブをやるらしい。それを聞いた時はすごく嬉しかった。真悟は舞台の上がやっぱり一番輝いているから。その準備でデートできなくなったのは寂しいけど、頑張っている彼を応援したい。
「でも本当にそんなに夜中から朝までかかるもんなの?」
ここ数日、真悟は夜中になると出かけていき朝まで帰らない日が続いている。ずっとネタを作るために劇場に行っているらしい。らしいというのはLINEで真悟がそうメッセージを送ってきただけで、その姿を確認したわけじゃないから。本当は少しだけ不安に思っている。
もしかしたらほかの誰かと遊んでるんじゃないのか…って。
こんなことを私が思うのは間違ってるかもしれない。それは私が井手さんに抱かれてしまったから、こんな考えになってしまっているのだ。
私がしたことが異常なことじゃないと言い訳するために、みんながやっていることだと思いたいのかもしれない。私がやったんだから、真悟もやってるかもしれないって。少し自己嫌悪。
「久しぶりのライブだから気合入ってるみたいよ。だからわがまま言って彼の邪魔はしたくないんだ」
強がる私に「そうなんだ。じゃあ頑張ってるんだね」と裕香。
なんでもかんでも疑うわけじゃない。そういったところもこの子を信用できる。
「そのライブにテレビ局の人、井手さんだっけ? 呼んで見てもらうの?」
「もちろん!」
真悟を売り込むために私は体を張って頑張ったんだ。ライブを見てもらってレギュラー獲得を確実のものにしたい。見てもらえさえすれば絶対に大丈夫。
「そうか。気に入ってもらえるといいね!」
「うん。」
お皿についたメイプルシロップをフォークですくいながら裕香は言った。
「真悟くんもさ、浮気とか大丈夫?」
ギクリとした。やっぱりこの子は私の不安を見抜いていた。
つづく
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