「文章」とは「ばみり」である
舞台やテレビのお芝居で、
役者さんの立ち位置を示すために、
テープで印をつけることがあります。
これを「ばみり」と言います。
語源は諸説あるようですが、
「場を見る」からきているのが、
もっとも有力な説のようです。
私は毎日、文章を書いていますが、
この「文章」というのは、
一種の「ばみり」だなと思います。
以前、何かの本で読んだ記憶があるのですが、
脳科学者の研究によると、
一人の人間が一日の間に、
頭に思い浮かべる考え事の数は、
1万はくだらないそうです。
目を閉じて1分間、
同じことだけを考え続けよう
としてみれば、
よくわかると思います。
ずっと一つのことを考えることすらできません。
人間というのは、
変わらないようでいて、
瞬間、瞬間で変わっていくものです。
それは自分が生きている証拠でもあります。
当然のことながら、
死んでしまったら変わりようがありませんよね。
ほっておくと、
どんどん変わっていくのが、
人間なのです。
目を閉じて、その場で足踏みをすると、
骨盤の歪みなんかが影響して、
最初にいた場所から、
ちょっとずつ動いてしまいますよね。
あれにすごく似ていると思います。
とにかく、考えがどんどん変わっていくので、
それを書き留めておかなければ、
川のように流れていって、
消えていってしまいます。
ためしに一週間前の自分が、
何を考えていたか思い出してみてください。
どうでしょう?
何か思い出せたでしょうか。
たぶん、多くの人は、
自力で思い出すのが、
難しいのではないでしょうか。
「自分が考えていたことなのに」です。
今の例では一週間でしたけど、
これが1年前とか、10年前とか、
もっと長い期間になると、
一層、思い出すのが困難になります。
そこで大事になるのが、
「自分の考えを文章に表す」という行為です。
今、自分が考えていることを
文章にすることができれば、
それを読み返すことによって、
自分が何を考えていたか、
つまり、自分の立ち位置が自覚できます。
その手がかりがあるだけで、
どんなに自分が変わっているか、
自覚することができますよね。
冒頭に私は「ばみり」のことを書きましたが、
「ばみり」は演者が立つ位置につけるものです。
なので、「文章を書くこと」は、
過去の自分の立ち位置を
記録するためだけでなく、
これからの自分が立つべき場所を
示すこともできます。
例えば、これまでに私は、
noteにこういう記事を
投稿してきたんですよね。
これらの記事をざっくり要約すると、
こんなことが書かれています。
「他人と自分を比べて優劣をつけてはいけない」
「他人に優しく、自分に厳しくしよう」
「文章の価値を書き手が決めてはいけない」
これは全部、自分が言ったことなので、
これに反するようなことをすると、
私はウソを書いたことになります。
別にたくさんの人が
読んだ記事ではないですが、
自分で書いたことは、
はっきり覚えています。
だから、これらの記事に
反するようなことが、
私はできなくなってしまいました。
記事を書いた時点では、
これらの記事に書いた考えは、
あくまでも、自分に対する心がけでした。
偉そうに書きましたけど、
「まだまだできていないな」
と思いながら書いていました。
でも、公表してしまった瞬間から、
私はそういう人間に
ならざるを得なくなったのです。
不思議なものですね。
文書に表すという行為は、
こんな効果もあるんですね。
これからも私は、
「いいなぁ」「こうありたいものだなぁ」
という立ち位置を見つけて、
ばみり続けていきたいです。
次なる舞台のために。
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