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地図を描く

ここ最近、何かに取り組む時に意識していること。それは「地図を描く」ということだ。

地図を描くといってもそこまで複雑なことではない。まず、自分がどんな目的地(理想)に行きたいのか、そして今の自分の状況はその辺なのかを把握する。すると、現在地と目的地という点ができる。あとはこの点を結ぶだけだ。

といっても、この作業が難しい。テスト勉強のような短期間で締め切りがやってくるようなものならやりやすいが、残された時間が分からない人生というルートはそう簡単に見つけられない。

ご無沙汰していたnoteを開いたら、こんな下書きが出てきた。今年の3月、かれこれ半年も前に書いていたものだ。この先、何を書こうとしていたのかは全く思い出せないが、今とは全く違う自分がいたんだなぁということだけは分かった。

何か夢があって、それを叶えようと奮闘するのが若者の特権であり、それに特化した場所が大学だと思っていた。夢に向かって突き進む。私がユーフォニアムという楽器に出会った頃から、私は常にこのことだけを考えていた。みんな、若者はそうだと思っていた。楽器を始めてからの10年間、悩みの99.9%は音楽やユーフォのことだった。(今思うとなんて幸せな子どもだったのだろうか) だからこそ、もがき苦しむ日々でも、夢を見続けることができたのだろう。

でも、二十歳になろうとした頃、自分の周りの人間関係の変化や家族のことなど、些細な事がきっかけであたりまえだと思っていた日常がいとも簡単に崩壊するということを知った。

世の中には、自分でコントロールできない事も沢山ある。影響は受けるけど、介入はできないなんていう理不尽なこともある。そんな現実を突きつけられると、自分以外頼れるものがない気がする。今、現在、この瞬間しか信じられなくなる。でも、若者は無力だ。生きる術をよく知らないし、一人で生きていくことができない。そんな現実が追い討ちをかけるように襲ってくる。

そんなとき、現実から目を背けるために小説や漫画を手に取ったり、映画の世界へ現実逃避することが増えた。そこで繰り広げられることはフィクションの世界、創造の世界の出来事だ。しかし、不思議なことに、創造の世界の人々から勇気を貰うことが多い。彼らは創られた人物なのに。何があっても強く、逞しく生きる彼らの姿に憧れ、希望を見出すのかもしれない。

音楽も映画や小説などと同じ芸術の世界だ。そこはただの創られた世界でしかない。おまけに、(歌を除くと)音楽は言葉を持たないことが多い。言葉がない分、作品を通して直接的なメッセージは少ないが、多様な受け取り方がある。音楽を聴いて自分が素直に感じたこと、それが作品が届けてくれた自分のためのメッセージなのだろう。束の間、忙しない日常から離れて、流れてくる音と共に自分の心の声を聴く。演奏ってそういう瞬間を創り出すことなのかなと思うようになった。

今の私の地図は真っ白だ。目的地なんてどこにあるか分からないし、現在地も見失うことが多い。ちっぽけな自分が嫌になって、地図をポイッとゴミ箱に入れてしまう日も沢山ある。そんなとき、そんなときだからこそ、創造の世界へ旅に出る。

異世界を楽しむのも悪くない。地図を描くヒントが必ずしも得られる訳ではないけど、虚無感から離れられるということほど身軽になれる時間はない。このことにようやく気づけた今、これから自分の音楽が、自分の生き方が変化していく、そんな予感がほんの少しの隙間から入ってくる希望の光だ。



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