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被害を語ると「許すべき」という人にどう対応すべきか?

親からの躾については「基準」や「正解」がない。
親自身が「人はどうあるべきなのか」を
20数年の人生から主観で捉え、
その無意識の言動によって
子どもを躾けるからだ。

(本当は躾けっていう概念そのものが嫌いよ)

でも、躾の厳しさについては
限りなくグレーゾーン。
ただの批判や悪口になってしまえば
躾けじゃなくて「罵倒」だし
賢い親は「罵倒」にならない
ギリギリのラインで子どもを貶し否定する。

このギリギリのラインで貶し
決して愚痴や批判ではないと言い切る
という手法が、私の親のやり口だった。

だから、姉はいまもきっと
「それなりに厳しかったけどいい母親だった」
と思っているし
「あなたさえ感情を表に出さなければ
 この家庭は平和なのに」と
存在そのものを否定されてきた私は
母を「天使と悪魔」の二極を持ち合わせた人
だと受け止めた。

親から虐待を受けた場合、
この「手法」の違いによる弊害があって
「完全に悪魔タイプ」からやられた場合
逃げ場もないけれど
親を「ダメな人」と素直に思える
という意味では「ラク」である。

うちの場合はダブルバインド。
いい母親としてがんばる面と
蓄積してきた全人類への恨みのような
ドロドロとしたものを一気に
家族でいちばんの弱者だった私に
ぶつけておいて
平気で「あなたのためよ」と言えるところ。

笑って抱きしめておいて
平気で崖から突き落とす。
ある意味、サイコパス( ̄◇ ̄;)

私は気が狂いそうなほど悩んだ。
どちらか一方でない=わからない
というところが怖さである。
パーソナリティ障害で
人には善人を見せており
姉や尊敬する周囲の人には善人と思わせ
自分の立場が悪くなると
先に立ち回って敵の愚痴を言う。
つまり、私の愚痴を友人や親戚に
いっぱい垂れ流すという手法で
自分の地位を確保していたのだ。

この手法のおかげで
母が影で貶しまくっていた叔母や大叔母も
「あなたもちょっと言い過ぎよ」
ということになってしまう。

自分の味方はいない。

だから、私はどちらのタイプでも
やはりしんどいことには
変わりないと思っているし
これは比較できるものではないと思う。

さらに。
親からちゃんと愛されて
虐待も受けていない人の場合
「親が厳しいのは当たり前」
「親のことを悪く言っちゃダメ」
「あなたは全面的にゆるすべきなのです」
などと言うでしょう。

こちらが悪いことになる。

虐待されて育った人にとっては
いちばん聞きたくないセリフだ。

だが、それも渦中だからこそ。

私自身は、
「自分の人生のプロットは自分が書いた」
「学びのためにベストな配役がなされている」

ということを知っていたので
すべて克服してきた。

毒親も、暴力借金ダメ前夫も
「悪役をありがとう」だ。

おそらく全人類共通の学びとして
「ゆるす(ありのままを受け入れる)」がある。
だからこそ、身近な人が悪役をしてくれるのだ。

今生でそれを乗り越えていない人は
「親を毒親呼ばわりするなんて」という
捉え方になる。

でも、そんな人は放置で。
これが、答え。
噛み合わないのだから。

いじめの被害経験から学んだこと

「いじめ」についても、そう。
リアルにいじめられた経験がない人は
すぐに一般化したがる。

「みんなそのぐらいの経験あるよ」。

いやいや、ちょっっと待って。
では、質問します。

「体操服が中庭からドロドロになって出てきたり、上靴が下駄箱のすのこの下に隠されたり、部活の毎日において集団無視され続けたことがあるのでしょうか?」。

普通ないよね。
ちょっとした無視だとか、
村八分行為が女子ではとくにあるものだと思う。
それはみんなかもしれないが
体操服がなくなった!→ドロドロの土だらけで出てくる
これって「普通みんな」で一般化しちゃったら
人間社会、怖すぎです。

つまり今生において体験していなければ
「許すべき」「そんなもんよね」
といった一般化したがるようなセリフは
出てこないもの。

そんな平穏に育ってきた人に「理解して」というほうが
まず難しい。

かといって、
「平穏に育ってきた人はかわいそう!」
「幼稚なのよ」
というのも、違うと思うのです。

平穏に生きてこられた人は
「今生でそれを学ぶ必要がなかった」
ただ、それだけのことです。

なんでも愚痴っては安心する人がいるけれど
愚痴って気がすむのなら
そういう人生もありでしょう。

でも「愚痴」はいつまでも
「負」のエネルギーを発信し続けて
自身に「高周波」を寄せつけない
マイナスの環境を自ら作るようなもの。

同じ場所でぐるぐると苦しむことになります。

だれかを批判することなく
でも、だれかを無理に許すこともなく
自然に、楽しい人生を手に入れていく。

そのための「コツ」があれば
よいのではないかと思うのです。

そんな人生をラクに捉えることができる
「宇宙の法則」を、
私はやっぱり少しずつ伝えていこうと思います。

私が「宇宙の法則」だと思っているだけかもしれないし
どこにも保証なんてないのだけれど
こういった「人生の捉え方のコツ」があれば
リジリエンスは手に入るよ!という話を
していこうと思います。

「なんで受け身なん?」と言われて目が覚めた

ちなみに部活は「ハンドボール部」。
キャッチボールするよ〜のとき、
みんな私以外の人でペアができる怖さ。
話しかけようとしたら避けられる悲しみ。
あれは当時、本当に苦痛でしたよ。
でも、私、体当たり主義なんで
「どうしてみんな無視するの?」
「どうしたらいいのか教えて!」と
先輩と同級生、みんなの前で訴えたの。

そんなカッコ悪い体験のおかげで
実は、同級生がいつの間にか
めちゃくちゃ大人になっていて
自分がいかに幼稚だったのかに気づけたのです。

中学生のころには
私の「見えないアドバイザー」さん
おそらくみなさんがいう「ハイヤーセルフ」が
ずっとなにも教えてくれなくなってて
もがいていたのです。

でも、体当たり主義でカッコ悪いことでも
全身全霊でぶつかっていくとね
みんながいろいろ教えてくれたよ。

「あのね、ふっこちゃんいつも待ってるやん」
「それって受身やろ? めっちゃわがままと思うわ」
「ペアになってくれへん、じゃなくて
 自分から『なろう!』って誘ったらいいやん」

ね。こんなこと言われたのですよ。
恥ずかしいでしょう?

これぐらい「恥をかいて自分と向き合う」こと
やってきたから、いまがあるのです(*´∀`*)

そんな「体当たりエピソード」を
伝えていこうかなーと思います。
できれば、音源か動画で。


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