ウエイトレスがマザーアースのようだった…映画
映画「グリーンブック」(ネタバレ)
全編、差別が軸になっている映画を見た。
イタリア系白人と、アッパークラスの黒人ピアニストが、差別の激しいアメリカ南部に2カ月のツアーに出る実話だ。
映画はイタリア系白人のトニーが、家を修理に来た黒人が飲んだグラスを、妻が触る前に捨てるところから始まる。
終始、理不尽な差別を見てムカムカとはするが、私が一番耐え難かったのは二人の間の空気感だったようだ。
雇用の上のみで成り立っている相容れない関係。
特にトニーは最初からバカにした態度だ。
そもそもその胆力を見込んでドクは雇っているのだが。
ドクは知性のある人だ。
黒人に偏見があるとわかって雇っている。
トニーは持ち前のハッタリと買収で危機を何度も乗り越える。
南部は黒人には法が通用しないから…。
上流階級がステイタスのために聞く黒人ピアニスト。
華々しいスタンディングオベーションの後の現実を見る。
ホテルもトイレも黒人専用。
お金があっても安モーテルにしか泊まることができない。
個人的な差別ではないと言いながら、演奏するホテルのレストランには入ることすらできない。
映画の終盤、二人が最後にたどり着いた黒人専用のレストラン「オレンジバード」
カウンターの中のウエイトレスが二人に笑いかける。
別に好意的というわけでなく、ただ客だから。
でも、その笑顔に私は全身の力が抜けた。
あ…私ずっと緊張していたんだ…
やっとホームに帰ったようなホッとした気分だ。
「どうしたの?めかしこんで」
と皮肉な顔でタキシードを笑う。
ドクは
「人を服装で判断してはいけない」
と嗜める。
食べたことのなかった手づかみのフライドチキンを頬張りながら。
白人であってもイタリア系の移民であれば裕福には暮らせない。
親族皆で住んでいるトニーは、同族意識は高く家族を愛するが、自分達以外を排除する。
ドクは才能を活かしピアニストになったが、差別のために好きなクラシックは弾けないのに、同族の仲間にもなれなかった。
結局はどちらも同じ穴のムジナなのだ。
二人とも、世の中の不条理と、出口のない迷路のような毎日に生きていた。
そんな時代のオレンジバードのウエイトレスは、差別の強い南部の酒場でドクのタキシードの異様さに訝しみはするが、白人のトニーが警察ではないとわかれば、後はもうどうでも良いような軽さで、
「じゃあ弾けば?」
とステージを勧める。
心に壁を作ることは、相手をブロックすると同時に、自分の湧き出る氣も堰き止めてしまう。
エネルギーの循環していない関係性は当人以外にもストレスを与える。
ドクもトニーも終始一貫、自分軸を貫いた男たちだ。
ただ時代がそれを許さず、その閉塞感は全身の筋肉をこわばらせ、温かい血が巡らない。
人はいつだって認められたい。
丸ごと受け入れて愛し愛されたいだけなのだ。
2ヶ月の旅で二人は壁を壊し、お互いの境遇を受け入れて、それを昇華し合った。
私はあのオレンジバードのウエイトレスになりたい。
ただあるがままを受け止めて流して、また戻す。
ただそこに居る。
目を閉じたら、そこには純粋なものしか残らない。
それが魂。
色も国も無い。
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