自分とは違う立場の人をどれだけ理解できるかで世界は変わる
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』
『ハイ・ライズ』を紹介しました。
『ゲゲゲの謎』は昨年公開された
アニメ映画作品、
『ハイ・ライズ』は
'70年代のイギリス文学です。
なんの関連性もなさそうな
2作品ですが、私なりに二つの作品に
共通点も見出しました。
その共通点は、
「上の人間が下の人間を利用する」
という構図です。
『ゲゲゲの謎』は
'50年代の日本が舞台になっており、
戦後の空気感が濃厚に漂っています。
そんな中で主要人物の
水木は戦争から帰った
帰還兵として、
当時の惨状を告白しています。
部下には自らの命を差し出す
「特攻」を命じ、
上官は「上に報告する義務がある」
という言い訳をして
自分だけは命を守る、
戦争から帰っても、
親兄弟は亡くなっており、
家もなく、
露頭を迷う生活が待っていました。
お金や権力のあるものだけが
それまでと同じ生活ができ、
下の者たちは搾取され続けている
という話でした。
『ハイ・ライズ』でも
形は違えど、同じような問題が
出てきました。
舞台となっている高層マンションでは、
高層階に行くにしたがって、
住人の地位が高く、
いろんなものを享受しています。
逆に下層に行くほど貧しく、
上の人たちとは別次元に
暮らしているのです。
古今東西を問わず、
こういう問題は
常に人間社会に付きまとっている
ということがよくわかります。
それとは別に
『ゲゲゲの謎』では、
水木とゲゲ郎(鬼太郎の父)の間に
友情が生まれる
という要素がありました。
『ハイ・ライズ』では、
最後まで人々が理解し合うことは
なかったように思うのですが、
水木とゲゲ郎の友情の描写には
この「階層間」の溝を埋める
ヒントがある気がします。
ゲゲ郎は村では素性の知れない
「謎の男」として、
殺人の容疑がかけられていました。
最初は水木も、
そう決めてかかっていたのですが、
ゲゲ郎の身の上話を聞くうちに
徐々に打ち解けていきます。
そうして、最終的には、
二人は親友・戦友となったのです。
ゲゲ郎の人生は
「幽霊族」として迫害され続けた
歴史でもありました。
人間よりも前にこの世に存在していた
幽霊族は人間が出てきたことによって、
生活の場を縮小し、
人間たちに迫害を受け、
衰退させられることになります。
その最後の生き残りが
ゲゲ郎とその妻(鬼太郎の両親)
だったのです。
そのことを知った水木は
ゲゲ郎に同情して、
妻の捜索の手助けをします。
ここに階層間の溝を埋める
ヒントがあるのではないでしょうか。
生い立ちや所属が異なる
人との関わり方です。
もしも『ハイ・ライズ』に出てくる
住人たちの中で、
異なる階層と交流を持つ人物が
一人でもいたら、
物語の展開は大きく変わった気がします。
逆に『ゲゲゲの謎』で、
水木とゲゲ郎が
打ち解けることがなければ、
あれほど、人々の胸を打つ物語には
なっていなかったでしょう。
現実の世の中にも、
階層間の闘争や
異なる属性の対立があります。
それはどれだけ綺麗ごとを言っても、
避けられない事実です。
しかし、そこを乗り越えて
分かり合える人が一人でもいるなら、
世界は大きく変わるでしょう。
自分とは違う人を理解する度量が
あるかないかで、
自分の目の前に広がる世界も
大きく変わるのです。
どちらもフィクションであり、
何も考えずに楽しめる
エンタメ作品ではありますが、
一方で、こんな深いテーマを
感じることもできる
深い作品だった気がします。