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遠くにいたから書けたこと

パワーチャージ期8日目。

noteを書こうという意欲は、少し減りました。笑

その理由。ペルーにいたときほどの刺激は日本に帰ってくるとおさまってしまうからなのか、待機生活が長すぎて外も歩けず何も書くことがないからなのか。伝えたいことが減ってしまったからなのか、単にいろんなことが一気に起こりすぎて疲れてしまって休みが必要だからなのか。

多分どれも理由。

でも一番の理由は、私が今日本にいて、日本語で、日本の媒体を利用してここに書いているからだからだと思う。


ペルーでの1年間は、主に日本語で記事を書いてきて、主に自分のために書いてきた。

それを見てくれていいねをくれたりコメントをくれたりするのは嬉しかったけれど、ペルーで起こったことを日本の誰かに見られようが特に羞恥心はなかった。

ペルーでのその生活は、私のnoteからしかうかがい知らないし、ほとんど多くの人が、その情景を頭で想像するしか方法がないからだと思う。

だから好きなようにかけたし、自分の主観も入れて書けた。それに対して近いところからヤジなんて入るような、そんな環境にはいなかった。

逆に、ペルー人の誰かにそのときのペルー日記を見られるのは少し気恥ずかしくて嫌だった。

プライバシーを守って書いているとはいえ、その日体験したことや誰かにされて嬉しかったことなどを感情のまま綴った。

それをリアルタイムでペルー人の友人などにみられるのは何よりもまず恥ずかしかった。


私があれだけいろんな文章を好きなように書き続けられたのは、間違いなく私がペルーにいてペルーでのことを書いていたからであり、遠くにいたから書けたのである。


今は日本にいて、日本の人がそれを見ている可能性が高くて、

リアルタイムで自分の生活や感情、思ったことなどを書く勇気は、ない。笑

羞恥心が勝る。

そう思うと、距離ってとっても大切なんだなと思う。

反対に、今日本の生活をペルーの人たちに向かってなら書きたいなと思う。離れた分だけ伝えたくなるし、離れた分だけ羞恥心が薄まる。


親や友人との距離感も然り。

離れないほうがいい場合もあるけれど、離れるからこそ伝えられる気持ちもある。


ペルー日記は、私がペルーにいたからいろんなことを書けた。だから同じようなテイストで、日本でもそれをできるかと言われると、できないだろう。というか、それをやるのは私の本望ではない。


日本に帰って数日たって、いろんなことが少しずつだけれど整理されつつある。その中でこのnoteの存在や今後のnoteとの付き合い方がどうなるかはわからないけれど、毎日の更新はひとまずお休みになりそうです。


でもどんな感じで日々を歩んでいくかは、たまには顔出してきっと書きます。自分なりのペースで楽しく生きているので、更新は減りますが温かく見守ってくれると嬉しいと思います。

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