恋愛と依存。恋人に求めている欲求とは。

わたしは今現在、恋が分からなくなっている。
以前から幾度も恋人に対してドキドキしない現象がおきており、知人に「それって依存じゃない?」と指摘された。今回はそれをきっかけに、愛とはなんだろう、私が恋人に求めているものはなんだったのだろうということについて考えていく。

私は恋愛感情というのは、その人に対して「ドキドキするか?」だと思っている。

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今まで付き合ってきた人を通して、私が恋人に求めているものをふみほどいていく。

①お兄ちゃん的存在【母性に飢えている時】
お兄ちゃんのように、よしよししてくれたり、甘やかしてくれたりする存在の人を好きになったことがある。(その方にドキドキしていた。)その時のわたしは依存が激しかったのを記憶している。1日寝落ち通話が出来ないだけで嫌われたと思って大泣きしていた。当時のわたしは体調面が弱っており、精神面が幼く、よく泣いていた。人と上手く話せず、黒色や音が怖くて仕方なかった。恐怖心がわたしを幼くさせたのかもしれない。密かに抱いていた「お兄さんが欲しかった」という思い、父や母に愛されたい、そんな思いが恋人に反映されていたのかもしれないと考えている。

②推し的存在【食欲が旺盛で母性が強い時】
わたしは小学生の頃から、理想の推しを創作し作り出してきた。泣き虫で可愛くて卑屈で可哀想可愛い男の子だ。中学の頃腐女子に足を突っ込んだことが大きく影響している。腐女子で言うところの「受け」。そんな二次元の理想が現実化した男の子と付き合えたのだ。わたしはこの方を好きになったのは「母性」が大きく関係していると考えている。その当時のわたしは母性が大きかった。守ってあげたい、甘やかしてあげたい、貢いであげたい。その一心でなんでもその人の言うことを聞くイエスマンにだった。そのため知らぬ間にストレスを貯めておったようで、発散するのに困っていた。その発散源を認めて貰えずに別れたが、今振り返るとあまり恋愛的依存はしていなかったように思う。(①のように、精神不安定になり泣いたりはしなかった。)ただ、守ってあげたい甘やかしてあげたい相手を失った感じだ。それゆえ、頑張る目的を失い、無気力となった。その方は仲のいい友達としても好きだったので、過ごしていた時間の空白、孤独を埋めるのに苦労している。

③幼なじみ的存在【長い間友達だった関係から好きに発展した時】
長い間幼なじみのように接してきた人に告白したことがある。その方は私のことを私以上に分かっている。この方といると精神が安定する。当時は友達以上恋人未満の関係だったのだが、ある日を境に距離を感じて、友達に戻った時にとても切なかったのでこれは恋なのかなと認識した。友達感が強くて今でもまだ、これは恋なのか疑問に思う時がある。が、相手の一番になりたい気持ちが強くて相手とずっと関係を続けていきたいと切に願っている。友達としても恋人としても憧れ(推し?)としても好きなのかもしれなく、相当大きな愛を相手に抱いている。

お兄さん的、推し的、幼なじみ的、3つの好きがあるということは私のタイプは精神状態や体調で大きく変わるのかもしれない。わたしはお兄さん的存在(欲求:頼りたい)、推し的存在(欲求:守りたい)は相反するものだと気づいた。
お兄さん的存在に愛を沢山貰うと頼りたい思いが満たされて消える。
すると、沢山貰った愛を配りたい、と、人を守りたい欲求が現れ、推し的存在を必要とするようになる。
推し的存在に愛を注ぐと愛がまた枯渇しお兄さん的存在を求めるようになる。
そういったサイクルがあるのだと思う。

お兄さん的存在は子供の頃母親に求めていた「頼りたい」欲求で、推し的存在は自分が母親になるときに必要な「守りたい」欲求で、幼なじみ的存在は本来友達に求めるような「楽しみたい」欲求?なのかなと思う。

私は付き合ってからが長続きしないのだけどそれは、お兄さん的欲求と推し的欲求が交互に出てくるからかなと思う。つまり、お兄さん的存在(頼りたい欲求)と推し的存在(守りたい欲求)どっちもを彼氏に求めるなってことだ。彼氏に頼りたい欲求を、親友に守りたい欲求を、(友達が少ないので、1人でできる)趣味に楽しみたい欲求をぶつけると人との関係は長続きするのかもしれない。この3つの欲求が全て満たされていたら、幸せを感じられるかもしれない。これからの変化に期待だ。


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