バイト代アイドルに全振り大学生がライトオタクになるまで②

ある理由で、およそ一か月間推しから離れなければいけなくなった。その一か月の間、推しグルはちょうど北米ツアー中だったので日本公演や韓国公演に行けなくなるということはなかったのだが、普段よりはるかに現実世界で人と一緒に過ごす時間が増え、必然的に、コンテンツを見る時間が減っていった。

その間なにがあったか。恋人ができた。初めてだった。しかも急も急に。まったくそんなつもりでいたわけではないのに。片思いの恋愛でさえ5年くらいしていなかったというのに。

その前後で、圧倒的に推しのことを考える時間がぐっと減った。接触イベントは参加しなくてもいいと思うようになった。(苦手な同ペンのレポは見れなかったけれど)合同コンへの執着はなくなり、合同コンで推しの少ない出演時間のために遠い会場に足を運ぶのがめんどくさいとさえ思うようになった。好きな気持ちがなくなるわけではないが、次第に「単独だけ参加する人になろう」と思うようになった。推しが大好きな気持ちは変わらないのだが、熱に浮かされていた私はどこかへいなくなり、冷静に、接触イベや合同コンは値段の割にコスパが悪いからやめようという賢明な私が現れた。

熱しやすく冷めやすい、典型的な飽き性でこれまで大体1年から2年のスパンで推しが変わっていた私は、自分がまた、この人生をかけられるくらいに大好きだと思い、これまでで一番長く強火のままで好きでいられたこの推しのことも飽きてしまったのだ、と自分の移ろいやすい心に呆れた。

これまで余った時間とお金(ときに必要な時間とお金まで使った)をほぼすべてアイドルに全振りしていた私は、アイドルの黄色が減り、これまで存在していなかった、恋人の名前の項目のピンクが増えて可愛くなっていく自分のスケジュール帳に戸惑った。いや、それ以上に、現場がないと発狂しそうだった(いや、リアルにカラオケに発狂しに行っていた)私がそんなスケジュール帳をニヤニヤ見ていることに戸惑った。

私は自分を、リア恋からは離れている存在だと信じて疑わなかった。推しを性的対象として見ているということな気がして、嫌悪感があった。恋人ができたとたんにフェードアウトしていくオタ友が理解できなかった。でも、恋人ができたとたんにこんなにも推しを追わなくなった自分に気づき、結局私もそうなのかと落胆した。

考えていて、恋、というよりも推しに対する気持ちは、ただ好きという純粋な、綺麗な気持ちだけでなく、過去一時間とお金を費やしたことにより生まれた執着心や、推しを通して繋がれた友達を大切にしたい気持ち、またはその友達たちに対する見栄の要素も大きかったのかもしれない。それから、「推しを好きな自分」が好き、「推しを応援する」形を取った、「たくさんお金を使う」ことが楽しいという部分も正直あったと思う。

結局私は、何か依存先が欲しかっただけなのかもしれない。原動力である「好き」の気持ちに嘘はないけれど、そのあとに付随してきた独占欲や自分が支えなきゃ!というような気持ちは、譲れないものが何もなかった自分がその欲を推しにぶつけてしまっていただけなのかもしれない。

となると今はその欲を恋人にぶつけてしまっているのだろうか…それはそれで健康的ではないような…

「推しを恋愛対象として見ていない」と思っていても独占欲が湧いたり、同担・同ペンに嫌悪感を覚えたりする気持ちがなぜ来るのか、私は未だ完全にしっくりくる説明に出会えたことがない。先ほど自分が書いた内容も、100%しっくり来ているわけではない。いったいこれは何者なのだろうか。

誤解がないように言うが、私は決して推しが好きという気持ちがなくなったわけではない。単独は絶対に行くつもりであるし、新曲が出るとなれば毎回とても楽しみだ。

推しに時間もお金を全振りしていた時代、今しかできないからと自分に言い聞かせていたが、あながち間違いではなかった。とはいえ、推しから少し距離を取ってみた今思うのは、身の丈に合わないほどに自分の時間やお金を、一人の他人に全振りするのは、健康的ではないのでは?と気付いた。(今更)

もちろん、このオタ活をしたからこそできた経験や、出会えた友達(普段自分がいる世界では出会えなかった友達にたくさん出会えて、今もオタ活抜きでもご飯に行ったりしている)もいるし、ガクチカには書けないかもしれないけれどこんなにも一つのことに夢中になる経験も、そうそうできるものではないと思っている。オタ活は間違いなく私の青春だった。まったく後悔はない。もうここまではしないけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?