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黒川伊保子「母のトリセツ」

私の母は、非常に扱いにくい。
子どもの頃は本当に家に帰るのが憂鬱で、学校にいる方が安心だった。それから、少し大きくなると、うちの母は変わっているから、という前置きをよくするようになった。友達との付き合いが悪かったりすることを、理解してもらうためだ。そして高校生くらいの時には、面白おかしくネタにするようになった。過保護、過干渉、精神的に不安定な母親とうまくやっている自分はすごいと思っていた。金銭的には親の庇護を得なければいけなかったけれど、私は精神的には優位に立っていて、むしろ母親をケアしていると思っていた。結婚を反対され、今の夫を非難していた時期以外はうまくいっていた。体よく家を出ようとしていた私の意図が分かっていたのかもしれない。「ママを捨てるの」と泣き叫ばれたりもした。とはいえ、どうにか家を出て、別に暮らし始めると、接触する機会も減り、自分なりの楽しみを見つけいる母親とたまに話をするのは、とても居心地良かった。

その関係が完全に壊れたのは、私自身が母になってからだった。平日は毎日のように自宅にいりびたり、気付けば母親が赤ちゃんを抱き、私は家事をしているというパターンが多かった。そんな毎日の中、自分が小さい頃に母に言われたことが急に生々しく蘇ってきて、苦しい気持ちになった。

あなたなんか生まれてこなければよかったのに。
あなたは私を不幸にするために生まれてきた。
なんでこんなに不細工なの。
(もう今はあまり気にしていないので、消してみた)

自分で子どもを育てれば、親のありがたみが分かる、なんて嘘だ、と思った。
色んな本を読んだ。信田さよ子「母が重くてたまらないー墓守娘の嘆き」を読んでぞっとした。スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子ども」をきっかけに親と対峙しようと考えて、言われた言葉を指摘し、謝ってもらおうと思った。けれど、子どもに言うべき言葉じゃなかったというところまでは認めたけれど、自分は若かった、パパが忙しい上に自分勝手で大変だった、と言い訳して、絶対に謝ろうとしなかった。

子育てカウンセラーなる方にも相談したことはあったけれど、「誰もが多かれ少なかれ親との関係に悩んでいる、自分もこうだった」と返され、しかもそのエピソードが、私から見たら大したことないと思うものだったので、もう相談するのはやめようと思った(ただ、その方の著書や話は、自分の子育てにはとても参考になった)。

少し考え方が変わったのは、岡田尊司「母という病」を読んだ時だった。この本を読んだ時は、3人目を産んだばかりの時。臨月を迎え、上二人の時に平日は上二人を親にあずかってもらい、1か月間、平日昼間は久しぶりに一人時間を過ごす機会があった。本をたくさん読もうと予約していたのだけれど、借りられることになったのは生まれてからで、今さら届いても、結局読まずに返さざるを得なくなるのではないかなと思っていた。
けれど娘は、最初の2週間は授乳するとき以外あまりぐずったりすることがなくて、結局「母という病」だけでなく、「父という病」まで読むことができた。
どちらも、様々な歴史上人物の親子関係を引用したり、現代の日本社会の状況から多く見られる親子関係の原因を探る内容になっていた。
出産後も上二人は実家で過ごしていて、眠っているばかりいる娘と昼間は二人だけ。身体は離れているけれど、誰にも邪魔されず、不思議な一体感に集中することができて、とても幸福だった。そんな穏やかな気持ちの中で読んだからか、余計に本の内容が素直に受け取れたのかもしれない。

私の母が変わっていたのは、母親自身のせいではないのだ、と思えるようになった。それは、その母がどう育ったか、男の子が生めなかったという負い目、そして、仕事ばかりだった父のせいで、子どもと向き合うしかなかったということだった。大げさにいうならば、社会のせいでそうなったのだ。だからといって、許されるわけではないと思うけれど、母だって、私に対して言いたくてそんなことを言っていたわけではない。仕方がなかったんだ、と考えるようになった。

それから娘がどんどん大きくなって、私に「大好き」と言ってくれるようになった。ほとんど毎日、娘は私に大好きと言ってくれる。息子からの大好きとは違って、私にとっては格別だった。そして、「ありがとう、ママも大好き」と返し、幸せを感じながらも、心が弱っている時などには、泣きそうになった。なぜなら、私は自分自身、母親にこんな風に「大好き」と言ったことなど思い出せなかったからだ。そんな記憶は全くない。怖くてたまらなかった。褒めてもらいたいとは思った。気に入られようとして、いつも頑張っていた。弟が頭がいいと褒められていたから勉強を頑張った。でも、大好きなんて言えなかった。実は今も、言ってみる想像をすると、無理だな、と思ってしまう。

そう考えると、たった一人の娘に、大好き、と言ってもらえなかった母親はかわいそうな存在だと思うようになった。申し訳ないとも思うようになった。もし私が言えていたとしたら、少しは違う関係になっていたのかもしれない。でもそんな想像をしても、全く意味はない。

前よりは少しは理解したけれど、今も母親に対して落ち着いた気持ちを持てているわけではない。相変わらず子どもたちの面倒はたくさん見てもらっているのに、そのことに感謝の気持ちを感じることができない。子どもをどこの保育所に入れるかで、実家の近くにするように仕向けたのは母親の方だ。「実家近くにしないのなら、一切手伝わない、縁を切る」とまで言われた。もうそれはだいぶ前のことだからいつも意識しているわけではないけれど、今でも、お礼をしているからいいでしょ、みたいな気持ちになってしまう。油断をするとすぐに連絡を忘れたりして、怒られて憂鬱になる。いまだに、いつも何か言われるのではないかと、母親からの連絡があると身構えてしまう。

頭では分かっていた。こちらが気にかけていれば、素直に頼ろうとすれば、機嫌よく応じてくれることに。でも自分に余裕がない時は、そこまで気が回らず手遅れになってしまい、祖父母に子どもの面倒を見させているのにちゃんと連絡をしない、母親の自覚がない、ということになるのだ。

「母のトリセツ」にこんなことが書かれていた。

母が子を決めつけないで育てること。本当は、それが先である。
しかし、この世の母親のほとんどが、この事実を知らない。この世の母のすべてが、人工知能の感性の研究者ではないわけだし。あなたの母を許してほしい。
だから、このページを読んだ、あなたから始めてほしい。母と子で、正義が食い違ったとき、「この世に正義は一つじゃないしね」という余裕を、まずはあなたの心に。
(中略)
本当の自立は、親の思い込みから自由になることである。(中略)
母親からは自立しないといけない。(中略)
そうしないと、本当の自分を生きられないからだ。
母親を疎ましがったり、蔑んだり、嫌ったり、恨んだりしているうちは、母親の支配下から出られない。
(中略)
まず一度、無関心になってみる。彼女のしかめっ面や小言に、心を動かされないと決めてみる。何度も言うが、そこから始めるしかない。
嫌っても嫌っても、脳は、けっして彼女から解放されない。


関係を変えたいと思うのなら、自分が変わるしかない。ただ、心を動かされないと決めてみる、と言われてもハードルが高いけれど、具体的にどんな風に接すればよいか、ということも書かれている。例えば、母親の長い話を止めるコツ、とか、ネガティブ・オーラ退散のコツ、とか。
自分たちの家族のことも、明るくさらっと書いているけれど、もちろん何もなかったわけではなくて、楽しく過ごせているのは、それは、対話を続け、関係を良くしていこうという努力があるからだと感じた。
それでもダメなら、本当に捨てていい、とも書いている。でもこの本を手に取るような人は、そんな風に簡単に切り捨てたりできないんだろう。私だって、社会のせいにすれば腹落ちするということは、多分、母が悪かったと思いたくないのだ。
まだ自立できていないということを自分で認めて、本当の自分を生きていきたい。

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