答えはベッドの中では見つからない
俊ちゃんとの失恋(勝手に出てきただけ?)からしばらくたって、私は東京に住めなくなってしまった。一緒に歩いた道、一緒に行ったお店... まるで思い出が襲いかかってくるような気持ちがして、いてもたってもいられなくなった。
精神的にかなりふさぎこんでいた。俊ちゃんの家を出たことで、都会に居場所がなくなったと感じ、夜の街をふらふら遊び歩くようになった。一人でいたくなかったのだ。外国人の多いクラブで、ダンスをして過ごす日々が増えた。(その結果、英語力がアップしたことは間違いないのだけれど...! )
当時のわたしの行動は、周りの人たちには理解できなかっただろうな。あるときは、仕事場の五反田周辺の路地にしゃがみこみ、般若心境を読みながら、心の平和をください、と神様にお願いをして、
あるときは、心機一転したくて、頭を丸坊主に刈り上げて、当時お仕事をいただいたTV番組では、カツラをつけての出演となった(笑)
最終的に、東京を離れて、地元北海道に戻る決意をした。悲しさに埋もれていると、悲しい出来事が続くもので、その頃、二人の身内が天国に旅立った。
「人生って何なのだろう」「生きる意味はあるのか」「わたしの居場所はどこ?」... 答えの出ない質問が、頭の中でぐるぐる周りはじめ、わたしはとうとう人生初の鬱になり、引きこもり生活をはじめることになる。
毎日毎日、ベッドの中で、宗教本や成功哲学を読みながら、「人生の意義」を探す日々が続いた。
その頃のわたしの口癖は、「わからない」だった。「どうしたの?」「何をしたいの?」「どうしたら助けになるの?」...という周囲の温かな言葉に、返す言葉はいつも「わからない」。
友人には「いつも笑ってたのに、すっかり泣き顔になって別人みたい」と声言われるほど、わたしの人相は変わっていた。
〜つづく〜
《この経験から学ぶこと》
24歳だったイクコさん (自分自身😆 ) に伝えたことがありますね。
それは、言葉には不思議な力があるということです。今のわたしだったら、困難な出来事がやってきたときに「わからない」という言葉のチョイスをやめて、他の言葉を探します。たとえわからなかったとしても、「これは、わたしを成長させるチャンスだ」「わたしには乗り越えられる」という言葉の選択をすることで、私の思考と行動に変化が生まれることを知っているからです。
言葉は、あなた自身を作ります。「わからない」という言葉を使った時点で、思考は停止します。でも、仮に「わたしには乗り越えられる」という言葉を使っていたとしたら、脳はありとあらゆる手段を使って、その状況を「乗り越えられる」方法を探してくれます。
あなたは今、どんな言葉を使っているでしょうか?そして、今使っている言葉をどんな風に変えたら、状況は変化すると思いますか?
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