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文章は「抽象⇔具体」「主観⇔客観」でできている

【約2600字/6.5分で読めます】

文章の書き方を伝えるために、自分の記事を分析してみました。

ここからわかることは、以下の二つです。

読者に内容を伝えるために
・「抽象」と「具体」を合わせる
・「主観」と「客観」を合わせる

抽象⇔具体

例に挙げた、『三の隣は五号室』のレビューは、「自分が住んでいる部屋の前の住人を想像してしまうことはないですか?」という問いかけからスタートしています。

なぜ、このようなはじまり方をしたのかといえば、この作品の場合は、普通に作品のこと(本題)を書いても、読者に魅力が伝わらないと思ったからでしたよね。

どうして伝わらないのかというと、この作品自体がそれほど知名度の高い作品ではないですし、ストーリーも大事件が起こるような話ではなく、普通の「日常」を描いた作品だからです。

「どうしたら多くの人に興味を持ってもらえるか」と考えました。

そこで私は読者に問いかけをすることにしたのです。

「自分が住んでいる部屋の前の住人を想像してしまうことはないですか?」

この文章は、読者に対する問いかけにしては、いささか抽象的な質問に感じられるかもしれません。

これも、いきなり具体的に踏み込んだ話をしても伝わらないと思ったので、敢えて「抽象的」な質問にしています。

時と場合にもよりますが、読者の興味を惹く記事を書こうと思ったならば、いきなり具体的な話をするよりも、誰にでも当てはまりそうな「抽象的」な話題から入るのもオススメです。

「抽象的」というのは、「具体的でない」ということですよね。

具体的になればなるほど、他の人にはわからないことが増えていきます。

最初から話が具体的過ぎると、読者が限定される場合もあるんですよね。

例えば、このレビューでは、問いかけの後に「質問」に対する私の具体例を紹介しました。

効率を考えれば、単刀直入に「私の具体例」を持ってくるというのも考えられますが、そうしてしまうと、わからない人は話題についてこれない可能性もあります。

なぜ、ついてこれないのかといえば、私の「具体例」に共感できないからです。

ここは文章のはじめの部分ですから、できれば読みはじめた人に、最後まで読んでもらえるような構成を考えたいところです。

ですから、最初は内容を「抽象的(誰にでも当てはまる)」に書いて、徐々に話題を「具体的(限定的)」にしていくと、読者がすんなり理解できる文章になります。

私がレビューの中で、「自分の生活のこと」や、「作中のシーンの具体例」を出していたのは、「抽象的な内容」を徐々に「具体化」していき、読者に内容の理解と共感を促しているのです。

「抽象→具体」というやり方は、本のレビューに限らず、映画などのレビューでも、私はよく使っています。

↓これもまた具体例

映画のレビューの例
この映画はおもしろかった
 ↓具体化
アクションが良かった
 ↓具体化
最初と最後のアクションが印象的だった
 ↓具体化
剣を使ったアクションが特にすごかった

もちろん、これは「こうしなければならない」というように、やり方が決まっているわけではなく、逆のパターンもあるかもしれません。

例えば、自分のことを書く場合にも「抽象的」に書き出すよりも、最初から「具体的」に書く方がいい場合があるでしょう。

自分の出身地が国内で、それほど特別なところでもない場合は、先ほど挙げたような「抽象」から「具体」へと話題をつないでいく手法が合っていそうです。

しかし、あなたが「海外に住んでいる」といった他の人と違う環境にいるとしましょう。

そうすると、この note を読んでいる方は国内の方が多いでしょうから、「海外在住」という要素は、読者を惹き付ける大きな特徴になります。

そういう場合は、いきなり「具体的」に話をはじめた方が、最初から読者の興味を惹きつけることができるかもしれません。

何度も言いますが、私は『三の隣は五号室』という作品を紹介するにあたって、「誰にでも当てはまる(抽象的)」ことから話題をはじめた方が、興味を持ってくれる人が多いだろうと踏んだんですよね。

敢えての「抽象的」なはじまり方なのです。

主観⇔客観

『三の隣は五号室』のレビューを「主観」と「客観」のバランスで見ると、どのようになっているかも見てみました。

このレビューの序盤は、かなり「主観」が強い内容です。

というのも、そこに書かれているのは、私が住んでいる借家のことで、同じ体験をしなければ、共感できない話かもしれません。

これは先ほど挙げたように、内容を「具体化」するために書いたもので、本作を紹介するには、不可欠な要素でした。

『三の隣は五号室』は、歴代の同じ部屋の住人の生活を綴った物語なので、「個人的」な内容が多いんですね。

なので、本作を読んでいると、自分の過去の体験が蘇ってきます。

しかし、その多くは他人に話すこともなく、私の胸の中にしまわれているんですね。

本作は、そういう「内に秘めた思い出」というか、「他人に取り立てて話す機会がない」といった地味なエピソードが連なってできているのです。

それを作品の中の「物語」のこと(私の主観ではなく「客観」)として伝えても、ピンとこないかもしれません。

そこで敢えて「主観」の強いエピソードを冒頭に持ってきました。

ただ、そのまま「主観(私のこと)」で突っ切ってしまっては、まったく作品の魅力は伝わらないので、物語の構成について解説して、本作の魅力を掘り下げています。

「物語の構成」について書く場合は、「客観」的な視点が重要です。

自分がどのシーンがおもしろいと思ったというよりも、構成そのものがどういう構造になっているかを伝えることを重視しました。

レビューの終盤で、私が同じ著者のコラムを紹介したのも、谷川俊太郎の『朝のリレー』を紹介したのも、「客観性」を重視してのことなんですよね。

確かに、私は著者のコラムも、『朝のリレー』も好きです。

しかし、ただ好きだから紹介したのではなく、本作の魅力を客観的に伝えるために出したものです。

レビューの場合、作品によっては、取り上げる作品を単体で紹介しても、客観的な解説にならない可能性があります。

他の作品との比較(客観的な視点)をして、はじめてわかることもあるからです。

レビューに限らず、文章で読者に共感してもらうには、客観的な視点が大事になります。


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いっき82
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