あの花の香に誘はれ五七五
俳句なんか絶対できない、と思っていた。
書くことが好きで、中学の頃は、クラスメイトたちをモデルに、物語をこっそり。
高校生になると、大学ノートに綴っていた日記は、いつだって、終わりのない散文になった。
だから、私は長い文章しか書けないのだ。
春
ところが現在、わたしはnote内にある「俳句幼稚園」に「入園」し、せっせと作句に励んでいる。
「詠みたいときに、楽しく詠む」をモットーに、俳句を学ぶ「園児」たちが、日々、腕を磨く。
詠んだ句を記事にて投稿し、その記事を専用マガジンに追加するかたちで「登園」すると、俳句の先輩である「担任」や「先輩園児」の皆さま方が、コメント欄で感想やアドバイス、そして句の推敲案をくださる。
「登園」が、ままならない時もあるけれど、日々出される季語は必ずチェックして、毎日1句はスマホのメモ帳に残すようにしている。
だが、登園すると「この中七はどういうことですか?」といった質問もしていただき、つくった句について考え直す機会を与えていただける。
その結果、「これ、わたしが詠んだの?」と驚いてしまうほど、句が良質なものに生まれ変わるのだ。それがまた面白い。
さて、幼稚園児から「小学生になる」
すなわち「卒園」の目安は、俳人・夏井いつき先生の主催する「俳句ポスト365」中級で、コンスタントに「並選」をいただけるようになること。
俳句ポストには初級と中級の投句フォームがあり、投句者はどちらかの級に、自ら作句したなかで厳選した1句を投句する。
もし中級に投句すれば、ホームページに掲載されるかどうか、そして投句した句は「並選」「佳作」「秀作」「特選」のうちどれなのか、夏井先生に選んでいただけるのだ。
ともに学ぶ先輩方からお力添えをいただき、
2度目の投句で初級・優秀句をいただけた。
さぁ、ここから!
夏井先生に選句していただけるよう励むのだ。
なぜ、俳句なのか
かつて市内で行われていた小説講座に通っていた頃、提出した課題のエッセイや小説が返ってくると、講師の先生から必ずと言っていいほど、
「ちょっと、端折りすぎじゃない?」
と言われていた。
思考を詰めていくのが苦手なのと、気が利かないのとで、読み手が知りたいことを、無意識のうちに端折ってしまっていたようだ。
だが俳句は、よけいな説明をそぎ落とし、ほんとうに伝えたいことだけが伝わるよう、言葉を17音のなかで組み合わせていく「省く」文学である。
言葉を削りすぎて何を言いたいかわからない、と自分自身で評価を下した句ほど、「この句スキです!」といろんな方からお褒めの言葉をいただけるのだから、楽しくなって、また詠んでしまう。
小説やエッセイなどの長い文章を、子育ての合間に書き続けるのは、なかなか骨が折れる。
けれども子育ての、ほんの少しのスキマ時間に全集中で向き合えば、俳句は短い時間でパッとひとつできてしまう。調子が良ければ、ふたつも、みっつもポンポン浮かぶ。
時間がかからないのが良い、などと書いてしまっていいのかわからないが、いまは自分の時間とやらを捻出するのもひと苦労。まだ2歳前の娘の世話で、家事も何もかもすべてを途中のままにしてしまう生活に、俳句は合っている。
目まぐるしい子育ての合間の清涼剤。
それが、わたしにとっての俳句だ。
喜びごとはサクっと一句、悲しみや怒りなどの重たい気持ちは、小出しに何句も詠む。
散文になると、なかなか出てこない重たい気持ちが、雪の溶けるように少しずつ流れていく。こころが、だいぶ軽くなる。
俳句なんか絶対できないと思っていたわたしが、いまや俳句に励まされ、俳句から元気をもらって、日々過ごしている。不思議なものだ。
こうして、俳句を楽しむきっかけになったのが、あるnoterさんとのご縁である。
夏
初めて2ヶ月足らずのnoteのタイムラインを流し見していると、花の名前を持つ彼女の記事が目に留まった。
それは、凛とした、みずみずしい詩だった。
クリエイターページのプロフィールを見てみると、「阪神タイガースを応援している」とある。
わたしも、ファンというには烏滸がましいけれど、同チームの北條史也選手を推している。
タイガースの情報を得られるかも。
軽い気持ちで、彼女のアカウントをフォローした。
何日か過ぎ、彼女のほうから、わたしの記事にコメントをくれた。そこでやり取りしているうちに、彼女もわたしと同じく「北條ファン」であると知った。
たぶん、彼女と比べるとその熱量は、天と地の差かもしれないけれど、実生活でも出会ったことのない北條ファンに、ネット上で出会えたのが嬉しかった。
嬉しかったのは、それだけではない。
彼女はわたしの誕生日に、お祝い記事を書いてくれた。彼女所有の、北條のレア画像をいくつか添えて。
感染症の影響で、実生活で友人たちに会えない日々が1年以上続き、産まれた娘をお披露目することも叶わない。そんな状況もあって、彼女の心遣いに、思わず飛び跳ねてしまった。
顔を合わせることのない文字だけのやりとり。
お互いの本名すら知らない間柄なのに、こんなふうに親切にしてくれるなんて。
ネットだけの付き合いでも、画面の向こう側にいるひとたちと、温かな心を通わせることができるんだと、彼女は教えてくれた。
秋
季節の変わるのと時をおなじくして、彼女の投稿する記事の種類が、すこし変わってきた。
これまで投稿していた、詩やタイガースのことに混じって、俳句記事が徐々に増えてきたのだ。
正直、記事から彼女の詩が減っていくのは、いくらか寂しくもあった。
だが、俳句に取り組む彼女は、なんだか楽しそうに見えた。
その旨をコメント欄で伝えると、こう、返信があった。
そうか、俳句は奥深いのか。
彼女の俳句記事を見るたびに、ひと知れず、尊敬の念と羨ましさと寂しさの混ざった、ほんのちいさなため息が漏れた。
書きたいことを書くのに、あれもこれもと文章を盛って、画面を文字でパンパンにしてしまうわたしが、こころの中にあるものを、たった17文字で表現できるわけがない。
悶々としているうちに、クリスマスが近づいてきた。華やかなクリスマスツリーの画像が縦に並ぶタイムラインのなかで、ひときわ目をひいたのが、彼女の記事。
「冬の俳句大会」の告知だった。
読めば、彼女も大会の運営に関わり、応募記事の回収をするという。
そうか……。
ごく自然に、「チャレンジしてみよう」と思った。
俳句なんか、いままで嗜んだこともないのに。
冬
彼女の告知記事から、募集要項の記された記事に飛び、一字一句、読む。
テーマは「冬っぽい」俳句。
1記事に、3句まで応募可。
応募期間は、12月25日から1ヶ月ほど。
なるほど、クリスマスから始まるのか……。
クリスマスといえば、自宅近くの並木通りで、毎年やっていたイルミネーション。
通り沿いにある家々が、みんな電飾で眩しく輝いて素敵だったのに、感染症で今年も中止。
あぁ、恋しいなぁ。
1歳半(当時)の娘ちゃんに見せたい。
きっと、喜ぶはずだ。
冬といえば雪。
でも、わたしの住む沖縄には雪は降らない。
あ、そういえば。
すごい寒い日があって雪も降ったと思ったら、
次の日の新聞で「あられが降った」って。
やっと沖縄でも雪がって、
テンション上がったのになぁ。
それから、1枚の写真がパノラマになって、
脳裏に浮かんだ。
修学旅行先の、雪の積もった阿蘇山のまんなかで、顔を紅潮させ満面の笑みを浮かべた、中学2年生のわたしが、制服の上からジャンパーを着て、ピースサインを決めている、あの写真。
見わたす限り真っ白な阿蘇山で、同級生たちと雪だるまつくったり、雪合戦したりそりすべりしたり、思いつく限りの雪遊びを、ぜんぶやった。
あのとき、いままで生きてたなかでいちばん、
楽しかった。
はじめての子育てに追われ、記憶の隅に追いやられていた「冬の思い出」が、家族の寝静まった夜のリビングで、次から次と泉のようにわいてきた。
季語とか切れ字とか、そういった「俳句の基本中の基本」を知らないまま、冬のエピソードを何となくの「五七五」で紡いでいく。
とりあえず3句つくってみたけど、これでいいのかな。もしかしたら、俳句にすらなってないかも。
クリスマス
不安でドキドキしながら、募集要項にあった「どなたでも参加できます」という文言を信じて、深呼吸とともに、生まれて初めて詠んだ3句を、ネット上にさらけだした。
そのなかの一句が、まさか、審査員賞をいただけるとは。
わたしは幼いころからピアノを習っていて、高校では声楽も同時に学んでいた。どちらにもコンクール出場経験があり、大人になるとピアノ講師兼ブライダルシンガーとして、食べていけるようになった。
恥ずかしい話だが、結婚前まで「本業」にしていたピアノと声楽のコンクールでさえも、賞をもらったことがないのだ。
俳句大会の審査員賞。
これが、40年近く生きてきて、
初めていただいた「賞」なのである。
できないと思っていた「俳句」での受賞。
生まれて初めての「こころ震える」経験。
自分の作品が、はじめて誰かに「選ばれた」
キラキラした温かいものが、
胸にせまってジンとした。
俳句を「詠める」
賞までいただいて、「俳句なんてムリムリ」という積年の思いこみがひっくり返り、これまでの人生180度変わった。
季節感の乏しい沖縄で、春の句を詠んでいるのに夏の季語を使っていたり、馴染みのない季語ばかりで戸惑ってしまったりもする。
それでも、俳句は楽しい。
この楽しさを教えてくれた、花の名を持つあのひとへ詠んだのが、タイトルの句である。
夫や娘をはじめ、家族との日常、そして沖縄のかすかな四季を愛で、ネット上で出来た素敵なご縁を慈しみ、細く長く、俳句を味わい折り返す
それを、これからの人生にする。
しかし当面の目標は、現在開催中の「宇宙杯」
すなわち、春の俳句大会での受賞である。
冬の審査員賞が、ビギナーズラックにならないよう、ステップアップを図れただろうか。