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『シアタースピリッツの魔物』その1

とある劇場に立つ芸人の話です。全5話の短編小説です
感想などいただけたら幸いです

    1

「劇場には魔物が住んでいる」

おれが所属している事務所の芸人たちは俺もふくめ、誰もが一度はこんな言葉を耳にしている。

それは、小兵力士が一回りも大きな横綱に土をつけた時に言われる『土俵には魔物が住んでいる』とか、高校野球で9回2アウト最後のバッターを打ち取れば決勝進出という時に、投球ミスによりさよなら負けを喫し『甲子園には魔物が住んでいる』と言われたりする、そんな比喩的なことではない。

おれたちが出演しているシアタースピリッツという小さな劇場には「本当に魔物が住んでいる」のだ。


もちろん、おれはその魔物に会ったことなどない。会っていたら今頃こんなしみったれた劇場なんかでくすぶってたりはしない。できることなら今すぐにでも魔物に会って、この地獄のような日々から脱出したいと思っている。

 魔物さえ目の前に現れてくれれば……。

おれは今年で芸歴7年目を迎えるお笑い芸人だ。相方は高校時代からの親友。
7年といえばそこそこ芸歴を積み重ねているように聞こえるが、それは年数だけの話であって実績なんて何もない。
テレビ出演だって一度しかない。しかもその一度の出演も先輩芸人がメインでやっている番組のお手伝いで画面に映ったのはわずか3秒だった。

スペインの牛祭りのパロディー企画だった。広大な敷地に作られたコースに、何も知らされていないおれ同様にくすぶっている芸人が100人ほど放たれる。それを後ろから10人のプロレスラーが追いかけてきて捕まえては投げ飛ばし、ビンタをし、蹴り飛ばすという内容だ。

先輩やスタッフたちはそれを見て大笑いしているが、やられているこっちは何が起きているのかさっぱりわからないまま収録が終わった。

後日、オンエアーを見てみるとそのコーナーは1分ほどのダイジェストで終わっていた。ロケに要した時間は軽く4時間はかかっていたのに、あれだけ走って、あれだけビンタされたのにたったの1分だ。おそらくテレビ局が全然面白くなかったと判断したのだろう。つまりは殴られ損。


プロレスラーを見てパニックになり逃げ惑うおれのたった3秒のテレビ出演だったが、おれの姿を見た美咲は「真悟かっこよかったよ」と言ってくれた。なんて可愛い奴なんだ。おれはこいつを絶対に幸せにしてやるとその時強く思った。


閑話休題、なぜおれが劇場の魔物に会ってみたいか気になるだろうから解説する。それは、「劇場に住む魔物に会うと必ず売れる。」という噂が、おれたち芸人の間でまことしやかに囁かれているからだ。


ある先輩芸人は深夜にライブの準備をしていると、トイレから物音を聞いたという。相方がサボってタバコでも吸っているのかと思い、文句を言ってやろうとトイレに行くがタバコのニオイはない。気のせいかと思いトイレから出ようとすると再び物音が。振り返ってみると、個室の施錠を示す赤いラインが半分まで閉じられているのに気づく。

「あの野郎、急いでタバコ消しやがったな」

そう思い、勢いよく個室の扉を開けると先輩は声を失った。そこには真っ黒い人影のような、獣のような、なんとも言えぬ形状のそれこそ魔物がいたという。


以降、その先輩芸人は一気に売れて今ではテレビで見ない日がないほど売れていった。

ただしこの話がいまいち信用できないのは、その売れた先輩というのが話す人によって違うからだ。

アックスボンバーさんが見たらしいよ。いいや、テコノゲンリさんが見たんだって。何言ってんだよフルーツ街道さんだよ。

みんなおれからしたら超売れっこの先輩芸人たちだが、本人から聞いたわけでもないし、それが本当かどうか確かめる術もない。同じ事務所と言えど、おれたちみたいなドブ板の下に潜んでいるザコ芸人と、キラキラと光り輝くテレビ芸人とでは接点などこれっぽっちもないのだ。


だからその真偽を確かめるためには劇場に住む魔物に会って、実際におれが売れるしか方法はないのだ。

魔物に会って、絶対に売れてやる。 

     

「ねぇ君って彼氏いるの?」
これで今日何回目だろう? ガールズバーで働いていると、客から聞かれる質問ランキングの第1位。

「えー、いないですよぉ」
います。付き合って3年の彼氏。全然売れてないけれど、一応芸人さんをやってるの。

「へぇー、いないんだ? なんで? 出会いとかいっぱいあるでしょ?」

出会いなんて腐るほどある。けれども全部どうでもいい出会い。どんなにイケメンでもどんなにお金を持っていてもどんなに優しくされても、私にとっては何の意味もない。だって私には真悟しか考えられないから。


私と真悟が出会ったのは、人生で初めて行った合コンだった。親友の裕香に「どうしても人数足りないの」となかば強引に連れて行かれた、いわゆる人数合わせ。適当に飲んで、適当に相槌うって適当に帰ろうと思っていた。でも、そこに真悟がいた。


ゴリラを少しだけ男前にしたような顔。形のいい頭には坊主がとても似合っていた。ファッションも気を使ってるようにはあまり見えなかったけど、不潔な感じもなく好感が持てた。


それよりも何よりも、真悟と話しているととにかく楽しかった。顔はそれほどタイプじゃなかったけれど、一緒にいるだけで自然と笑顔がこぼれていた。こんなに面白い人がいるの? と思うくらいによく笑った。

気づいたら私は、真悟に心を奪われていた。

後で芸人さんだということを聞いて納得がいった。逆になんでこんなに面白い人がテレビに出てないんだろう? と不思議に思ったくらい。

そこからは私が積極的にアピールした。また楽しい時間を過ごしたかったし、真悟の言葉で笑いたかった。

あの頃の私は、仕事仲間のことで少し病んでいた。でも真悟と会うとすぐに全てを忘れさせてくれた。会うたびに彼のことが大好きになっていく自分に気付いた。

しばらくデートを重ねて、二人の距離はどんどん縮まっていった。彼のアパートで初めて朝を迎えた時に付き合ってほしいって言われた時は、体の内側から大きなファンファーレが響いた。

帰り道はiPhoneから流れてくるあいみょんをBGMにスキップしたのを覚えている。
 

彼と付き合うようになってからというもの、私の見る世界が一気に華やぎだした。花や鳥や風や月が、キラキラと輝いて私を包んでくれた。幸せとはこういうことなんだ。

デートはいつも彼の家だった。びっくりするくらいお金がないからどこにも連れていってもらってない。それでも私は誰よりも幸せ。だって、真悟の時間を独り占めできるから。

真悟にはお笑いのことだけを考えていてもらいたいから、アルバイトはしてほしくない。だから私が彼のかわりに働くことにした。昼は小さな不動産屋で事務職、そして夜はこのガールズバー。

「美咲ちゃん、3番さんついて」

ボーイが指示を出した先にいたのは、ぱっと見少し遊び人風の男だ。


「ごちそう様でしたー」

目の前の客に軽く挨拶を交わすと「もう行っちゃうの?」とさして残念そうでもない感じで淋しがる客。こういうやりとりも今日で何回目だろう。


ボトル棚の鏡の前で身なりを整えてから、呼ばれた3番席のお客さんの前に立つ。

「イェーイ!可愛いじゃーん」

早速遊び人風の男がノリよく、私をいじってくる。こういうタイプは注意が必要だ。大体が、自分のことを面白いと思ってる男。やたらボケてきて、寒い空気になっているのも気づかずに「ノリ悪いね」と言ってのけるから厄介だ。

「はじめましてー、美咲です。」
「美咲ちゃん、いい名前だね。ウチの死んだ猫と一緒! なんてな」

やっぱりボケてきた。面倒くさいヤツに当たってしまった。とりあえず「何かいただいてもいいですか?」とマニュアルに従ってこの場の空気を変える。

「いいよ。水道水ならね! ウソウソウソ、なんでも好きなの飲みな」
「ビールお願いしまーす」
 水道水のボケはスルー。


「お名前なんて言うんですか?」
「おれ? 井手。よろしくね。しかし本当可愛いね。彼氏とかいるの?」


出ました。ランキング第1位。とりあえず「いない」と答えると男は「チャンス!」とガッツポーズをとった。はっきり言ってチャンスなんてありませんから。

「井手さんは、お仕事は何されてるんですかぁ?」
これはガールズバーで働く女の子が聞く質問ランキング第2位。別に興味はないんだけれど聞くことがないから聞いている。ちなみに1位は「おいくつですか?」


「仕事?なんだと思う?」

面倒くさいクイズ男だ。まったく興味のないクイズを出されることほど苦痛なことはない。大抵この手の人間は広告代理店とか、医者とか、銀行員とか、なんかしら自分の職業を自慢したい男だ。

「えーなんだろう?ヒントください」
とりあえず考えてますよアピールで場をつなぐ。

「ヒントねぇ。うーん、あっでもこれ言っちゃったらバレるからなぁ。頭文字はデ!」
ウザい。

「デ? なんだろうなぁ」
「デヴィ夫人じゃないよ」

当たり前だろ!さっさと正解発表しろ。

「正解はディレクター、テレビ局で働いてるんだよ」
テレビ局なんてすごーい!と感心した演技で喜ばせる。

「でも、テレビとか見ないでしょ?」
「えー、私よく見ますよ。芸人さんとかも詳しいし」
 だって、彼氏が芸人だから。

「そうなんだ?誰かさ、元気ある子知らない? まだまだ先の話なんだけどね、新しい番組始めるんでその番組に出てくれる面白い子探してるんだよね。あっ、これショナイの話ね。」


そう言って人差し指を立てて口元に持ってくるウザい客。内緒の話をこんなところで初対面の女相手にベラベラ喋っていいの?

「元気ある子?」
「お笑い芸人で。ていうか、お笑いじゃなくても、モデルでも歌手でもいいんだけどね。ほら、若い子のアンテナにひっかかる子を知っておきたくてさ。それとも君が出ちゃう?可愛いからいいかもね。ハハハ」

途中から話が入ってこなかった。「お笑い芸人で」って言ったよね。これってもしかしたら真悟を売り込むチャンス?


テレビ局のディレクターなら、真悟をテレビに出してくれるかもしれない。こんなチャンス、滅多にない。真悟のためにガールズバーで働いていたのはやっぱり正解だった。

私はこのガールズバーで働くようになって、お客さんに初めて本当の笑顔を見せた。
「井手さん! 私、オモシロい芸人さん知ってますよ!」


つづく 


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