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育花雨

ご訪問くださりありがとうございます。

当noteはツインレイのお相手との統合を目指すなか、「自分を生ききる」ことに奮闘するわたしの感情・思考や気づきをシェアをするため立ちあげました。

お相手とはサイレント期間に入って今年で8年目。
奇跡のような再会を果たし、少しだけ会えていた時期もありますが、現在は音信不通です。

ツインレイの概念を知ったのは2023年のこと。

それまではお相手のことをただ「不思議な縁で結ばれている相手」だと考えていたので、X(当時はツイッター)上でいわゆる「復縁垢」をつくり、復縁界隈でつぶやいていました。

現在そのアカウントはまったく運用しておらず、ごくごくたまに自分の投稿を読み返すためだけに残している状態ですが、アカウント開設から4、5年もの時間が経つとなれば、フォロワーさんは誰も元彼・元カノの話をしておらず、わかっているだけで2名は別のお相手と結婚されています。

復縁したいという気持ちがそう長くは続かないこと、そして願っていてもなかなか叶わない現実を目の当たりにしながら、わたしは結局1日たりともお相手のことを忘れずに暮らしてきました。

サイレント期間に入った当初から5年目くらいまでは(もちろん当時、サイレントの概念は知りませんでしたが)この世の全てをうらむほどの痛み、苦しみ、悲しみ、絶望のなか打ちひしがれていたような感覚、被害者意識がありましたが、紆余曲折を経た今ではもう、その位置にはおりません。

わたしがお相手を愛したいから愛している。
わたしがただお相手を待ちたいから待っているのだと、自身とお相手を尊重する立場からこの状態を静観しているような感覚です。

もちろん、今でもときどき悲しくなることはあります。
この先のことが心配になったり、さみしさに気が触れそうになったりも。

けれど、こんなにも険しい道を行きたいのは、ほかでもない自分なのです。
わたしはわたしのために、わたしなりの愛のために、この道を選んでいます。

わたしはそんな自分を認めて、ゆるして、どこまでも愛そうと思いました。



花を咲かせるように降る雨を育花雨(いくかう)といいます。

これまで幾度となく流してきた涙は、いつかきっと自分という花を咲かせてくれるものと信じて、この言葉をnoteのタイトルに冠しました。

わたしたちは誰でも、生まれた瞬間から花であることに違いありません。
けれどわたしはもっと自分らしく綻び、微笑みたいのだと思います。

恐れでかたく閉ざした心を開いて、不安で握りしめた指を広げて、花の咲くように。


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