そもそも伝えるってなによ、という話
伝える
言葉の意味にこだわりを持ちすぎてしまう私。
「お互い同じ認識なんだろうか?」
と確かめたくなることも多々ある。
そこが食い違っていたら、伝わるものも伝わらないじゃんって。
つまり、伝わって欲しいっていう気持ちが強いのかもしれない。
一方的に話すというよりは、お互いの交流の中から出てくるものを見たいというのもあるのかもしれない。
伝えるって、相手が伝えたいことを受けとめる循環があってこそ成り立つ気もするなぁ。
伝える
月を指す指
言葉はあくまでもツールで、言葉が指しているものは、そのままを表している訳ではなく、代替手段。
多分、私が伝えたいって思うのは、言葉を超えたところにあるんだろうという壮大な思いもあったりする。
伝える
言葉だけではないという側面もある。
態度や雰囲気だったり、私は一時期「在り方」こそ一番重要なんじゃないかと思い立ち、
自分がいい状態である、自分を整えようということを模索していた時もあった。
これは、今も続いている。
ゆったり落ち着いた自分であれば、それは誰かへ対しての癒しにもなるし、自分自身も癒される。
ただ、それだけが貢献になる。
それでも、言葉を使うことでしか伝えられないこともある感覚も同時にある。
黒斎さんのYoutube
12:40~
エネルギーがとぶことが大切
火が灯っているランプから灯っていないランプへ、近づけると火がうつる。
大事なのは言葉じゃない。話す内容じゃない。
同じ場を共有することが大事。
伝える、伝わるってこういうことだと私が思う理想の形。
究極、ただある、それだけでいい
でもね
くどいけど、言葉にするという行為の中に大事なものがある、そんな気もする。
自己表現したいということも、
結局は受け止めてくれる誰かを想定していると思う。
誰も見ても聞いてもくれない場所へ対して、敢えて、自己表現するってある?
面白い事を言って、笑顔にしたいって気持ちもあるし、
私はここにいるーって自分を証明したい気持ちもあるし、
色んなことがごっちゃになって、私にとっての
伝える
は存在している気がする。
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