ミニマリスト夫 vs. マキシマリスト妻:我が家の小さな戦争と共存の道
僕は日々、noteやYouTube、TikTokなどでミニマリストさんの投稿を見てます。
断捨離やミニマリストという言葉が出る前から「モノを持たない主義」だった事もあり、最近のオシャレなミニマリスト部屋に憧れ持っています。
でも、なかなか実現できない。。。今日も戦いの日が始まる。。。
クローゼットは「歴史博物館」
我が家のクローゼットは「妻のファッションのアーカイブ」と化しています。妻の服がぎっしり詰まっていて、僕の服はほんの片隅に押し込まれている状態です。「着ていない服を整理しないの?」と聞いてみても、「まだ着られる服を捨てるなんてありえない」と一蹴されてしまいます。
さらに、「季節が来ればまた着るかもしれない」とのことで、冬服と夏服が共存する混沌とした空間が広がっています。僕にとってクローゼットは「今使うものを収納する場所」ですが、妻にとっては「ファッションの歴史を保存する場所」のようです。この考え方の違いを埋めるには、相当な忍耐が必要だと感じています。
断捨離の日はいつも空回り
休日に思い切って「今日は断捨離しよう」と提案してみましたが、妻にとって断捨離は「楽しみ方がわからない行事」のようです。「本当に必要なものだけを残そう」と説明しても、「私は必要なものしか持っていない」と言い張ります。
一つひとつ確認しながら整理しようとしても、妻の「そのうち使う」という魔法のフレーズで全てが保留になってしまいます。最終的に捨てられるのは、僕の古い靴下や使い古したボールペンだけ。妻の持ち物はどれも「未来への期待」を背負っているようで、断捨離の対象にはならないのです。
真逆だからこそ成り立つ夫婦関係
こんなふうに、ミニマリストの僕とマキシマリストの妻の間では、日々小さな戦争が繰り広げられています。些細なことで衝突することもありますが、不思議とこれでうまくいっている気がするのです。僕が家をすっきりさせようとする一方で、妻は物を通じて家に温かみを加えている。そう考えると、この違いもひとつのバランスなのかもしれません。
ある日、妻が言いました。「あなたが捨てようとするたびに、私はちゃんと考え直す。それでいいバランスが取れてると思う。」その言葉を聞いて、僕は少しだけ納得してしまいました。普段は妻の「そのうち使う」という魔法のフレーズに呆れてばかりでしたが、妻なりに家のことを真剣に考え、物だけではなく一緒に過ごした時間の証、思い出も大事にしているのだと気づかされたのです。
もしかすると、僕たちの違いは時にイライラの原因になる一方で、家族としての絶妙なバランスを保つ重要な要素なのかもしれません。妻が物を通じて守る思い出と、僕が作りたいすっきりした空間。そのどちらも、僕たちの暮らしには欠かせないものです。
こうして今日も、キッチンの余ったタッパーや玄関の靴をめぐる小さな戦いが続いています。それでも、このバランスがあるからこそ、僕たちの家は温かく居心地の良い場所であり続けているのだと思います。