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女とか男とか...

こんにちは、バリ島初オリジナルバッグsisiの生島です。

日本・奈良に一時帰国中です。

夏休みらしい写真でしょう🌻

今回はイベントなどの予定もなく、駅前のカフェのバイトも無さそうなのでのんびり過ごしています。

のんびり…が出来そうで出来ない病気なもので、あれですが、自分の中ではのんびりしています。

そう、バリ島で駆け抜けた春から初夏だったので、今回の帰国の1ヶ月(そう、1ヶ月今回奈良にいます)これをしよう!と思ってたのが、コレ!
コレばっかり…

アメトークCLUBと迷って、のNHKでした。

私が観たかったのは『虎に翼』です。 バリの家にはTV自体はあるんですが、そこで日本のテレビを観ることはなく、時々NetflixやYoutube…

噂になってる朝の連続ドラマ観たかった…あと、なんとか様の何人のなんとか…

ちゃんと調べてから書きなさいよ…私…でも、わかる人には分かる。

色々作業などしながら『虎に翼』観てますが、こりゃコレだけ観て1ヶ月終わってしまいそう…あ、72時間も時々観てますが…

NHKの回しものみたいになっていますが…

さて、今回ちょっと書きたかったのはタイトルの「女とか男とか」です。

『虎と翼』、日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、一人の女性の実話に基づくオリジナルストーリー。(NHKホームページより引用)

としか知らなかった…女優の伊藤さんが割と好きで気になっていました。

大変面白くって、おそらく今週以内にはリアルタイムのものに追いつきそうです。ちなみに最終回は9月の頭予定ですって! あかん、観られへん…8月からずーっと忙しくって、観れるとしても…10月??いや、10月も前半出張だから無理、11月もイベントずっとあって無理、12月は日本…ここか??

さてさて、皆さん、内容を割とご存じと思って話していきますが、いろいろなことがテーマになっているこのドラマ。単純に「女性の自立」という言葉では括れないのが良いところなのかな、と思っています。

「女性の自立」というのはそもそも何なのか。

まず、そこなんですね、私にとっては。

私は今まで有難いことに「女性に生まれて損なことが多い!」と思った事が…ほぼない環境で生きてきました。

父と母も対等な、いや、どちらかというと母優勢(まさにドラマ『虎に翼』のように)の家だったし、バイトも仕事も飲食関係で、それも厨房じゃなかったし(厨房の中だと女性は大変なところも多いよう)、バリ島に移った1999年以降は自分でやってるもので、誰かに強制されて女性として辛かったことは…はて?(生理痛もほとんどないし)

あぁ、確かに女性だから、と舐めてきた男性たちや諸先輩方はいましたが「愚かだ、滑稽滑稽」と笑って蔑んで済むようなものでした。 

ドラマでは時代背景ももちろんあり、強制的に「女性はダメー」(法律や規則などで)というものもあり、同じには決してならないのですが。 

でも、私も女性だからこその葛藤はあったのをドラマを観ながら思い出しました。 その中でも子供を妊娠し、そして出産直後の頃…

「母として、妻として、経営者として全てきっちりやっていける」
と、いう自信がありました…(いや、そもそも雑だから出来てなかったんだけれど)それが、どれも中途半端にしか出来ず自分に腹を立てていた、そして悲しくて悔しくて、という時期がありました。

今となっては、「そりゃ出来ないでしょ!ドンマイ、ドンマイ!」と当時の私の肩を叩いてお茶と甘いものでも出してやりたいぐらいです。

でも、当時の私はやってのけたかった。そして、皆に「さすが!」と言って欲しかった… 過信した傲慢な考え方だったと思います。「何のためにそれやってんの?」のところが全部変なところに向いていたのだと思います。

今年の春ごろから、カウンセラーと言うと大袈裟だな…そう、「相談員」として人様のお悩みというか苦しみを聞くことをボランティアでしています。

これまた、私みたいな色んな経験をした面白いおばさんが解決してやるワイ、ぐらいのいつもの傲慢な気持ちがあったのだと思います…それが始めてみると、私の知らない世界の、知らない辛い経験をした人たちの心の叫び、時として叫べない人たちのお話を聞くことに。

どうにか楽になって欲しい、と考えても、私みたいな呑気な環境で呑気に育ってきた人間には聞くしかない…

え、こんなに無力なの?

と、私自身のことを思う一方、どうしてこんな理不尽な目に遭う人たちがいるんだろう、と強く思います。

そこ(相談して来られる場所)には男女の差はないのだけれど、やはり目につくのは女性の配偶者(男性)からによる圧力。 そして子供たちの相談する相手がいない八方塞がりの環境…

そんな辛い立場にいる人たちは、そもそも「女性の自立」!などと言う以前に、自分がひとりで選んで、責任も背負ってやっていく方に行っても良いんだ、という認識?意識がそもそも持てない。

「女性の自立」というのはそもそも何なのか。

また、書きましたけれども…経済的な自立?精神的な自立?物理的な自立?

経済的に自立していれば精神的な自立にもつながるのだろうか? 他のものは? 自立の反対は「依存」。 依存は男女間以外にもある…あれ?女性の自立はそもそも男女間だけで使われるものなのか?

大体、自立自体「良いこと」なのか?

ドラマの中で憲法が改正されて「結婚した場合、妻が強制的に夫の氏を名乗らなければならない」と言うのから「妻か夫の姓を名乗る」というものに変わっていました。

画期的!

と、なっていました。でも、私は今の、いや、もう何十年も前からだけれど、選択的夫婦別氏制度が1番良いと思っています。この話は次回書きたいと思っています、長くなる…

今回のブログで何が言いたいかと言えば、私はどこかで「男女差別」というか、女性が不利益であることがとても多い、というのは頭では分かっていても、自分自身が強く実感した事がなく、どこか他人事と思っていたのだけれど、ドラマを観て、そして「相談員」として、「なんだそりゃ、たくさんあるやん、おかしない?」と思い思い始めた、という事です。

以前「フェミニストの生島さんとしてはどう思われますか?」と意見を求められた事がありまして、大変驚いて「私、フェミニストじゃないですけれど」と答えたら「相手」の女性がすごく驚いてて、二人でキョトンとしてた事がありました😂

鳩や海亀に似てると言われます

いわゆる「女性の自立」の定義かハッキリわかりませんが、私の人生のテーマは「選べる人生」なもので、自分が納得していたら、基本何でも良い、と思っています。Twitterのプロフィールにもそのようなことを書いております。

婚姻関係のある男性のパートナーのことを「夫」や「旦那」、「亭主」などと呼ぶのは差別を生むから良くない、という話があり、ウブドの知人らに「尚美さんは なんと呼ぶ?」と聞かれて「旦那か夫、別になんでもいい」と言って、これまたキョトンとされました。

彼女らが「相方」とか「パートナー」と呼ぶのは本人らの主義で、良いと思います。なーんも考えてないより良いと思う。でも、私は気にならない、なんでもいい。 うちの夫が私を「奥さん」とか「妻」とか「嫁さん」とか言うのもなんでも良い。パートナーと呼んでいても、嫌な感じなら嫌だし、嫁はん、でも愛がある感じなら素晴らしい。

やはり選んでいくこと、いける事が大切なのだと思う。ここに関しては、こう呼べば良い、と言うのは特に感じられません。 「先祖のお墓をよく拝んでる人は出世する」とか「トイレが綺麗な飲食店は成功する」みたいなもので、ソレありきでは無い、っちゅう話、です。

それぞれお墓にしょっちゅう行ってるような感謝の心がある人は心配りが出来る、とか、トイレまで木が回る、一瞬目立たないようなところまで手が回るようなお店は成功する確率が高い、って話。

呼び方がそうなら「リスペクトしてる」のか、と言えば、それは別の話のように思う。でも、考えて、それが良いと思ってちゃんと自分からそうしてる人はいいと思う。

今の法律では昔から考えて割と男女平等なルールで(法律に詳しくないので、そんな事ない!という場合はスンマセン)プレイ出来る土壌はあるのだと思う。あとは「選ぶか選ばないか」

ちょっとテーマからはズレるかもだけれど、「負けて悔しくって起こっても良い。負けても意味がある、そのやったことはいつかの誰かの何かに結びつく」というような事を寅子さんは言っていた。

その通りだと思う。

だから、私は「でも、どうかと思うな〜」とよく言うのです。(弱い!)

例えば、女性はそれは出来へん、ってのは、それはそれでしょうがないけれど、なんで出来へんのかは説明して欲しい、納得したい、とよく言ってて、家族、そして友人らを困らせています。でも、知りたいんですよ、「ドチテおばちゃん」は。

今回も長くなって、結局何が言いたいの?と言う内容になっておりますが、
結論!

  • 私は恵まれた環境で生きてきた

  • 世の中辛い立場の女性は多い

  • でも一概に立場だけでは良いか悪いかは言えない

  • 選べる人生が大事

でした。
これを読んで下さっている、あなたが自分の置かれた立場に疑問があるならば、しっかり考えて変えていくべきかもしれない。 皆が「それでいいの?」と言うような現状だけれど、本人が満足してる、ならそれで良い。 でも、もし子供さんがいらっしゃるならば、多くの選択肢を見せてあげて欲しい。 選べるんだよ、敢えて私は選んでないけれど、と言うことを教えてあげてほしい。そして、それは女の子にだけ教えるものではなく、息子が居たら、実の子じゃなくても若い男の子、男性がいたら、話せる機会があったら是非してあげて欲しい」

選べる自由というのは選べる自由というフィールドの中でプレイヤーが「選ぶわ、自由」と言ってはじめて成立するものだと思う。いや、選べないフィールドで多くのものを犠牲にして戦って選ぶ自由もあるかもしれない。

でも、大人はもう無理、でも子供たちにはちゃんと教えてやって欲しい。

なんて、「子離れちゃんとしてくださいよ」と子供たちから言われる私が長々と語ってしまいました、失礼しました。

次回はこれについて書きます、と予告しときます。(なかなか書かないから)

↑苦笑いの内容です。


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