真に覚える価値あるもの

人と会ったとき、
話の内容や相手の雰囲気は覚えているのに、
顔や名前が頭に入らない
という方はいますか?

私がそうです。
思い返せば高校2年の文化祭準備。

放課後の教室で一緒に
ダンボールに色を塗る男子学生を
横目でながめながら、
とても不思議に感じたことを覚えています。

(彼は誰だろう?)

あとでわかったのは、彼は1年生のときから
同じクラスにいたクラスメイトでした。



街で「久しぶり!」と、声をかけられて
相手が誰かわからなかったという話は
たまに聞きますが、

留守番中、玄関前に立つ親戚を不審者と思い、
110番通報しかけた私と同じ経験を持つ人

きっと少ないでしょう。

それほどまでに私は長年、
人の顔と名前に無関心でした。



子どもの頃に視力が弱いと
人の顔を認識する力や記憶力が育ちにくいと
読んだことがあるのですが、

「みんな"人間"でいいじゃない!」

周りにそう言いながらも、
人として大切な何かが欠けているような
気がして情けなかった時期、

こだわらない自分がどこか誇らしくもあった
時期を抜けて、最近また

「みんなの顔を覚えたい!」
「名前をちゃんと呼びたい!」


と、思うようになりました。


"名前って、おもしろいから"です。

オギャーと産まれるときには何も持たない
赤ちゃんが「〇〇ちゃん」「〇〇くん」と、
呼ばれて初めて、自分の名前を与えられます。

「あなたの名前は□□から名づけたのよ!」
などと聞かされ、中には人生に使命を背負って
しまうような方までいます。

それで、"顔"も"名前"も死ぬときには持って
いけない。この一生、生きている時間限りの
パートナー。

そう思うと、目の前にいる人の顔や名前が
なんとも愛おしく、私にとっての
"記憶する価値あるもの"になったんですね。



もちろん、人がいきなり変われるはずもなく、
今日「工藤さん!」と、呼んでしまった職場の
後藤さんにはごめんなさい。
来週は間違えずに呼びますからね。後藤さん♡


「その顔も名前も、二度とは戻らない」


今日の空でした。

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