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「感情」はコントロールより”観察“すべし

私たちは、なにかコトが起こったとき、よく「事実」と「感情」を分けて考えるようにと言われます。「感情」については、「かっこ悪い」とか「そんなこと思っちゃいけない」などと……すぐに打ち消そうとする思考が働きます。「感情的」=「幼い」という固定観念もあります。

「感情」の重要さについて、見過ごされてしまっていることに対して、私は個人的に悲しさを覚えます。生きていくうえで「感情」は、本来、その人の「選択」におけるバロメーターになるものなのに。そして、男女のパートナーシップにも欠かせないものなのに。

たしかに「人に伝える」という目的においては、「事実」を客観的に見つめることは重要です。多くの人がニュートラルに解釈するために必要だからです。

しかし、「感情」はエネルギーです。「感情」こそしっかり見つめることが個人のレジリエンスにおいては重要です。

人が「行動」を起こすときに原動力となるのはいつも「感情」が先です。

心が動くから、行動したくなる

「事実」と「感情」を切り分けないといけないのは、「感情」が「事実」に脚色を加える恐れがあるから。その色眼鏡をつけたまま人に事象を説明すると、歪んでしまう恐れがあるよ……という懸念から、人は事実と感情を切り分けることを大切とします。

でも、これもいつもそうとは限らない。

そして、「感情」を見つめずに生きていくと、そのうち「自分はどう感じているのか」がわからなくなる。いま、この「あなたはどう思うの?」に答えられない、もしくは、自信が持てない人が増えています。

まるで、書籍の感想文を書く時に、「解説」を引用するように、自分の人生なのに、自分の感じた気持ちを語れないのです。

親が◯◯と言ったから
先生が◯◯しなさいと言ったから
社会が◯◯だから
うーん。


「で、あなたはどうしたいの?」

そう問われた時に答えられない。これを知るには、自分の「感情」をその時、その時に、観察していく必要があるのです。

そして、それが得意なのは本来は「女性」のはずです。古来、女性は「子宮で物事を考える」などと揶揄されてきました。感情を爆発させる「ヒステリー」という言葉は、古代ギリシア語の「子宮」に由来します。

女性が全員が全員、感情的である……という話ではありません。

ひとつの説を立てると「私は違う」とわざわざコメントいただくことがありますが、一旦、「諸説あり」ということで受け止めていただいたうえで読み進めていただければ幸いです。

そもそも、女性がみんなそうだから「女性性」というのではありません。

「女性性」とは一般的に「女性を象徴しそうなこと」を表しているだけなので、男性のなかにも「女性性」はあります。女性のなかにも「男性性」はあります。

物事に「男女」の区別をつけて解釈しやすくしよう!という試みであると思っていただければと思います。

例えば。

「物体」が男性性なら、「その間」にある空気・気配・匂い・音などが女性性。「科学」が男性性なら、「精神的なこと」「見えないこと」は女性性と、私は感じます。スピリチュアルな話に抵抗がない方は女性に多いですよね。

世の中はこの何百年か、男性中心に回っている。だから、「物体」「事実」「科学」重視の時代が長いわけです。

「統計学」も男性性。

心理学は女性性ぽく感じますが、私は統計学である以上、やはり男性性が強いと感じます。統計学においては、「例外」や「取れなかったあやふやな回答」をすべて削除してしまう。そして、わかりやすく「分類」する。でも、そこには「当てはまらない事実」の存在が消されてしまった状態。

「数値化して『分類』して理解するために細かい部分や例外を削り落としてしまったのが統計学」ではないかと思うのです。

この「分類」という行為も男性性。「つながる」「曖昧なまま受容する」のが女性性。

そういう印象を受けます。そして、今、世の中にある心理学の多くの説を残している偉大な心理学者は男性であることが多い。

傲慢な意見に聞こえるかもしれませんが、必要以上に過去の心理学に囚われないようにしないと、過去の説では自己解決できないことが自分の身に起こり得る可能性があるということを知っておくべきだと、私は考えています。

心理学を否定するものではありません。ユングが大好きで、カール・ロジャーズ、ナタリー・ロジャーズ、森田療法の森田先生のおかげで今の自分があります。それでも、心理学や心療内科に依存するだけでは危険だと思います。

現に、世界的に見ても日本は自死が多い。
そして、さらにコロナで増えています。

人生の難題は「過去の傾向と対策」という「心の参考書」である「心理学」を知っていても、納得できない、乗り越えられないことはたくさんあります。

分類ができたとしても、症状に名前をつけることができたとしても、実際にどのように「自分と融合していくか」を考えるとき、この「融合」は「女性性」的な役割であり、情報が足りない。

もしかしたら、「過去の女性たちの話」に、人生のヒントが隠されている可能性があるかもしれないのに。

「感情」についてのデータや文献は圧倒的に少ない。

いま、女性性を活かした解決方法をどんどんクリエイティブ思考で生み出していく必要があると思うのです。

もちろん男性にも女性性がありますので、クリエイティブに「無いものを生み出す」という考えで、あらたな価値観や思考を生み出していく時期に来ているんだろうなと思うのです。

「事実」はたくさん歴史の書物や「学問」として残っています。
でも、「感情」を残した書物は形を変えた「物語」や「文化」としてしか残っていない。

ということは、私たちはいま、「物語」「映画」「芸術」「歌」「踊り」といったクリエイティブなところから、生きるヒントを見つけることを、大切にしたほうがいいかもしれません。

そこから「私の人生」に効果的な「独自の解釈」を見つけるほうが、レジリエンスがあると思うのです。

少なくとも、私はずっと小さいころから「独自の解釈」を練習してきました。「だれも教えてくれない」なら「自分なりの解釈」をして、「現実を受け止める」。

つまり、「リフレーミング」の達人です。どんなふうにリフレーミングしてきたのか、また別の記事に書いてみたいと思います。そして、心理だけではなく、身体に目を向けたほうが、心が元気になるのが早かったりもしますので、そのあたりももう少し書いていけたらと思います。

※「愛は命よりも前にあるから」。私はこの歌詞が好きです。命よりも前に「感情」があるのではないか。こちらの楽曲の歌詞です↓↓
 渋いっ!


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