見出し画像

出産までの道のり①


大多数の家族がそうしているように、自分も結婚してしばらくしたら子を授かって子育てをするものだ。



これが実際に出産と育児に臨む前の私の安易なスタンスである。

結婚してしばらくは二人の時間を楽しみたい、結婚式には最善のコンディションで臨みたいという妻の主張から、結婚式が終わるまでは避妊をしていた私たちだが、当時コロナ禍だったこともあり、なかなか結婚式が挙げられず、結婚してから第一子を授かるまで丸3年間を要してしまった。いざ子供を作ろう、となったときには二人とも自然妊娠は厳しいことがわかり人工授精、体外受精を経て授かった念願の第一子である。

苦難はあったものの、体外受精は順調に進み、無事妊娠がわかったときは、喜びと同時に、ようやくスタートラインに立てた、といった気持ちになった。この時点でも、子供を授かるのは結婚した夫婦にとって当たり前のことであると思っていた。

体外処置を経て、妊娠に至った妻は、幸いつわりはそこまでひどい方ではなく、体調が優れない期間もあったが、ほとんどの期間を元気いっぱいに過ごしていた。産休に有給をつなげ、一時的に仕事がなくなった妻は初めての専業主婦生活、ということで家事を楽しんでおり、出産を控えながらも夫婦そろって暢気な生活をしていた。

計画無痛分娩を希望していたため、ある程度出産予定日をコントロールしての出産となる。初産ということもあってか、予定日が近づいても子宮口は一向に開く気配を見せず、出産予定日前日からラミナリアと呼ばれる膨張性のある棒を挿入し、無理やり子宮口を拡張する、という処置が始まった。

業界では一般的な手法のようなのだが、広がっていない臓器のわずかな穴を無理やりこじ開ける、という処置は、もれなく痛みがすごいようで、入院しての処置となる。子宮口が広がることで陣痛も喚起され、夜通し痛みが続く、とのこと。翌朝起きると、少しずつ子宮口が広がっている、ということで前日挿入したラミナリアを4本から13本に増やして経過観察となった。4本の段階でも痛かったのに13本…。それに伴い、腹部のハリも強くなり、一定間隔で痛みに襲われるなか、もう一晩を過ごし、翌朝再度子宮口の大きさを確認。この時点で5cmまで広がっている、とのことだったが、分娩のためには10cmまで広がる必要があるという。終わりの見えない出産プロセスだったが、その日のお昼ごろから陣痛が始まり、夕方に無事出産となった。出産についてのつらさや痛みについて、男性がこれ以上語るのは失礼にあたるため、この辺で出産については書くのをやめることにするが、この段階でようやく、出産は誰もがこなせる当たり前のことではないということを痛感したのだった。特に男性は感じることはできないが、出産に伴う痛みを感じると死ぬ、という逸話もあるほどだ。男性には耐えられない痛みを乗り越えて、子供を産む、ということを、最も身近である妻を通してなんとなく想像できたのである。自分自身にとって、大きな進歩と言えると思っている。

妻の希望を反映したバースプランでは、夫である私は立ち合いしない、という要望になっていたため、自宅待機していた私はまもなく生まれる、という連絡を受けて、病院へ向かった。病室に通されるとそこには、疲れ切った顔をした妻と3人目の家族がいた。痛みの実況を聞いていた私は新しい家族を迎えることへの喜びよりも、妻の体調や状態の方が気になってしまい、加えて持前の口下手を発揮し、あまり多くの言葉を発さず、労いの気持ちを胸いっぱいに忍ばせ、何とも言えないリアクションを取ったのだった。

夫婦ふたりして不安だらけの出産が無事に終わり、そこから4日後に退院を迎えることになる。

続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?