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ナンバープレートの答え合わせをする呪い

 これは呪いだ。

 寒空の下、イヤホンから流れる曲の歌詞を口ずさみながらそう思った。



 村井さんとの出会いは三ヶ月前、私が事務員として入社した会社にその人は営業職として勤務していた。

 小さな文房具メーカーで楽しそうに仕事をこなす村井さんの姿は、会社全体の雰囲気を明るくしていた。

「アキ、この金額で請求書発行してもらえる?」

 他の人たちは私のことを「アキちゃん」と呼んでいたが、村井さんだけは呼び捨てだった。

 それが耳を撫でるようでくすぐったく、もっと呼んでもらいたくて仕事をがんばった。


「アキもポルノ好きなの? 一緒だね」

 会社の忘年会でなんとか村井さんの近くの席を死守して、みんなほどほどにお酒が回ってきたくらいで隣の席に移動した。

「そうなんですか? えっと……ライブラリ見ます? あんまり多くないですけど」

 好きなアーティストが一緒だったことに舞い上がったが、喜んでいるのがバレないよう平静を装って自分のスマホを差し出した。

 村井さんの横顔と手元を視界の端でチラチラと覗き見ていると、動きが止まった。

「この曲知ってるの? 結構マイナーじゃない?」

 村井さんはキラキラと目を輝かせながら私のスマホの画面をこちらに向ける。

 そこには、何年か前のアルバムに収録されているカップリング曲のタイトルが表示されていた。

「あー、CD集めてて」

 私の返事を聞いた村井さんの顔に笑顔が咲いた。

「俺もこの曲好きなんだよね」

 ありがと、とスマホを返しながら微笑む姿は、アルコールのおかげもあってか普段見られないようなふわふわとした雰囲気だった。

 思わぬところに共通点を見つけたことで胸が高鳴り、それ以降何を話したかほとんど覚えていなかった。


 あの忘年会から数日後、村井さんと二人で出かけることになった。

 黒色のヴィッツで迎えに来てくれて、オシャレだけどリーズナブルな洋食のお店で一緒にお昼を食べた。

 その後ショッピングモールで村井さんの服を見ていたけど、あっという間に決めてしまって、街中から離れるようにしばらく車を走らせていた。

 誘ってくれた時の「服を一緒に選んでほしい」というのは、たぶん誘うための口実だったのだろう。

 そのことに気づいた時には、目の前に海が広がっていた。

 年が明けたばかりの海水浴場はほとんど人がおらず、いつもより広く感じられた。

 車を降りて海辺へ歩くと、潮の香りと冷え切った風が私たちを覆った。

 大きく深呼吸をする。

 冷たく澄んだ空気が体を巡るようだった。

 

 隣に立つ村井さんが口を開いた。

「俺、アキのことが好きなんだ」

 まさか。そうだといいなとは思っていたけど本当に好意をもたれていたなんて。

 嬉しくなって歩み寄ろうとしたが、彼の表情は暗かった。

「でも実は、遠距離で付き合ってる彼女がいて……」

 直後、吹きつけた海風が全身を刺した。

 冷たさがビリビリとした痛みに変わる。

 痛い。皮膚も、心も。

「でも、別れようと思ってて……それまで待ってくれる?」

 予想外の言葉に頭が追いつかない。

 私のことを好きだと言ってくれたことは嬉しかったけど、遠距離の彼女がいるなんて思ってもみなかった。

 村井さんはダウンのポケットに手を入れて、居心地が悪そうにしている。

「待ち、ます」

 待っていてと言うなら、私はいつまでも待つ。

 それほどまでに彼を想う気持ちは大きなものになっていた。


 一ヶ月後の土曜日、彼から「彼女と会ってくる。今日中には帰るよ」と連絡があった。

 あの日から今日まで通話やメッセージでやりとりをしていたけど、彼の負担にならないようにと頻度を控えていた。

 それが今日で終わる。もうすぐ彼の恋人になれる。

「明日会えないかな?」

 その日の夜、彼からのメッセージに短く返事をした。


 翌日、彼が家まで迎えに来てくれて、私が助手席に乗り込むと近くのコンビニに車を停めた。

「やっぱり彼女とは別れられない。昨日話したけど引きとめられて……」

 言葉が出なかった。

 車の暖房の音だけが響く。

「別れるからって……待っててって言ったじゃないですか」

 そもそも、彼女がいる状態で告白してきたこともショックだったのに。

 それでも彼と付き合えるならと我慢していた。

 気持ちをぶつけても下を向いている彼と目が合うことはなかった。

「ごめん」

 村井さんは謝るだけだった。

 これ以上何を話してもムダだと思ったから「もういいです」と言って車を降りた。


 寒空の下、歩みを進める。

 村井さんは優しかった。

 優しすぎたんだ。

 もしかしたら遠距離の彼女よりも私のことを好きで、本当に別れるつもりで会いに行ったのかもしれない。

 それでも別れ際に引きとめられたからと彼女を優先したことで、もう何も伝わらないと思ってしまった。


 鞄に入っているイヤホンを取り出し、スマホの音楽アプリでランダム再生を始める。

 流れてきたのは、ポルノグラフィティの『うたかた』

 緩やかに流れるメロディが、聴いているうちに心を揺らしていく。


――知らないうちにそこにあった ただ押し寄せるあなたへの想い 

  胸は満ちて息が苦しい どうか恋よ散らないでいて――


「かえ、る、場所は、ないは、ず、だーかーらー……」

 人生で歌いながら泣くことなんてないと思っていた。


 コンビニからの帰り道、隣を黒色のヴィッツが通り過ぎていく。

 一瞬、彼が追いかけてきてくれたと思ったが、その車は止まることなく通り過ぎて行った。

 よく見るとナンバーが違っていた。

 これは呪いだ。

 これからずっと、黒のヴィッツのナンバーの答え合わせをする呪い。

 彼のものでありますように。彼のものじゃありませんように。

 そう願うと同時に、流れていた曲が終わった。

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