川内有雄「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」
見えない人、見えにくい人と、見える人がペアになってアートを鑑賞するツアーがあるということを知りました。今年の2月から3月にかけて市原湖畔美術館で開催された第10回こども絵画展の中でそういうイベントがあることを知りました。どんな感じなのだろうと、すごく気になっていました。
それから半年ほど経った最近、川内有雄氏の「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という本を見つけました。たぶん見える人が絵について語り、それを見えない人が聞く感じなのだろうな、とは思いましたが、それがどういうことなのか、あまり想像できませんでした。
もしかしたら実際に体験してみないとその本当の意味は分からないかもしれません。ですが、この本を読んで、なんとなく、その楽しみと、奥の深さが理解できたような気がしました。
著者は、友達から盲人の白鳥さんを紹介されて、一緒に美術館に行くことになります。そこから目の見えない人と一緒にアートを見る楽しさに目覚め、様々な美術館を一緒に巡ることになるのです。
様々な美術館でのやりとりを、作品紹介とともに楽しむことができます。
最近読んできたブルーピリオド、ヘラルボニーの本を通じて、アートは結晶みたいなものなのではないか、ということを考えていました。作り上げた人が、それまで生きてきた中で得られたもの、感じたこと、考えたことが封じ込められて固められたものが作品という結晶なのです。歴史に残る作品には、特別な魔法がかけられています。それは、どんなに溶けだしても、姿・形が変わらないのです。なので、すごい作品を見ると、溶けだしたものを受け取って、色んなことを感じたり、考えたりするのです。
目の見えない人とアートを見にいけば、それについて、目の見える人が語ることになります。絵ならそこに書かれているものが何であるかを表現し、抽象的なものであればどんな形をしているか、どんなイメージが浮かぶかを言語化します。目の見えない人はその言葉を受け止めて、訊いたり、相槌をうったりします。
本の中では10人近くと一緒に仏像を見にいった時のことも描かれています。それぞれ感じたことが違って、口々に好きなことを言います。でもその感じ方の違いが面白いと感じるようになるのです。
中盤で「はじまりの美術館」という猪苗代湖の近くにある美術館を訪れます。
この中でとても印象深かったのが、「サッポロ一番しょうゆ味」
作者が20年間にわたり一日中にぎりしめていたサッポロ一番しょうゆ味の袋を並べた作品なのですが、味噌味でも塩味でもなく、しょうゆ味だけがお気に入りで、パッケージを眺めたり、触ったりしているところから、この作品ができたそうです。
この美術館には、障がいを持つ人の作品もたくさん展示されています。岡部館長はこう話します。
美術館を始めた当初は、障がいのある方の作品を見てもらうことで、障がい者のイメージを向上させることができるのではないかと、アートを〝イメージの転換装置"のように見ていた時もありました。でも……こうして会館から5年が経ってみると、自分たちがアートに惹かれるのは、まったく別の軸だなと思うようになったんです。(中略)
それは、みんなが生まれつき持っている表現の力です」
表現の力という言葉の捉え方は様々だと思いますが、「サッポロ一番しょうゆ味」のパッケージが好きというのも一つの表現であると捉えたことで、一つの作品が生まれたわけです。
いまわたしたちが生きる日本社会には、「成長はすばらしい」「便利になることは進歩だ」「働いて、稼いで、社会に役に立てるひとになろう」という能力主義的な思想がいたるところに埋め込まれている。わたしの中にもそういうイデオロギーは確実に流れ込んでいて、正直に言えば、自分もその思考に絡めとられ「もっと頑張らなきゃ」と思いながら生きてきた。
(中略)
もちろん成長はポジティブな変化なわけだが、その一方で、働いて社会に役立つ人間や人の「能力」がかりを評価し、その人の存在自体を肯定しないような社会は、すべてのひとを包み込めないし、幸せにもできない。働きたくても働けないひともいるし、ひとり暮らしが難しいひとも多くいる。
著者がこんな風に書いているのを読んで、その通りだと思いました。私は、人の役に立っている、社会の役に立っていると実感できることは、幸せなことだと考えています。だから、いろんな人が働ける社会にしたいとここずっと最近考えてきました。私の考えはやっぱり、すべてのひとを包み込めないのかな、と思ったりもしました。
いや、違います。
むしろ、障がいを持つ人の特性を見つけ出し、得意なところを伸ばしてもらって、役に立ってもらうことは、多くの人を包み込むことができる社会に近いのだと思います。だから、いろんな人が働ける社会を目指すことは、方向としては同じ方を向いているのではないかなと思います。障がいを持つ人を受け入れることは、まずその職場の中で、色んな人を包み込もうとすることだから。
もちろんそうした職場での小さな取り組みがどんどん進んでいって、それでもなかなか働くのが難しい人の存在も、温かく見守りたいと思います。
因みに「はじまりの美術館」もその後に続く美術館も白鳥さんと一緒に訊ねたわけなのですが、だんだん白鳥さんの印象が薄れているような気がします。「はじまりの美術館」は著者の小さな娘さんもいたからということもあるのですが。もちろん一緒に行くことを楽しんでいるものの、目の見えない白鳥さんのために絵の説明をするところから、絵について語りながら考える方にシフトしていったからなのではないかと想像したりしました。
そして、アートを楽しむというよりは、アートを通じて、世界を理解し、考える、という方に近づいている感じがしました。私もこんな風にアートに触れてみたいと思いました。
白鳥さんと一緒にアートを見たり、関わっている人のインタビューなどをまとめたドキュメンタリー映画を著者は共同監督しています。こちらも興味深いです。
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