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短歌との決別 —〈私〉という増強装置の可能性 石田郁男

 もう随分昔の話だが、わたしは小説の新人賞をいただいた。短歌はといえば、はじめてからちょうど十年。でもこの半年は、読むことも詠むこともできずに過ごした。
 小説は全部で七作の短編を発表した。わたしの小説はいわゆる〈私小説〉に似たものが多い。そして純然と人物を作り上げた虚構作品を書くと、担当者からいわれた。
「どこかサガンみたいだけど、編集長が嘘っぽいと言って通さないんです、石田さんはもっと自分のことを書くほうがリアリティがあって面白いと思いますよ」「自分のことって身辺にはあまり面白い話もないし、周囲にも気を使うので大変なんですよね」とわたしはこたえた記憶がある。
 短歌を始めることにした時、実は俳句にも興味があった。親しい友人が、「お前の小説は私小説に近いから、たしかに短歌のほうが向いているかもね」と言った。そういうものかと思って、少し始めてみようと思った。入門書を取寄せてみると、確かに短歌には〈私〉しかない。ちょっと窮屈だと思った。その上に、苦手な古文を知らないとニュアンスが伝わらなみたいだ。この印象は今でも続いていて、そのあたりのモヤモヤ感は晴れていない。この〈私性再論〉という課題について色々考えているうちにそのモヤモヤ感を書いてみようと思った。
 〈よくわからないこと〉の一番に、短歌の〈私〉というのは、短歌の属性なのか、それとも短歌の本質を形成するものなのかということだ。わたしのかじりかけの知識ではわからない。まあどちらでもいいような気もするのだが、直感だと前者で、歴史的にそのようになったのではないか、叙事詩だってあり得るわけだから。
小説では〈私小説〉は日本独自の小説形式でエッセイに近い散文だと外国人向けに紹介されている。純然たる物語でもなく、作家に似た〈私〉が出てきて情景を描写していろいろな思いを述べる。例えば、志賀直哉の「城崎にて」などは確かにそのような風情だ。
 イギリスの作家デフォーの長編小説「ロビンソン・クルーソーの生涯と不思議な驚くべき冒険」や、ジャン=ジャック・ルソーの「告白」にしても〈私〉だ。心情を吐露しやすいのだろう。
小説家の大岡昇平が『現代小説作法』の中でルソーについて次のように述べている。
 
 ≪私はこれまでに例のなかった、そしてこれからも真似手のないようなことを、企ててみようと思う。自分と同じ人間仲間に向かって、一人の人間を、まったく自然のままの姿でみせてやりたいのだ。そしてその人間というのは、私だ。(井上究一郎訳)≫(略)有名なルソーの『懺悔録』の冒頭です。この本はゲーテの「詩と真実」、シャトーブリアン「あの世よりの回想」、トルストイ「懺悔録」その他無数の類書を生み、日本でも藤村や花袋の告白文学の刺激となったことは、御存じのとおりです。」(略)ルソーを真正直に取った藤村や花袋のおかしさについては、多くの人が指摘しています。近代文学が自己を見つめすぎる結果、必ずと言っていいほど落ち込む陥穽です。≫(注1)
 
 ここで言及されている田山花袋は、明治時代には短歌にも影響を与えた自然主義小説の権化のように言われた作家だ。「布団」という悩ましい告白を描いた。作品自体は三人称の時雄という主人公で〈私〉ではないが、実録というスタンスなのだ。それはルソーが、「自然のままの姿」と呼んだもので、そこに見るものをそのまま描くことに人間の真実があると信じられた時代だった。大岡が「近代文学が自己を見つめすぎる結果落ち込む陥穽」といっているのはそのことだ。この自然主義的な表現が実は、アララギの唱えた「写実」に似てはいないだろうか?
 「写生」について『岩波現代短歌辞典』の大島史洋の解説を引用してみよう。≪土屋文明は、赤彦や茂吉の写生論を補足して「写実が、進んだ深いものであるためにはぜひとも客観に従順であることが必要である。けれどもそういう場合でも写実であるか、ないかの標識となるものはその客観的な性質にあるのではなく、それを把握している主観にある」(「短歌概論」『短歌入門』所収)として「対象を把握する「主観の強さ」に写生の根本をおいた。≫(注2)
 ここで注意が必要ななのは、私小説は、必ずしも主人公が〈私〉ではない点だ。短歌の〈私〉は、一人称の〈私〉であって、その比較を行う場合、実体験といわれるものをそのまま題材として表現する、という点が似ているだけである。
  大岡のいう「滑稽さ」は、一言で言えば、作中の〈私〉と作者の〈私〉の間に隙間がないことに驚かないことからくると言い切ることができる。実は斎藤茂吉も、『短歌写生の説』のなかで、次のように述べている。同じく『現代短歌大辞典』(注2)からの引用である。≪歌ごころの衝迫にしたがって、(略)その間に二次的の雑念を交えずに、中途でふらふらと戯れることなしに、表すものをば表すのが写生である。≫
 ルソーから三百年、藤村や花袋から百年を経た現在の私たちは、ソシュールに始まる言語哲学を皮切りにして、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』、ジェラール・ジュネットの記号論、またロラン・バルトの構造主義批評などを通じて、〈私〉が一人称単数代名詞という機能を背負わされた単なる記号でしかなく、説話者として(あるいは告白者として)しばしば使用される主格であって、作者ではないことを知っている。
 そのようなわたしの浅薄な知見をもってしても短歌の偏愛的な〈私性〉を考える時、まず先に指摘できるのは、独善的な滑稽に陥るのは批判精神としての他者を包含しない〈私性〉にあるという点だ。
 近現代に限らず、モリエールの芝居まで含めて、何重にも反映される鏡のような批判精神が自由に機能する場合にのみ、ある作品は独善におちいることなく、ひとつの生命力を得て普遍性を獲得するのではないか。
 では、そのような批評精神を内包する〈私性〉とはどのようなものなのか?
 
 まず、敗戦時において、文芸評論家の臼井吉見が次のように指摘している。同じ岩波現代短歌辞典の〈私性〉の項目から穂村弘の解説を引用する。
 
 ≪一九四六年に臼井吉見は、開戦時および降服時の短歌作品にみられる感激の同質性に触れて、その表現形式としての限界を次のように指摘している。〈短歌形式を提げて、現実に立ちむかふことは、つねに自己を短歌的に形成せざるを得ない……かくて短歌形式になじむ限り、合理的なもの、批判的なものの芽生えの根はつねに枯渇を免れるわけにはゆかぬ〉(「短歌への訣別」)。≫(注3)
 この指摘は、批評精神を反映しにくい家父長制の強い伝統的歌壇の雰囲気を十分に伝えている。
 
その後、六十年代に短歌の〈私〉を巡って論争があった。その要約部分として以下、篠弘歌論集から引用する。
 
 ≪はじめに「私性」の問題が特集されたのは、昭和三七年一月の「まひる野」であった。生活に追随する自然主義的なものへの遡行を、まずもって怖れていたからに違いない。(略)岡井の「〈私〉をめぐる覚書」について、(略)短歌が私詩として生きうる可能性が執拗に探られていた。(一)〈私〉の拡散と回収、(二)作品に生きる人間像と表現者の主体、(三)日常性の回復、(四)高次元のフィクション、などのテーマをめぐり、短歌の原質にかかわる巨視的な見通しをふまえて、作品の背後に「ただ一人だけの顔が見える」ように描出する方法が吟味されたのであった。≫(注4)
 
 これにたいして寺山修司は次のように反論している。
≪私小説(私文学一般)には、すでに了解済みのことは書かずにすます、という不文律があって、作者は常に一人の「人物を創造」するという造化のたのしみよりも、自分の実体験を報告するための文体をえらびだす、ということのほうに熱中して折ればよいからである。言ってみれば、私小説をふくむ「私」文学の歴史は、絶えず自己肯定の歴史であり、弁明の記録にすぎなかったのである。(略)彼らは自分の外に他者を持たぬばかりではなく、自分の内にも他者を持っていない「他者をもたぬ」ということは……「私」の規定があいまいで成立しがたいのだということの証明である。……「私」を規定することは、実はきわめて難儀なことなのである。≫(注5)
 
 寺山修司は、〈われ〉によって他者を語ることで「一人称による全体文学」を提唱したが残念ながら実作を提示するには至らなかった。
 では〈私〉を規定するとはどういうことなのだろうか? それは〈他者〉の視点を導入できる表現形式をもつことであろう。寺山自身の演劇を含めた様々な〈異化〉の試みがそれを示している。
短歌においてはその後、わたしの知る限りでは新たな手法は考案されてはいないようだが、現在もその延長線上で様々な試みがなされていると思える。
 前述の穂村弘の指摘の続きを引用してみよう。
 
 ≪以上のような〈私性〉の変遷を貫いて、岡井隆による次のテーゼは二〇世紀末の現在もなお生き続けている。〈短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の─そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです。〉(「私文学としての短歌」)≫
 
 戦後高度成長期六十年代半ばの流れの中で、小説の世界に起きて、短歌の世界に起きなかったことが一つある。それは遠い部分で〈私性〉の問題につながっている。戦後文学が敗戦、六十年安保などを経験した末に「第三の新人」の作家が自分たちの感性と言葉で戦後を切り開いた。そしてその熟成のなかで、小島信夫の『抱擁家族』という作品が書かれた。この作品が示しているのは、戦後の家庭、家族というものの崩壊である。静かに日常に浸透する戦後の深い部分での変化を、短歌はとらえることができなかったのではないか? あるいは前衛短歌運動が盛んであったにもかかわらず、そのような社会の深部での変化を受け止めるに足りる器としては認識されていなかったのではないか。また言い方を変えると、短歌は、小説における小島信夫という作家を持たずに来たことが、叙情の質を従来のものに固執させる原因となった。詩のリアリティを確保するのに精一杯で、叙情という土壌から飛躍できなかった。
 家長を中心とする家が崩壊し、家族の変容に敏感に気づいたのは、二十年後の女性歌人の台頭の中で、女性の側からの歌に見ることができるだけである。
 
  子育ての女もつとも充実すと信ずる男の単純さよし 『シュガー』松平盟子
  女(め)の舟と男(お)の舟の綱ほどけゆくのではなくわれが断ち切りてやる 『プラチナ・ブルース』
 
 これらの歌が社会的な背景をいやおうなく表出している要因は、短歌の中に〈他者〉を引き込んでいるからである。それまでの家族詠の多くは近代短歌以来の男性歌人の側から詠まれてきた。歌壇という世界が時代の変容を受けいれずに通り過ぎてきた所以であろう。
 しかしこれは、松平盟子という歌人が他者の視線を持ち込んでいるからであって、短歌そのものの中に「第三者の批評的な眼」がはぐくまれる形式に変容したかといえば否である。一人称の語りの中に三人称の視線を導入することは困難だ。だからこそ、≪私小説をふくむ「私」文学の歴史は、絶えず自己肯定の歴史であり、弁明の記録にすぎなかったのである……「私」の規定があいまいで成立しがたいのだということの証明である≫という寺山修司の指摘は正鵠を射ている。
 
 〈笑い〉は常に批評精神を含んでいる。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは、〈笑い〉が、社会生活で固定化した「機械的こわばり」を破壊し、それに対比される生命が持つ柔軟性や流動性の中へ戻す働きをする、と述べている。例えばモリエールの喜劇を想像するだけでよい。文学において〈笑い〉は重要であるが、良質な笑いやユーモアのある作品は少ない。それだけ困難なのである。さらに〈笑い〉にもいろいろな笑いがあって、対象そのもののおかしさ、シチュエーションの面白さ、ペーソスのある笑いなど様々である。ここで藤島秀憲の歌集から引用してみよう。
 
縁側の日差しの中に椎茸と父仰向けに乾きつつあり 『二丁目通信』
いちにのさんで父は湯舟に移されるもはや土管の重みのなくて 『すずめ』
 
 いずれも、父親の介護に題材をもとめた重いテーマの歌だが、単純には笑えないユーモアを秘めている。そしてここには、自分自身を含めた他者や社会に対する確かな視線が感じられ、それによって社会詠たりえている。
 もういちど「私」を規定するとはどういうことなのだろうかという問いに戻ってみよう。批評精神を抱え込むには他者という視線が必要であると述べた。では〈私〉という一人称の代わりに三人称の視点を使えばいいというかもしれない。はたしてそれは可能か? 短歌ではそれは容易に「神の視点」にならないか?
 
 例えば、ここに一葉の写真がある。ローマ教皇のフランシスコが言及した長崎の焼き場に、亡くなった弟を背負って立ち尽くすひとりの少年の写真。確かにテーゼとしては前世紀の古めかしいものであるが、この少年の前で短歌には何ができるのか、と問うてみること。それはまたどのような意味を持つのか? 短歌の〈私〉は、この少年の内側に入り込み、歯を食いしばっている少年の視線がとらえている何かを想像し、絶望的な心の内側から描くということはできないのか。短詩という制限もあるだろう。この少年は〈私〉ではない。〈彼〉である。〈彼〉であるからこそ、〈私〉の目で想像することはできるはずだが、短歌は常に外側に立ち尽くす。〈他者〉の心の中に入り込むことはできないのか? できなくていいと言う声もあろう。それこそが短歌だと居直るかもしれない。それはアララギ以来ずっとやってきたことだ、と。あるいは〈掟〉をやぶる振りをすることもできる。物語としての前提を作り出すことだ。話者〈私〉が、「彼は立ち尽くした」または「私は立ち尽くしていた、と彼は言った」と述べる。入れ子構造にすれば不可能ではなかろう。
 結局、そのような試行錯誤で何がえられるか? 散文の後を追うだけで、リアリティは確保できるのか。短歌の本質を残しておきながら新たな視野を開くものなのか。短歌はこの写真の少年の前で何ができるのか、と問い続けること―—。その時、最後に何が判断の基準になるのか。わたしは、リアリティといいたい。「実感」といっていいかもしれない。
どのような手法にせよ、この少年の内部の声を伝えること、それが求められる。短歌が従来的な心情の吐露に終わらないで、今ここに生きていることを肯定する声を掬い上げる器でありえるかどうかが問われる。散文や写真・映画ならば容易にできることを、短歌でやる意味はあるのか、ということも。
 
 ここで、前衛短歌論争において議論の対象となった平井弘の『顔を上げる』について言及しておく必要があるだろう。一九六一年に出されたこの第一歌集は、今読んでもみずみずしい少年期の喪失感がリリカルに詠われており、寺山修司の初期歌群をおもわせる。見ること・見られることの間に生まれる屈折した自意識の動きが、コンプレックスにあふれた恐れの心とせめぎあっていて、村・家族という閉鎖された世界にくりひろげられる。『現代短歌大辞典』から以下小塩卓哉の解説を引用する。
 
「平井の作品中の実在しない兄をめぐって、小瀬洋喜と岡井隆との間で激しい虚構性についての議論がなされたように、フィクショナル作品世界に特徴がある」
  空に征きし兄たちの群わけり雲わけり葡萄のたね吐くむこう
  兄たちの遺体のごとく或る日ひそかに村に降ろされいし魚があり
 
このような虚構について、平井弘は半世紀後に、吉川宏志との対談で次のように述べている。
 
「兄というのを私は別に虚構したとは思ってないです。岡井さんが書いてたんですけど、平井は戦死した兄を虚構したんじゃなくて、戦死した兄を持つ弟を虚構したんだ、と。これだとわかるんです。戦死した兄を虚構するのは、これは他者、対象の虚構ですね。でも、戦死した兄を持つ弟というのは、主体、自分ですものね。他者を虚構するのとは、ちょっと違うことなんです。戦死した兄を持つ弟を虚構したと言われると、思い当たる点はあるんですよ。だから、私はそれを今でも引きずって歌にしてるんで」(注6)
 
 この発言は興味深い。個人的には、リアリティを維持しながら作り出されたこのような虚構は十分にありうると思うし、経験からしても、現実の人間関係を考えて書くことを控えてしまうので、そう考えるとこのような虚構を装うことで自由に表出される(客観化される)ことがありえる。そういう経験からしてもむしろこのような試みを讃えるべきだと思う。しかし、「オオカミだオオカミだといって叫んだオオカミ少年」が、誰からも関心を示されなくなる話のように(そこから文学が始まるのだと言った人もいたが)、特に短歌世界という長い目で見ると、毎回違ったフィクションを作らねばならず、同じ問題を時間の経過とともに深めるということが一見困難になる。また、作者自身のモラル的な問題もあるかもしれない。この平井と寺山の作品に、共通して感じられる風通しの良い言葉の印象は、案外そのような部分からきているかもしれない。だが同時に、わたしが昔「私小説」を書いていた時、「この部分は良く書けています」と編集者に指摘されたのは必ずと言っていいほど虚構の部分だったことも付け加えておく。
 わたしは最近父についての短歌の連作を書いた。記憶の中の事実に基づいてだが無意識に細部を脚色したかもしれない。それは書きたいと思っていたテーマをよりわかりやすく伝えるためである。だから、作品のなかの父は本当に存在した父とどこかでわずかに違うだろう。より普遍的な父親像になっていると思う。わたしは今後も父親についてのテーマ(正確には父親についての子としての「私」のテーマ)を深めることができる。わたしの記憶の中の父親は、あのプルーストのマドレーヌの香りと同じように、缶入りの両切りピースのタバコの香りを放ち続ける。あっ、そういえばプルーストの香りは、最初の草稿ではパンをトーストしたものだった。でも、これからも長い間、世界中の人は「プルーストのマドレーヌ」を信じ続けるし、それはそれでいいのではないだろうか。

 短歌が、その視野を拡張するために第三者の視点を内包する〈他者〉を抱え込むには様々な方法が考えられる。一つは理性的な方法で、物語を内包する方向、もうひとつは、非理性的な(破壊的な)仕方で新しい視点を獲得しようとするもので、言語的な破壊、理性的な破壊(病理的な方法)である。
短歌が物語への道を切り開くには、短歌のもつ物理的な制約を超える必要がある。それは、詞書や注を利用したり、長歌や連歌といった形式の模索、外部的な本歌取りの手法で外部への参照を張ることなどだ。連作や歌集単位での展開により、交響楽的なひとつの高みに到達することで可能だと思う。岡井隆が試みた「物語的な時間」の創造、整合性のある複数の短歌によるより重層化された時間の獲得などの試みをあげることができよう。あるいは時田則雄の『北方論』なども歌集として読めばある大きな物語としての一貫性を備えている。小説でいうところの「5W」をそろえることにより、統一された世界がおぼろげながら見えてくるはずだが、これは実際には、ある歌人が一生のうちに書く複数の歌集によって自分の生という単位ですでに為していることかもしれない。そのような全体を見る時、ひとりの歌人の〈私性〉は限りなく〈名前のある歌人〉のものとして生み出される。しかし、この「作者」の名に近い「歌人」の物語は必然的に、誕生と死という時間の枠内の物語に制約される。例えば、「三十年後の世界を生きるある男の物語」はありえない。ただし、比喩として空や木々になることはできるがそれは別問題だ。このような手法は、「狂人でない限り」という条件付きの話だ。
 それに対して、非理性的な(破壊的な)仕方というのは、まさに狂人であることによって見える「現実」を言葉に定着しようとした試みだ。言語に内在する文法を無視するので、バルトの言うレクチュールに難解さを伴う。
現代芸術は、常に「言語的規範」を解体し、常にメタランガージュ的である。小説や現代詩では様々な試みがなされてきた。多和田葉子の詩『新婚旅行』などがその例であろう。また、寺山修司が演劇や映画という手法で切り開いて見せようとした世界も類似している。
 
 その一つに「意識の流れ」という方法がある。
 短歌は、和歌の昔から、緻密に構築されている独立した短歌としてあるが、しかし、場と心の動きが提出されて出来上がる様は、「意識の流れ」を表しているようにも見える、たとえそれが定家の極端に抽象化された美を追求する歌であれ、西行のある種の境地をしめす歌であれ。
 
  見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ 定家
  世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ 西行
 
 定家や西行がそのように歌を詠んだというのではなく、「意識の流れ」を知ることで、三十一音という線的に読まれるべきテクストとしてみた時、ある一つの新たなレクチュールとなると思える。
 では「意識の流れ」にはどのような方法なのか? 表現する側から見てみよう。
 心理学者が十九世紀末に指摘した考え方で、人間の意識は意味や文法的な構文・言葉の配列によって理解できるのではなく、「動的なイメージや概念が流れのように連なっているもの」という考え方である。この方法はまた、フロイトの精神分析の影響があったことはあきらかだ。そしてシュルレアリストたちの文学的な手法として求められたのは、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」(川端康成『水晶幻想』)だった。「特に注釈を付けることなく」というのは、注釈によって物語が整合性を与えられているからだ。
 ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、マルセル・プルーストの小説、フォークナーの小説の「ゴシック体」の部分、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』一人称の手記などにその特徴がみられる。わたしは、これを何らかの形で短歌の〈私〉にとりいれることで内的時間の表現空間を広げるのではないかと思う。物語を流れる〈外的時間〉と人物の思考という〈内的時間〉の均衡が崩れて、〈内的時間〉が停滞すると、〈外的時間〉は止まる。そこに新たな表現の可能性がある。
 
 その「意識の流れ」の起源となった短編小説が、エドゥアール・デュジャルダン(1861-1949)の一八八八年の『月桂樹は切られた』という作品である。ちなみのこの短編はフランスの童謡「もう森には行かない」に由来している。
 
 ≪夕方の日没、遠くの空気、深い空、混乱して行く群衆、音、影、大勢の人々、延長された時間の忘却の中で無限に続く空間、漠然とした夕方...。なぜなら、外観の混沌の下で、期間と場所の間で、生成されるものと生まれるものの幻想の中で、そして原因の永遠の源の中で、……(中略)このようにして生じたすべてのものの一つであり、あるものに入り、可能な存在の無限性から、私は現れる。そして、ここが時であり、場所であり、今日という日であり、ここであり、鳴り響く時間であり、私に沿って、人生であり、私は性器の謎の悲しい恋人を立ち上げ、私の中で、弱い体と逃げ惑う思考の冒険者が私に対抗し、……(中略)……、常に生きている夢が私に生まれる。…ここに時があり、場所がある。四月の夕刻、パリ、日没の澄んだ夕刻、単調な騒音、白い家々、影の葉、より柔らかな夕刻、そして誰かと一緒にいること、行くことの喜び、通りと大勢の人々、……(略)……。「月桂樹は切られた」≫(以上、機械翻訳による)
 
 この翻訳は機械翻訳を利用し、大きな間違いをのぞいて、あえてそのまま利用した。機械翻訳は統辞法の無い場合、そのまま一次元で訳すので客観的な心の流れ・淀みをうまく伝えるようにおもう。ここでは脳裏に去来する事物のイメージが羅列されるが、思考を構成するために必要な動詞がほとんどない。最初に出てくるのが「私は現れる」であって、事物の間から文字通り浮かび上がる。それに続いて初めて時と場所が姿を現す。物語が構築されていく過程である。
 
 ここから短歌までは一見まだ相当遠い。
それぞれの短歌には、意識の流れはない、あるのは意識の淀みである。
この例では〈物語〉は語られるのではなく、言葉が引き起こす人間の心理や思惟だけに目が向けられる。〈意識の流れ〉が部分的に取り入れられるにせよ、〈物語〉には適さない。向精神薬メスカリンによる幻覚体験を自動書記したアンリ・ミショーの方法でもあった。
 寺山修司の短歌における虚構、かもしだされる物語的な「雰囲気」は意識の流れとは逆のものである。意識も物語もひとつの生き物のようにその内的な原理にしたがって動く。相反する動きをする。意識は留まろうとし、物語は直線的に先に進もうとする。
 一首の歌は音律を伴って直線的に進むが、「意識の澱み」(意味)が時間を前後させて撹乱させる。そのために一首の短歌に立ち止まる時間が長くなる。優れた歌と呼ばれるものは、万人の「個性」を体現する、ある一定の心地よい状況、ひとりの人生のありようを模倣する試みともいえる。それを破壊するもの、つまり言語としての成り立ちを破壊するもの、例えば文法や「5W」を無視するものは理解を超えるものとして受け入れられ難いのであって、言い換えれば異化の効果を持つ。
 
注1『現代小説作法』第四章 告白について、大岡昇平 (第三文明社)『懺悔録』は『告白』のこと。
注2『現代短歌大辞典』(三省堂)〈写生〉大島史洋
注3『岩波現代短歌辞典』(岩波書店)〈私性〉穂村弘
注4『篠弘歌論集』(国文社)「前衛短歌論争」寺山修司と岡井隆にはじまる私性論議 
注5『寺山修司全歌集』(風土社)「計較空し」寺山修司(一九六二年) 
注6「恥ずかしさの文体」吉川宏志とのインタビュー、二〇一七年四月、塔短歌会)

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