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どのようにテクノと出会ったか(8・終)そして訪れたテクノのピーク

前回の記事では、
テクノ初心者だった
19歳の頃の私が

3冊の本を通して学んだことを
書きました。

そろそろ、このシリーズも
締めに入りたいと思います。

ここまでの経過を振り返ると、

18歳の時に YMO のリミックス盤で
'90年代イギリスの
クラブカルチャーを知り、

そこで知ったさまざまな
アーティストのアルバムを
買って聴くようになり、

深夜の音楽番組
『Future Tracks』で
新しいテクノを知る、

一方で、書籍で
さらに新旧を含めた
音楽の知識を増やしていった
ということですね。

自分のことながら、
なかなか忙しそうな
音楽ライフですね(^^;

とはいえ、そんな日々が、
とても楽しくて、
新しい音楽を知る度に
ワクワクしたものです。

私は高卒で就職をして、
18~21歳の頃は、

ほぼ毎日残業、
休日出勤も多めの生活を
していたんですが、

休日ともなれば、
ほぼ毎週といってもいいほど、
CD ショップに足しげく通い、

毎週のように、
聴いたことのない新しい音楽に
触れる生活を続けていました。

特に、その頃に好きだったのが
「テクノ」だった
というわけですね。

そんな生活が続けられたのも、
2004年の春まででした。

この年の春に
私は一度、会社員を辞めており、
給料も激減しました。

そうなると、音楽にかけられる
お金も必然的に少なくなり、
毎週のように CD を買うことも
できなくなったんですね。

その頃の私は、
どちらかというと、
「もう一生分の音楽を聴いたな」
という満足感もあり、

あまり、新しい音楽に
興味が向かなくなっていました。

お金もないので、
せいぜい、たまにラジオで
気になる曲があれば、
チェックする程度だったでしょうか。

なので、テクノに詳しいといっても、
私の知識は大体、
2000年代の前半までですね。

それ以降のテクノのシーンが
どのように変化したのかは、
あまり知りません。

もちろん、それ以降も
お気に入りのアーティストが
新しいアルバムを出せば、

それを買って聴いていましたが、
当然、それだけでは、
一つのシーンの変化を
理解するまでには至りませんね。

たぶん、私のテクノのピークは、
2004年に地元で開かれた
テクノのパーティーに
参加した時でしょう。

夜にイベントがはじまって、
朝方まで踊り続ける、
ダンスイベントでした。

21歳の私は、
こういったイベントに
はじめて参加し、
一晩中、踊り続けました。

あの爽快感といったら、
あとにも先にもないですね。

そのイベントには、
当時は電気グルーヴの活動も
休止中だった石野卓球が
DJ として出演し、

私ははじめて
生の石野卓球を観たのでした。

あれが間違いなく、
私にとってのテクノの
ピークでした。

その後もテクノに
興味を持ち続けていましたし、

折に触れて、
過去に買ったテクノも
聴いてはいましたが、

その後の私は、
さらにいろんな音楽に
興味が向き、

昔はあまり得意ではなかった、
生楽器中心の音楽や、
歌がメインの曲も
かなり聴けるようになりました。

それでも、私の核にあるのは、
10代の頃から聴いていた
テクノで培ったインスト的な耳で、

どんな音楽を聴いても、
「サウンド」を中心に
音楽を聴く耳になっています。

電子音のおもしろさが
わかっているからこそ、
生音ならではの魅力
というのも感じやすいんですよね。

テクノから音楽に入ると、
こういったメリットがあるのも、
随分とあとになってから
わかりました。

テクノと出会って、
二十数年経ちますが、

今でも私のコアな部分には
テクノ的なものの比率が
すごく大きい気がします。

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